どうでもいい四百字 第二中間貯蔵施設

あってもなくてもいいもの。

どうでもいい四百字 2514

2019-11-25 18:45:38 | 時間の無駄
活字依存症である。毎日、印刷物を読みたいと云う衝動を抑え切れない。ただ活字になっていれば何でもいい訳ではなく、視力検査表は余り読みたいと思わない(一応読む)し、新聞の株式欄は目を通す気になれない(一応眺める)。それ以外の記事は、全く関心の無い分野でも結構読んでいるので、購読料の元は取れていると云う自負はある。ただ分量としては全く足りないので、ネットのニュースを読み漁って何とか補っていると云った感じである。何故そんなに活字を欲するのか理由は分からない。単なる知識欲ではなさそうなのは、他に無ければ同じ本を読み返している事から推測される。思うに、誰かの意見や主張にツッコミを入れたいのではないだろうか。投書欄やお悩み相談は熟読し、「なんでやねん」とイチャモンを付ける事が少なくない。批判精神が読む衝動に結び付いているにしても、株式欄にツッコミを入れられない様では、まだ依存が足りない様に思うのである。

どうでもいい四百字 2513

2019-11-24 19:12:08 | 時間の無駄
米国ではよくあることなのだろうか。アマゾンが米政府を相手取り、国防総省のクラウド事業をマイクロソフトに選定したのはおかしい、と提訴したとの事である。1兆円規模の大規模案件だから失注したら腹が立つのも分かるが、だからって発注者を訴えるメンタリティは、私には良く理解出来ない。一応受理された様だから米国の司法制度そのものが分からないと言った方が正しいのかも知れないが、何事もそうやってオープンに殴り合うのが流儀だと言われたら、そんなもんかなと納得しそうになる。一つ言える事は、GAFAの力なくしてはペンタゴンも財政的に厳しい状況にあると云う事であり、国家防衛に関わる事案なのだから予算は付け放題、と云う軍事的古き良き時代は過ぎ去ったと云う事である。国の威信も費用対効果次第と云うのは何とも味気ないのだが、物理的な武器が旧時代の遺物と化しつつある時代に生きていると云う実感を覚えるエピソードには違いないのである。

どうでもいい四百字 2512

2019-11-23 20:21:19 | 時間の無駄
シリコンバレーでの最大の成功者は誰か。様々な観点から様々な評価は出来そうだが、私はサンフランシスコの不動産屋さんだと思っている。兎に角、賃貸の高騰が物凄いらしく、アップルでは年収1000万円以下の人には家賃補助が出る位らしい。宿のニーズは引きも切らないので借りたマンションをAirbnbとかでまた貸ししている人も居る様であり、そう云う所で抜け目無く稼げる人達のエネルギーによって次々と新たなビジネスが誕生し、活性化し続けているのだと思う。自らを限界に追い込む環境に身を置いてみたいと云う気持ちも無くはないが、そう云う所で生き延びるだけの辛抱強さとかが著しく欠如しており、不動産屋を儲けさせるだけで早々に撤退する可能性しか見えない。テック企業が国家の運営にも影響を及ぼす程の成熟を遂げても尚、成功を夢見る人々を吸引する魅力は衰えを見せないのであり、その熱が収まらない限りは不動産屋さんの勝ちは揺るぎそうもないのである。

どうでもいい四百字 2511

2019-11-22 20:16:03 | 時間の無駄
大学入学共通テストの記述式問題で、色々悶着している様である。最大の懸念は「採点者に因るブレ」であろう。どの程度の人数をアルバイトでかき集めるのかは知らないが、「受験者の方が表現・語彙力が上」である可能性は排除できまい。そう云う難題こそAIにまとめてぶち込んで学習させ、最適な解答との偏差を数値化すべきだと思うのだが、そのアルゴリズムを誰が組むのかで悶着するだろうから、もう共通テストはマークシートで雑にふるい分けする方便だと割り切ったが賢いと思う。そもそもの国語教育自体も、根本的な見直しを提言したい。思考力・判断力・表現力を問うとしているが、それは「道具」としての言語教育であり、日本語に限った話ではあるまい。社会生活に必要不可欠な読み書き能力を身に着ける実学としての「日本語」と、それを習得した上で古典や思想芸術作品の薫陶を受ける、教養としての「国語」に分けた方が良いと思うとぞなむ、伝えけるとや。

どうでもいい四百字 2510

2019-11-21 19:54:12 | 時間の無駄
こう云うのを官僚に作らせたらダメだってば。パワハラ防止法施行に向けた指針案が、厚労省・労働政策審議会から出されたのを一読しての感想である。何をしたらパワハラなのかが分からないと指導も出来ない、と云う声に応えたのであろうが、見事なまでの玉虫色である。「社会的ルールを欠いた言動が改善されない労働者に強く注意する事」はパワハラに該当しないそうだが、自分の常識をルールだと思い込んでいるおっさんは山ほど居るし、強弱の受け取り方も相手によりけりだろう。そう云う線引きが困難な物事に条文主義で列挙・細分化していては、「書いてないからやっていいんだ」的なモラルハザードを招くだけである。上司と部下と云っても所詮は人間の付き合いであり、ソリの合う合わないはどうしても出る。ここは「その指導に愛はあるかい?愛を感じているかい?」と一言添えるだけで十分だと思うのだが、法律とロマン主義の相性も決して良くはないのである。