ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

誰に・・・

2009年02月11日 14時58分00秒 | 雑感
ふと思う、いったい自分は誰に似ているのだろう?
そして古今の有名な人たちのことを思い浮かべる。

周恩来は毛沢東にいじめ続けられても、生涯、毛沢東を支え続けた。
そして決してトップに立とうとしなかった。
こう聞くと周恩来にそっくりなのに気づく。
確かに今までトップに立とうとしたことがない。
それどころかいつも人の後からついていった。
そうだ周恩来に似てたのだ。

そればかりではない。
ブラームスは時間をかけて熟成させて名曲を作り上げた。
交響曲1番を書き上げたのは40過ぎてから。
モーツアルトは36歳の生涯で41の交響曲を書き、
シューベルトは31歳の生涯で9つの交響曲を書いている。
まさに大器晩成の見本みたいなもの。
そうだブラームスにも似てたのだ。
傍目にはたんなるぐずだと見えても本当は大器だったのだ。
ただブラームスと違うのは大器なのだけど晩成していないだけだ。
ということはこれからブラームス以上に大成することが予想される。
ただ生きてるうちに大成できるかどうかは予測できないけど。

レオナルド・ダヴィンチはあれほど素晴らしい絵を書き上げたのにそれはすべて未完成だという。
それに仕事が遅く、ミケランジェロからからかわれた。
しかしそれはダヴィンチのあくなき美への追及の現れなのだ。
ここもよく似ている。
思い出してみると今までに満足した仕事はただのひとつもない。
仕事をした後振り返ってみるとああしたらよ良かったなぁ、とか、こうしたらよかったのになぁ、とか後悔ばかりしていた。
そして最良の作品はこれから作る作品だということに気づく。
ここら辺もダヴィンチにそっくりなのだ。
ただ違いはひとつ。後世に残せる作品がひとつもないということ、これはとりもなおさずダヴィンチ以上に美への追求が強いということでもある。

田中さんは間違いの積み重ねによってノーベル賞をもらうことが出来たという。
間違いの積み重ねというと、まるで自分自身の人生を見るようだ。
今までを振り返ると確かにろくな人生ではなかった。
ただ田中さんと違うことはまだノーベル賞をもらってないという、ほんの1点だけだということに気づく。
それは何よりも褒章や地位や名誉にとらわれない淡白で謙虚な人間だということを現している。

こう考えると自分は誰に似ているかというと
周恩来とブラームスとレオナルド・ダヴィンチと田中さんを足してそれに謙虚さを付け加えた人間だということがわかる。
コメント (2)
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鹿にも仁義

2009年02月11日 09時57分23秒 | 田舎暮らし
小鹿が毎晩電柵の中にはいって畑を荒らす。
今まではこんなことはなかった。
里山で暮らす以上そこは人間との間に仁義と言うものがある。
たとえ電気柵を飛び越えることが出来ても、
「ははぁ~ん、ここには入ってはいけないんだなぁ」と飛び越えてはこなかった。

ところが今では毎晩のように現れて水仙や野菜を食べつくす。
確かに虫も野菜を食べるけど全滅させることはまずない。
たいてい何割かは残っている。
ところが鹿は全滅するまで食べつくす。
それに相手は小鹿。
まだ「仁義」というものがよくわかっていないらしい。
ちゃんと親鹿は教育しておいてもらわないと困る。

というわけで苺もホウレンソウもオカノリもほぼ全滅。
果樹園の水仙も・・・。
ここを水仙の郷にしようという計画もこれで1年遅れる。
~水仙の球根は残っているので来年は生えてくるだろう・・・

それでさすがに我慢できなくなって、電気柵を直す事にした。
どうやら小鹿は電気柵の下を潜り抜けてきているらしいので、
今までは線を4本通していたのだけど、5本にすることにした。
そして一番下の線を15センチに下げた。
15センチにすると草がすぐに伸びて漏電するので、下草刈りが面倒になる。
あまりやりたくはなかったのだけどそうもいっていられない。

というわけでこれでさすがの鹿ももう入ってこれないだろう。
あまり人間をなめるものではない。
そして悔い改めてもとの清く正しい鹿になって欲しい。
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