行雲流水の如くに

「道徳の授業」など本当に必要なのか?

朝日新聞の22日の紙面に、「どう思いますか道徳の授業」という記事があった。

私の小・中学校時代に道徳の授業などなかったので、そこまでする必要があるのかといぶかしく思った次第。

道徳教育とは何ぞやというと、

道徳的な心情を育て、判断力・実践意欲を持たせるなど道徳性を養う教育のことを日本では主にいう。(ウイキペディア)

何とも抽象的でよくわからない。

 

具体的なことを言えば、国会で100回以上嘘を吐くことは道徳的に許されるのか?

反社会的な問題を抱えた宗教団体から選挙の支援を受けるのは問題がないのか?

道徳教育をやり直すべきは、この国のトップからというのでは何とも寂しい国になったものだ。

この道徳教育が本格的に始まったのは2018年からと言うから笑ってしまう。

安倍政権下で始まったわけだ。

 

人の道は、学校の授業などでわかるものではない。

まず最初に、父や母の背中から学ぶものだ。

その上で、学校の先生や日常の出来事の中から学んでいく。

 

事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、自然心を動かす人有れ共、人は道を行うものゆえ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。         西郷南洲


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コメント一覧

megii123
i1189さん、こんにちは。
おっしゃる通り、ブラックジョークです。
i1189
嘘つき安倍晋三が道徳教育を始めたとはほんとうにお笑いですねえ。ブラックジョーク
megii123
shimaさん、こんにちは。
子供に道徳教育をするということを決めたのは、安倍政権下でした。
根底にある考え方は「戦前回帰」だったのでしょう。
しかし彼は「反面教師」として名前を覚えられることになるとは、皮肉なものです。

「無理なく育まれた道徳心」大賛成です。
megii123
kenちゃん、こんにちは。
朝日新聞の問いは、「道徳授業に正解はあるのか」でした。
この点に関しては賛否両論あると思います。
しかし、何ら結論を出さずに生徒たちに問題を丸投げしているのではないかと言う疑問が消えません。
些事末節は別にして、大筋で太い幹(正解)が無ければと思うからです。
kenちゃんの場合、「正直たれ」だったわけですね。

今や廃れた「頑固おやじやおふくろ」頑張れと言いたいですね。
fumiel-shima
行雲さん、こんにちは。

そうですね、私たちの時代には道徳の授業はありませんでしたし、「道徳」などと声高に叫ばなくても家庭での日常の生活から身についていったものだと思いますね。

社会全体が裕福ではなっかった時代でも犯罪が少なかったことからも現在よりは一人一人に道徳心は身についていたものと考えられますね。
現在のような自分さえ良ければ・・というように弱者をも標的にするような計画的な「特殊詐欺」などはほとんど見られませんでしたし、無理なく育まれた道徳心によるブレーキは効いていたと思うのです。
knsw0805
行雲さん、おはようございます。

「人の道は、学校の授業などでわかるものではない。まず最初に、父や母の背中から学ぶものだ。その上で、学校の先生や日常の出来事の中から学んでいく」このご意見には大賛成です。実は私の長男が高校2年生からぐれて苦労しました。その時、私の自室に呼んで酒もたばこも一緒に飲んで喫って人間のしてはならないことを必死で教えました「強盗、殺人、放火、詐欺、暴行、窃盗etc」昨日の小村寿太郎ではありませんが「正直たれ」と、ほとんど出張から帰って毎週話しました。今では普通の良き親父、二人の父になっています。今から思えば嘘のような過去の物語です。

昨今余りにも目に余る事件が横行していますが、全ては両親のしつけ、教師の学級経営に問題があり、そして現代兵器「スマートフォン」等の悪しきIAの利用があります。道徳教育は必要と思っていますが、字ずらの勉強では意味はありません。小学校から高校までの学級担任となった一人一人の教師が如何に熱を入れて子供を教育するかそれが全てだと思っています。ちなみに私は母が私を道徳的に導いてくれたと信じています。命の張れる両親・教師、これこそが日本を救います。
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