この国の教育は、教養や深い洞察力もないまま戦後教育の問題を糺すということから修正が進んでいる。
保守的思想から戦前回帰のような傾向がみられる。
それも昭和の一時期を睨んだもので明治期の教育論の方が優れている気がする。
小学生に道徳教育など教えているようだが、施政者(自民党の裏金議員たち)の方から先に学ぶべきだろう。
明治期の教育論には見るべきものがある。
丸屋武士著、「嘉納治五郎と安部磯雄」に嘉納の教育論が紹介されている。
善悪正邪を判別する力、正しいことをして満足し、よこしまなることを行って不快を感ずる心、これらの修養は、終生つきまとうところのものであって、中等教育以前にすでに養われる力である。およそ社会の表面に立ちて大なる仕事をなす場合、その人の力は中等教育以後の教育によって養われるものが多いが、普通教育において道徳的修養の出来ていなかった人は、力はあってもその力を誤ることが少なくない。大なる力はあっても誤れる方向にこれを用いるときは、人は益せず、己を誤る結果を生ずる。
これに反して、たとい力は微弱でもこれを用いる方向が正にして善なる場合においては、その力相応に人をも益し己をも利することができるであろう。
AIだスマホだと何か非常に知的能力が進んだような気がして、肝心の「修養」が吹っ飛んでいる。
本来逆のはずだ。
もっとも「修養」などという言葉を持ち出せば「昭和の考え方」だなどと揶揄されかねないが。
嘉納治五郎は他者(外国人)が自分たちより優れていることを認めたがらない内向きでひ弱な精神構造とは全く無縁の、「剛毅闊達な精神」の持ち主であった。 丸屋武士