日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

宝を土の器に納めている

2010-11-12 | Weblog
  第Ⅱコリントの手紙第4章
 
   7節「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(新共同訳)

   1節「こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません」。3章で神の栄光を帯びた霊に仕える務めを与えられたので落胆しないという(8節)。反対者が批判するような「卑劣な行い、悪賢く歩み、神の言葉を売り物にする」ことなど無く、神の前に正直に務めている(2節)。福音に覆いがかかっているというのは、あなた方のことだ(4節)。
   サタンが人々の心の目をくらまして福音の光が見えないようにしたが、「闇から光が輝き出よ」(創世記1章3節)と命じられた神がわたしたちの心の内に輝いて、その栄光を悟ることが出来るようになった(5~6節)。

   一見すると、そのように見えないかもしれない。しかしわたしたちの「土の器」に宝が納めてある。それは何か。「わたしたちの心の内の輝き」、そしてそれは「並はずれて偉大な力」(7節)である。「土の器」とは素焼きですぐに欠け、ひびが入る器で、人の脆弱性をしめす。それは人が神よって形ち造られた器である(創世記2章7節)。それを四様に述べる。
   四方から苦しめられ~、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒される。まるでリング場で連打されダウン寸前のようである。しかしそうならない。往き詰まらず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされない(8~9節)。何故か。口語訳が判りやすい。
  11節「わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである」。同じ表現を、ガラテヤ2章19~20節で知る。
   14節「それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである」。主イエスの死と復活が、あなた方と一緒の出来事となるのである。
  そこで、「多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためである」(15節)ことを願っている。

  16~18節では、土の器に納めた宝について述べたことを(7~10節)、時空を超えた拡がりの中で一層明確にしている。
 1)『外なる人』は衰えても『内なる人』は日々新たにされる(16節)。
 2)一時の軽い艱難は、重みのある永遠の栄光に比べられない(17節)。
 3)見えるものは過ぎ去るが、見えないものは永遠に存続する(18節)。