日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

慰めに満ちた神

2010-11-06 | Weblog
   第Ⅱコリントの手紙第1章1~11節
 
   3節「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように」(口語訳)

   「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(2節)。手紙の冒頭に来る挨拶であるが、内容は、必ずしも一通でない文書になっている。色々な質問状や問題に応える形になっているからである。続いて讃美がある。3節「ほめたたえられますように」。口語訳は文頭に「ほむべきかな」となっている。詩篇などにある感謝の仕方で、崇拝と敬慕を表し、神に対してだけ使われる。それは三通りの言葉で三位一体の神を賛美する。(1)「主イエス・キリストの父である神」(御子イエス)、(2)「慈愛に満ちた父」(御父)、 (3)「慰めを豊かにくださる神」(慰め主-聖霊)
   先ず神を「父」と呼ぶが、これはイエス・キリストによって初めてわたし達の神に対する呼称となった。ローマ8章15節に、神の子の身分を授けた霊によって「アッパ父よ」と呼ぶことが出来るとある。かつて父権制度時代のような絶対的権威で君臨するような「父」ではなく、「慈愛に満ちた父」であり、そして「慰めを豊かにくださる神」なのである。特に「慰めを豊かに」という時、慰めの根拠が神にあることを様々な体験の中から告白する呼び方である。彼はそのことを4~節に証している。「慰め」がここには繰り返され、実に10回も出てくる。
   この「慰め」(パラカレオー)は、「傍らに」パラと「呼ぶ」カレオという二つの言葉から出来ていて「下から支え、強め、そばで支持する」という意味である。この他にも「勧める」(使徒言行録2章40節)、「懇願する」(マタイ8章6節)、「励ます」(第Ⅱコリント13章11節)、「指図する=口語訳」(テトス1章9節)等とも訳される。
  この派生語のバラクレートスは聖霊を指し、「弁護者」(ヨハネ14章26節、助け主=口語訳)となっている。
この慰めを得たのは、「あらゆる苦難に際して」(4節)だった。「苦難」とはどんなものだったのか。原語は「圧迫」を意味する言葉である。それを伺わせるのは、
   「耐えられないほど圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」(8節)。そして「死の宣告を受けた思いでした」(9節)とある。
  福音宣教によって経験する様々な苦難と、牧会者としての心遣いである。これをパウロは11章23~28節に述べている。
  「苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります」。
  パウロの伝道者生涯はダマスコの回心(紀元33年頃)から、ローマ幽閉と殉教(紀元61年頃)の三十年に満たないものであった。その中で上記のような出来事は使徒言行録には詳らかにされていない。それは記録されなかった14年間(ガラテヤ2章1節)であろう。「死の宣告」の経験もそこに含まれるのか?(9節)。パウロの生涯に決して変わらなかった確信はこの「死者を復活させてくださる神を頼りにする」ことであった。
  これが10節である。「神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。…神が今後も救い出して下さることを望んでいる」(口語訳)。