この本は欧米の無名の職人(あるいはまったくの素人)が作った木工品、織物、焼き物などの美しい日用品を紹介した本です。アメリカでは建国200年記念の年の1976年あたりから「自分たちの国の歴史を振り返ってみよう」みたいな動きがあってアンティーやフォークアートに関心が向けられる様になったのです。
この小さなサイドテーブルとローソク立ては日本人の私にも美しいと思えます。
*75ページ参照
1900年頃のウサギさんの風見鶏はカワイイ。
*52ページ参照
この看板は私のお手製です。無名の人が無名の人の為にちょっとしゃれて作った日用品というのがフォークアートの定義ならばこれはまちがいなくフォークアートだ。
さて、今年は日用雑器に美を見いだそうとした民芸運動の中心人物、柳宗悦の没50年ということで「民芸」という言葉を新聞で何度か目にしました。「美しい手仕事」に関心が寄せられる様になるのはうれしい事ですね。
突然ですが明日から山形県の城下町鶴岡市に出かけます。致道博物館で民芸品や民具を見るのも旅の目的の一つです。鶴岡市が民芸運動とどう関わったのかは知りませんが地方でひっそりと守られている民芸品を見てくるのは意味あることでしょう。
という事で
9月1日から9月5日まで夏休みのため、お店はお休みとさせていただきます。スミマセン
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*リスのクルミ割り*
間門小学校も月曜日から二学期がはじまってお店の前を日に焼けた元気な子供たちがぞろぞろと通っていきます。でも暑さに疲れた私はこんな気分。せめて夢の中で涼しい国に飛んで行きた~い。
アメリカのテディベアアーティストにオーダーして作ってもらったネボケマナコのネズミさん。
今では役に立たない1950年代のブリキの地球儀と世界地図付きのゴミ箱。
汽車に乗り損なっておいてけぼりのテディベアの絵はがき。TWELVETREESという名前のアーティストの1907年の絵はがきです。「12本の木」とは珍しい。日本には五木さんがいるけど本数で負けた。
秋が待ちきれなくて秋のガーデンフラッグをもって山手にでかけました。ここ山手234番館はベーリークホールの真向かい、外人墓地の少し先にあります。
*WELCOME TO THE NUT HOUSE*NUTの意味は木の実だけじゃないのよ。
隣接するレストラン「えの木てい」をバックに。
234番館は関東大震災で壊滅した山手にまた外国人が戻れる様にと、昭和2年に集合アパートとして建てられたそうです。なんておしゃれなアパート!
暖炉の側のくつろぎコーナー
別の部屋にも暖炉が。右のランプはペアで暖炉の上に飾ってあったもの。アンティーク小物が飾られているのを見るのも楽しい洋館でした。
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ケチャップと言えばプラスティックのチューブから絞り出して使うのが当たり前の世の中になったのはいつ頃からなのかしらン?このピクシー顔のケチャップ入れは1958年のアメリカのHOLT HAWARD(ホルト・ハワード)社製。
大きなスプーン付きというのがうれしい。
このピクシー顔のシリーズは1958年から1959年にかけて製造され、ケチャップの他にもマスタード、ジェリー(ジャム、)ハチミツ、チリソース、オリーブなどがあったようです。
JAPANのシールが付いたまま。1949年のスタートからしばらくはアメリカ製であったけれど経費の問題で日本の窯元と契約をしたようです。ホルト・ハワードはアメリカの1950年代、1960年代のキッチンウェアで成功した会社といえるでしょう。
今回からスタートしたSHOW OFFシリーズはお店にある商品を時代背景などを交えながら紹介していくコーナーです。よろしくねっ!
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横浜本牧にはハロー坂とアメリカ坂といういかにも本牧らしい名前の坂があります。米軍の住宅地だったなごりだけどハロー坂はHAROZAKAと書くのだ。
取り立てて変わった事もない100メートルもないくらいのゆるい坂道だけどパッと引き立つヒマワリのフラッグ!書家の村川紅雲さんの書道教室の看板代わりのフラッグでした。
当店でお買い上げ下さった大きなサイズのヒマワリのフラッグに、外国人にもわかる様にJAPANESE CALLIGRAPHYと手描きされています。ウ~ン、ガーデンフラッグにこういう使い方もあったのだ!
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