令和になって初めての正月である。新時代に向けて気分一新するよりも、これから昭和世代は異邦人を見る様な目で見られるであろうと云う根拠の無い漠然とした不安に苛まれている。私達が明治世代に抱いていたイメージと似た様なものであろう。そもそも昭和が激動過ぎたせいで、親世代である戦中・戦後生まれとも価値観が極端に異なる様に思う。まず大抵は、兄弟姉妹の誰かが夭逝している。皆息災だったとしても、食糧不足を経験している。好き嫌いせず残さず食え、と云う教育指導が批判される時代が来ようとは夢にも思わなかっただろう。死と飢えとが日常だったのは高々60年前なのだが、私でも想像は困難である。令和生まれが成人する頃、果たして昭和がどう評価されるのかは分からないが、何となく「平成の大停滞を招いた元凶」扱いされそうな気がする。それは必ずしも間違いでは無いのだが、一つの時代を単純化して判断するのは、色々な意味で危険なのである。
窓辺ななみの卒業まで残り僅かである。ご存知無い方の為に補足しない。Windows7のサポート終了が1月14日に迫ったが、まだの方はジタバタしても遅いので、新しいパソコンが来るまでネットから遮断しておく事をお勧めしたい。機械制御等の特殊用途では、まだDOSやXpが頑張っている所もあるが、あれはOSがインターネットを前提とした設計になっていないから可能なのであって、7や8を危険を冒してまで使い続けるメリットは無い。Win10からはその傾向は更に顕著となり、ネット経由でOSをメジャーアップグレードとか背筋の凍る様な荒業を平気でこなす様になった。将来的にはOffice365同様、機能の大半をクラウドに置き手元ではUI処理に特化したサブスクモデル(初年度無料)への誘導を目論んでいると睨んでいる。そうなった時のサポート終了のインパクトたるや現在の比ではないのであるが、そんな些細な事よりも新たな擬人化キャラが見られなくなりそうなのが、少々寂しいのである。
何となくモヤる。記録ラッシュに沸いた箱根大学駅伝であるが、参加選手210人中、177人がナイキの厚底シューズを履いていたとの事である。アスリートとスポーツメーカの弛まぬ努力が生んだ成果と好意的に解釈しているが、「下駄を履いた」感は否めない。ただナイキの靴を購入出来る経済力も含めた総合的な競争と云うのも一面真実には違いなく、その線引きをどうすべきか、私が口を出せる話でもない。しかし目覚ましい技術進歩の結果、いずれ「何処までが道具なのか」と云う問題に行き当たると思う。バッタのジャンプ力を移植された改造人間も居たが、そこまで非人道的では無いにせよ、体に埋め込む何かのお陰で記録が飛躍的に伸びるとしたら、ドーピングに当たらない限り大抵のアスリートはやると思う。日々鍛錬に励むのと変わらないからである。だから周囲が何らかの歯止めを掛けておくべきだと思うし、少なくともピンク以外の選択肢も用意してあげたいのである。
早朝3時に叩き起こされ、ご機嫌ナナメのさいたまである。スマホの普及によって災害情報が迅速に行き渡る様になったのは、IT社会の威張って良い側面である。幸い大きな被害が発生しなかった事を素直に喜びたいし、空振りを恐れずに警報を発令した気象庁の姿勢を、評価したいと思っている。振り返ってみれば、この通知が無ければ命を落としていた、と感謝する時が来るかも知れない。しかし今日現在に於いては熟睡中にビビらされてしかも何も起きませんでしたテヘペロと云う状況は、不愉快極まりないと素直に白状する。正月ボケでへべれけな頭で「これは正しい事なのだ」と理解はしても気持ち的に収まらない所に器の小ささを感じるが、ともあれ何かあればきちんと作動する確認が出来ただけでも、こいつぁ春から縁起が良いわいと無理矢理納得する方向に話を持っていきたい。そして地震予知の精度向上を速やかに進めて頂きたいと、眠い目を擦りながら願うのである。
年始早々、キャッシュレスに煮え湯を飲まされた。お賽銭の小銭が無い。より正確を期するならば、百円玉と五百円玉しか無い。コンビニ等で崩す機会が有ったにも拘わらず、何時も通り何ちゃらペイで精算していたのが悔やまれる。境内を見回しても御守りとか破魔矢とか焼きそばとかチョコバナナとかが、キリの良い金額で売られているのみである。血涙を振り絞り百円を奉納し、普段より念入りに祈願を済ませた。一部寺社ではキャッシュレス対応している様だが、それが浸透するのはもう暫く先だろうし、抵抗感を抱く人も少なからず居る様なので、当面は参拝の前に両替を済ませておくべきだろう。ただコンビニでよく購入しているペットボトル飲料は百円であるし、小銭が欲しいからと云ってそれ以上支払う位なら神仏にお供えすべきである。何よりキャッシュレス精算なら2%引きなのにわざわざ現金を使うのは、百円の賽銭をケチる人間からすれば有り得ない話なのである。