僕はあまり誰かに似ていると言われたことがありません。
芸能人はもちろん、両親に似ているとも言われません。
それでもただ一人、自分でも似ていると思う人がいます。
それは、父方の祖父のお兄さんです。
話したことはありません。
会ったこともありません。
あるのはセピア色をした写真が一枚。
僕と同じ顔をした人が、僕と同じような年齢で、凛々しい軍服を着ている写真が家の仏間に飾られています。
彼は僕より年をとることはありません。
彼は今もビルマに眠っているからです。
今日は8月15日、終戦記念日。
普段はそんなことを考えない人でも、今日ぐらいは過去を振り返り、現在に感謝し、未来に思いを馳せても良いのではないでしょうか。
時事的なことを言うと、ニュースを騒がせているあれこれにも正解はありません。
賛成だろうが反対だろうが、マジョリティだろうがマイノリティだろうが、そんなことはどっちでも構いません。
大切なのは「自分で考え、自分の意見を持つ」ことです。
さて、ここからは塾っぽいお話。
「自分の考え」ということなのですが、よく日本の勉強はインプットだけで、アウトプットはしないと言われます。
詰め込むだけで、自分の意見を言わないと。
でも、そんなことはありません。
それは教えている側の聞き方が悪いだけで、誰しも「表現欲」というものを持っています。
昨今のTwitterの流行がそれを物語っているじゃないですか。
とか言うと、学校の大先生達は「今日はディベートをしよう」だとか、「今の社会情勢についてどう思うか」とかやっちゃうんですよね。
そんなもん教員のおっさん達が集まっても出来ないのに、中高生にさせてどないすんねん!って感じです。
「考える」ってのは、きっとそんな堅苦しいものではないはずです。
例えば、英語の熟語一つ取って「なんで depend に on をつけるんだろう?」とか、「なんで independent は on じゃなくて、of なんだろう?」と聞くだけで、皆どんどん頭を使って考えてくれます。
他にも、今、僕が担当している高校二年生の集団授業では、英語教育の一環として、毎回10分程度の英語のプレゼンテーションを見てもらっています。
アーティストや科学者、平和活動家から詐欺師に至るまで、あらゆるジャンルの第一人者のプレゼンテーションです。
僕は意見を押し付ける訳でもなく、ただ環境を与えるだけです。
そうすると、授業終わりの休み時間なんかに、それについてあーだこーだ皆で話し合ってたりするんですよね。
「そんなことをして、ちゃんと勉強を教えてるのか」と怒られそうですが、心配ご無用。
それぞれ高校は違えど、クラス上位はもちろん、以前に比べて30点以上英語の点数が上がったり、学年一位の生徒までいて、しっかりと結果も残してくれています。
これは僕のスーパー分かり易く、ウルトラ楽しく、ミラクル素晴らしい授業のおかげでもありますが、「自分で考える」癖をつけた結果なんだろうなと思っています。
"Don't think. Feel."
は、君たちにはまだ早い。
"Think, think, think."
頭を使おう。
koiでした!
あ、明日から合宿!
遅刻したらドラゴンが燃えます。
おしまい。