カーチャンは夏休みとか言っちゃってるのでサラはカーチャンをかまってあげないといけないので忙しいのです。
でもここ本牧市民公園はのどかで好きだワ~。
(左)サラとハス(右)ハスの池に浮かぶ横浜上海友好園。
でもここ本牧市民公園はのどかで好きだワ~。
(左)サラとハス(右)ハスの池に浮かぶ横浜上海友好園。
帽子を作るための麦わらのブレードと帽子の木型。夏休みの間に一つ作ってみましょうか?
(左)シェーカーのオーバルボックスの様な作りのお裁縫箱。(右)テディベアのアーティストによるねずみ。今の気分そのもの。
(左)上半身は陶器で出来ているピンクッション。(右)これを木型を使いながら帽子の形に縫い合わせていくのです。
(左)シェーカーのオーバルボックスの様な作りのお裁縫箱。(右)テディベアのアーティストによるねずみ。今の気分そのもの。
(左)上半身は陶器で出来ているピンクッション。(右)これを木型を使いながら帽子の形に縫い合わせていくのです。
1910年代に入りスカートの丈がほんの少しだけど短くなってくるとバランスをとるように造花だのオーストリッチのてんこ盛りの帽子は被られなくなってゆきました。上の写真は学校のユニフォームの帽子。
19世紀末から女性も高等教育を受けるチャンスが増えてきたり、第一次世界大戦の為戦争に出て行った男性の代わりにとますます女性が社会に出ていくようになってゆきました。
(左)1918年のシアーズのカタログから。オーバーオールを着て上の帽子と同じようなデザインの帽子を被っています。(右)上の帽子の内側に付いているラベルです。
19世紀末から女性も高等教育を受けるチャンスが増えてきたり、第一次世界大戦の為戦争に出て行った男性の代わりにとますます女性が社会に出ていくようになってゆきました。
(左)1918年のシアーズのカタログから。オーバーオールを着て上の帽子と同じようなデザインの帽子を被っています。(右)上の帽子の内側に付いているラベルです。
不要の飾りは省いてひたすら使う目的で作られた家具。それはシェーカー教徒の信条そのものでもあった。簡素だけれどほんとうに美しいデザインの家具をのこした秘密は「良い物を作るというのは祈るという行為と同じ」というシェーカーの教えのたまもの。
左は手作りキットで私が作ったもの。このイスはシェーカーの家具の中でも有名なラダーバック(はしごの背もたれといったような意味)と呼ばれるものです。右もラダーバックですが1840年にコネティカットで作られたものです。
イスは使わない時はこのように壁に掛けます。右の写真はペグ。ペグを等間隔に取り付けた細い板を壁に張り廻らせてイス、ほうき、カーテンなどを掛けるのに使います。
イギリスからMother Ann Leeがニューヨークに着いたのが1774年。それから約50年の間にニューイングランド、オハイオ、ケンタッキー、マサチューセッツなどに19のシェーカーのコミュニティーができたそうです。現在はメイン州に一つコミュニティーが残るのみ。
左は手作りキットで私が作ったもの。このイスはシェーカーの家具の中でも有名なラダーバック(はしごの背もたれといったような意味)と呼ばれるものです。右もラダーバックですが1840年にコネティカットで作られたものです。
イスは使わない時はこのように壁に掛けます。右の写真はペグ。ペグを等間隔に取り付けた細い板を壁に張り廻らせてイス、ほうき、カーテンなどを掛けるのに使います。
イギリスからMother Ann Leeがニューヨークに着いたのが1774年。それから約50年の間にニューイングランド、オハイオ、ケンタッキー、マサチューセッツなどに19のシェーカーのコミュニティーができたそうです。現在はメイン州に一つコミュニティーが残るのみ。