日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

キリストのかおり

2010-11-08 | Weblog
   第Ⅱコリントの手紙第1章23~2章17節 

   15節「わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである」(口語訳)。

   旅行変更に関して22節までに弁明したパウロは、その理由を23節から述べている。それは悲しませることをすまいという思いやりである(1節)。口語訳「寛大でありたい」とある。信仰を支配するのではなく、喜びの共労者になることである(24節)。先に「涙ながら書いた手紙」も、悲しませる為ではなく、溢れるほどに抱いている愛を知って貰うためであると告げた(3~4節)。この「涙の手紙」が7~9章に挿入されているとしているが、確定はできない。パウロはこの外にも別な手紙を書いている(第Ⅰ・5章6節)。
   「悲しみの原因となった人がいれば、その人はわたしを悲しませたのではなく、…あなたがたすべてをある程度悲しませたのです」(5節)。これは悲しみの共有である。これは、そこに留まらないで、神の前に出て赦しを願い執り成す「寛容」の心にある。そこで「あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです」(7節)と勧める。あなた方が赦す相手は、わたしも赦します。それはキリストの前で悔改めによって赦しを得るからであるという(10節)。
   悲しみがキリストの赦しへと変えられた理由が示されないで、12~13節で旅行計画の説明に戻っている。ここで文脈が中断することになる。
  パウロが予定を変更しコリントに直行しないで、トロアスに向けて出発したという。それは宣教の門が開かれていたからである(12節)。しかし先にコリント教会に宛てた「涙の手紙」(4節)をテトスに託していたが、彼に会えないため不安を抱いたままマケドニアに向かったという(13節)。
  この続きは本来なら7章14節以下で、テトスと再会し手紙の結果の報告を聞いて慰めと平安を得たという結果になるところである。
   14節「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、…キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」。ここで神に感謝する状況が与えられた。それを凱旋将軍と勝利を告知する例で語る。神によるキリストの勝利を宣べ伝える使徒を指している。
  「救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」(15節)。行進を歓迎する沿道の群衆が花束を道に投げると隊列を組んだ将軍に続く兵士と捕虜たちに踏み付けられ、香りが一帯に漂う有り様が想定される。勝利者イエスの福音に生かされている使徒たちにはその香りは救いに至る命の香りであるが、イエスの福音に従っていない人々は繋がれた捕虜と同じでその香りは滅びに至る死の香りとなる(16節)。
  これは救いか滅びか、命の道か死に至る道かの岐路に立って選択を促される決断なのである。
  しかし「神の言葉を売り物に」している人々が多くいるのである(17節)。つまり曖昧にして、神の言葉に対して決断をしない人々を指している。
   わたしたちに求められるのは「誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語る」ことだと告げたのである。