ふと思う、いったい自分は誰に似ているのだろう?
そして古今の有名な人たちのことを思い浮かべる。
周恩来は毛沢東にいじめ続けられても、生涯、毛沢東を支え続けた。
そして決してトップに立とうとしなかった。
こう聞くと周恩来にそっくりなのに気づく。
確かに今までトップに立とうとしたことがない。
それどころかいつも人の後からついていった。
そうだ周恩来に似てたのだ。
そればかりではない。
ブラームスは時間をかけて熟成させて名曲を作り上げた。
交響曲1番を書き上げたのは40過ぎてから。
モーツアルトは36歳の生涯で41の交響曲を書き、
シューベルトは31歳の生涯で9つの交響曲を書いている。
まさに大器晩成の見本みたいなもの。
そうだブラームスにも似てたのだ。
傍目にはたんなるぐずだと見えても本当は大器だったのだ。
ただブラームスと違うのは大器なのだけど晩成していないだけだ。
ということはこれからブラームス以上に大成することが予想される。
ただ生きてるうちに大成できるかどうかは予測できないけど。
レオナルド・ダヴィンチはあれほど素晴らしい絵を書き上げたのにそれはすべて未完成だという。
それに仕事が遅く、ミケランジェロからからかわれた。
しかしそれはダヴィンチのあくなき美への追及の現れなのだ。
ここもよく似ている。
思い出してみると今までに満足した仕事はただのひとつもない。
仕事をした後振り返ってみるとああしたらよ良かったなぁ、とか、こうしたらよかったのになぁ、とか後悔ばかりしていた。
そして最良の作品はこれから作る作品だということに気づく。
ここら辺もダヴィンチにそっくりなのだ。
ただ違いはひとつ。後世に残せる作品がひとつもないということ、これはとりもなおさずダヴィンチ以上に美への追求が強いということでもある。
田中さんは間違いの積み重ねによってノーベル賞をもらうことが出来たという。
間違いの積み重ねというと、まるで自分自身の人生を見るようだ。
今までを振り返ると確かにろくな人生ではなかった。
ただ田中さんと違うことはまだノーベル賞をもらってないという、ほんの1点だけだということに気づく。
それは何よりも褒章や地位や名誉にとらわれない淡白で謙虚な人間だということを現している。
こう考えると自分は誰に似ているかというと
周恩来とブラームスとレオナルド・ダヴィンチと田中さんを足してそれに謙虚さを付け加えた人間だということがわかる。
そして古今の有名な人たちのことを思い浮かべる。
周恩来は毛沢東にいじめ続けられても、生涯、毛沢東を支え続けた。
そして決してトップに立とうとしなかった。
こう聞くと周恩来にそっくりなのに気づく。
確かに今までトップに立とうとしたことがない。
それどころかいつも人の後からついていった。
そうだ周恩来に似てたのだ。
そればかりではない。
ブラームスは時間をかけて熟成させて名曲を作り上げた。
交響曲1番を書き上げたのは40過ぎてから。
モーツアルトは36歳の生涯で41の交響曲を書き、
シューベルトは31歳の生涯で9つの交響曲を書いている。
まさに大器晩成の見本みたいなもの。
そうだブラームスにも似てたのだ。
傍目にはたんなるぐずだと見えても本当は大器だったのだ。
ただブラームスと違うのは大器なのだけど晩成していないだけだ。
ということはこれからブラームス以上に大成することが予想される。
ただ生きてるうちに大成できるかどうかは予測できないけど。
レオナルド・ダヴィンチはあれほど素晴らしい絵を書き上げたのにそれはすべて未完成だという。
それに仕事が遅く、ミケランジェロからからかわれた。
しかしそれはダヴィンチのあくなき美への追及の現れなのだ。
ここもよく似ている。
思い出してみると今までに満足した仕事はただのひとつもない。
仕事をした後振り返ってみるとああしたらよ良かったなぁ、とか、こうしたらよかったのになぁ、とか後悔ばかりしていた。
そして最良の作品はこれから作る作品だということに気づく。
ここら辺もダヴィンチにそっくりなのだ。
ただ違いはひとつ。後世に残せる作品がひとつもないということ、これはとりもなおさずダヴィンチ以上に美への追求が強いということでもある。
田中さんは間違いの積み重ねによってノーベル賞をもらうことが出来たという。
間違いの積み重ねというと、まるで自分自身の人生を見るようだ。
今までを振り返ると確かにろくな人生ではなかった。
ただ田中さんと違うことはまだノーベル賞をもらってないという、ほんの1点だけだということに気づく。
それは何よりも褒章や地位や名誉にとらわれない淡白で謙虚な人間だということを現している。
こう考えると自分は誰に似ているかというと
周恩来とブラームスとレオナルド・ダヴィンチと田中さんを足してそれに謙虚さを付け加えた人間だということがわかる。