第Ⅱコリント信徒への手紙第9章
8節「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります」(新共同訳)
8章に続き救援募金について述べる。
2節「わたしは…アカイア州では去年から準備ができていると言って、マケドニア州の人々にあなたがたのことを誇りました。あなたがたの熱意は多くの人々を奮い立たせたのです」。コリント教会の募金活動に示した熱意を誇ったという。この誇りが無意味にならないよう、準備してほしいと要請する。もしそうでないなら恥をかくことになるという(3~4節)。
「…贈り物の用意をしてもらうことが必要だと思いました」(5節)。「贈り物」(ユーロギア)は「賛美、祝福、恵み」、英語blessingである。財を捧げることが祝福であるとするなら、渋ったり、惜んだりして差し出すことはないのである。
6節「…惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」。蒔いたものを刈り取るという原則。然し能力格差の事柄ではなく、問われるのは「惜しむ心と、惜しまない心」である。これが明確でなければならない。「豊かに~、豊かな」はユーロギアイスである。
7節「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」。義務や強制でなく、「自ら心で決めた通り」自発的な恵みへの応答として献げるのである。ここで、マケドニア州の諸教会が示した態度が示されよう(8章2~3節see)。
9節「『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』と書いてあるとおりです」。詩112篇9節の引用。彼とは、主を畏れ、信頼する人である。
種を蒔く者と、これを刈り取る者に対する神の祝福の共有が示される(10節)。そこでは神の対する感謝が湧いてくる。それは支援を受けた側だけでなく、援助側も感謝するのである。そして神への奉仕(レイトゥルギアservice)の働きは一層豊かにされる(11~12節)。
13節(口語訳)「…この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し~」。これは福音の証となり、神に感謝し、栄光を帰すこととなる。
これこそ神に喜ばれる供え物である(ヘブライ13章16節)
8節「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります」(新共同訳)
8章に続き救援募金について述べる。
2節「わたしは…アカイア州では去年から準備ができていると言って、マケドニア州の人々にあなたがたのことを誇りました。あなたがたの熱意は多くの人々を奮い立たせたのです」。コリント教会の募金活動に示した熱意を誇ったという。この誇りが無意味にならないよう、準備してほしいと要請する。もしそうでないなら恥をかくことになるという(3~4節)。
「…贈り物の用意をしてもらうことが必要だと思いました」(5節)。「贈り物」(ユーロギア)は「賛美、祝福、恵み」、英語blessingである。財を捧げることが祝福であるとするなら、渋ったり、惜んだりして差し出すことはないのである。
6節「…惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」。蒔いたものを刈り取るという原則。然し能力格差の事柄ではなく、問われるのは「惜しむ心と、惜しまない心」である。これが明確でなければならない。「豊かに~、豊かな」はユーロギアイスである。
7節「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」。義務や強制でなく、「自ら心で決めた通り」自発的な恵みへの応答として献げるのである。ここで、マケドニア州の諸教会が示した態度が示されよう(8章2~3節see)。
9節「『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』と書いてあるとおりです」。詩112篇9節の引用。彼とは、主を畏れ、信頼する人である。
種を蒔く者と、これを刈り取る者に対する神の祝福の共有が示される(10節)。そこでは神の対する感謝が湧いてくる。それは支援を受けた側だけでなく、援助側も感謝するのである。そして神への奉仕(レイトゥルギアservice)の働きは一層豊かにされる(11~12節)。
13節(口語訳)「…この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し~」。これは福音の証となり、神に感謝し、栄光を帰すこととなる。
これこそ神に喜ばれる供え物である(ヘブライ13章16節)