真理を言い当てている様でもあるし、単なるやせ我慢の様にも見える。何かと箴言を残しがちなバートランド・ラッセルであるが、その中の一つに「欲しいものを幾つか持っていないことこそ、幸福の不可欠の要素である」が有る。言われてみれば物欲に悶え苦しんでいる瞬間が、一番充実している様な気もするのだが、欲しいものが数日振りの食事なのだとしたら幸福を感じている場合では無い。それに頑張れば(若しくは我慢すれば)手に入る可能性が有るものでなければ、幸福に寄与する事は無さそうである。私は5000兆円を持っていないので幸せだ、と云う理屈はどう考えても通らない。日々の暮らしに不自由は無いけど変化に乏しくて退屈、の様な有閑マダム的な幸福が最も近い様に思えるのだが、当の本人が満足するかは別の問題である。「現実の人生とは、理想と可能性の永遠の妥協」だそうなので、何かが足りない生活に甘んじるのも一つの幸福の形には違いないのである。
また無理難題をふっかける。埼玉県川口市議会が「大きな声で川口が大好きだと叫んでみませんか川口プライド条例」を可決、来年4月施行となるそうである。住みやすさランキングでは上位でも魅力を感じる市民は32%と云うアンケート結果に危機感を抱いた末の暴挙の様だが、具体的に何をすれば良いのか困るだろう。「川口バンザーイ」と叫びながら京浜東北線で東京に通勤通学するのもアイディアの一つかも知れないが、前衛的な宗教団体と勘違いされる恐れも有る。自転車で荒川を渡れば世界的観光地・東京に行けるのである。地元に魅力を感じろと云う方がおかしい。市議会としては何らかの実績を残さねばならないからオシャレな多目的施設とか由縁の薄い祭りとかを無駄に作りがちであるが、平凡に暮らせると云う事実を可視化する方がよっぽど理に適っている。極上海鮮丼の魅力も土台のご飯があってこそなのであり、その安心感は敢えて口に出すものでは無いのである。
また世間が混乱する様な事を言う。マイナンバーとSuicaやPASMOを紐付け、交通機関の料金割引を自動化すると云う記事を読んで良い方向だと思っていたのであるが、そこに河野デジタル相の不穏な発言である。クレカ情報をマイナカードに紐付け、観光地等でのキャッシュレス決済の一元化を図るとか、何でマイナカードを携行させる方向にも持っていこうとするかな。寄せるのならどちらか一方にするべきだし、余計な決済手段を増やすよりもクレカの本人確認にマイナンバーを使用する様に促すべきだろう。「持っていて良かった」と云う世論にどうにかして誘導したい気持ちは分かるが、マイナカードに盗むに足りる価値を付与するのはどう考えても悪手である。一体化の推進でただでさえ再発行の難易度が爆上がりしている(マイナカード無しでどうやって本人確認するのか)のであり、全国のうっかり者を代表して紛失等の非常時の復帰手順を再検討して欲しいと提言するのである。
57は素数。一部地域で有名な逸話であるが、数学者で四則演算を苦手とする人は案外多いらしい。彼らは抽象概念を式に落とし込んで証明するのが主な仕事であり、その後の計算は電卓でやってくれと云う話なのだろう。これは初等教育が直面している課題でもある様に思える。漢字を何回も書き取り練習したり計算ドリルを延々解き続けたりと云う基礎学力を鍛えなくても、コンピュータが有れば実社会では大抵何とかなる。最近はGoogle Lensで二次方程式を読ませると、途中式も含め答えが出てくる所にまで進化している。学校としては苦慮している所だろう。基礎を疎かにすればより抽象度が上がる高等教育にも影響が及びそうであるが、日常生活で困らないのも確かである。新橋駅前のサラリーマンに円錐の体積を求めさせて、何人正解出来るか実験してみたい。学問の在り方を見直す契機であり、めっきり手書きをしなくなった57歳も、リスキリングすべきなのかも知れないのである。
生体認証が最も望ましい本人確認手段だと思っている。だから期待を寄せているが、同時に不安でもある。JR西日本は来年3月から顔認証改札機の実証実験を、大阪駅うめきた地下口と新大阪駅東口で開始するそうである。モニターの要件は両駅を利用可能なICOCA定期券所有者との事で、残念ながら私は参加出来ないが、多くの方の協力を得られると確信している。ラッシュ時に遅滞無く判別出来るかが実用化の鍵となるだろう。その実験場として大阪は最適であると、かつて居住していた経験から断言出来る。とにかく「いらち」が多い。電車は停止する前にドアを開くし、交差点の信号が変わる前に渡り始める。改札を渋滞させようものなら、怒号罵声が飛び交う土地柄である。もしちゃっちゃと通過出来る様になれば、諸手を挙げて歓迎されるだろう。ただ駆け抜けようとする人や変顔でAIを混乱させようとする人が現れがちな土地柄でもあり、その点に一抹の不安を感じるのである。