なんか、よく知らないけど・・・日蝕と言うものがあるらしい。
しかもとっても珍しい金冠日蝕。
でもここではほんのちょっと外れてて部分日蝕しか見れない。
それでもめったに見れないので、日蝕と言うものを久しぶりにみたいなぁと思っている。
子供の頃は日蝕観察用にガラスをろうそくの火の上に当てて煤ガラスを作った。
でも割れてばかりだった。
それでも煤がついたガラスの破片で日蝕を見たものだった。
でも最近は煤ガラスで太陽を見てはいけない・・・ことになってるらしい。
子供の頃は煤ガラスでよく太陽を見たけどなぁ・・・
でも別に目はなんともない・・・
もっともこのぐうたら百姓、人間を見る目はもしかしたらかなり偏ってるかも知れない・・・
(煤ガラスの後遺症?)
好き嫌いがはっきりしているから。
我慢して我慢して我慢して・・・そのうち我慢の限度を越えたら・・・もう絶対にその人を受け付けない。
ある程度の限度を越えたらもう体が受け付けなくなる花粉症患者みたいなものだ。
事実花粉症なのだけど・・・
なんて話ではなくて日蝕メガネの話。
日蝕メガネってどこで売ってるのだろう?
コンビニや100均で売ってるのだろうか?
ぜんぜん見かけないのだけど・・・
やっぱりメガネ屋に行かないとダメなのだろうか?
メガネ屋に行ったら、まず視力検査をさせられて、フレームを選ばされて、レンズを選ばされて、
遠近両用にしますか、なんていわれて、
そのたびに値段が倍・・・倍・・・倍・・・になっていって・・・
なんてついつい考えて、億劫になり、ついつい足が遠のく。
そしてふと思う。
そうだ!日蝕が終ったらきっと安くなるに違いない。
そうだ!日蝕が終ってから買うことにしよう!!
でもやっぱり思いなおす。
日蝕が終って、日蝕メガネを買っていったいどうしようと言うのだろう?
やっぱりここは煤ガラスなのだろうか?
ところで日蝕のはなし。
近頃は日蝕を「日食」と書くらしい。
でもねぇ~
やっぱり「日食」にはなんか抵抗がある。
太陽を「食べる」ことについて。
やっぱりあまり太陽を食べる気にはなれない。
それで「日蝕」という文字を使ってしまう。
太陽を食べるのでなく太陽を虫食む・・・見たいな感じがいいと思う。
しかもとっても珍しい金冠日蝕。
でもここではほんのちょっと外れてて部分日蝕しか見れない。
それでもめったに見れないので、日蝕と言うものを久しぶりにみたいなぁと思っている。
子供の頃は日蝕観察用にガラスをろうそくの火の上に当てて煤ガラスを作った。
でも割れてばかりだった。
それでも煤がついたガラスの破片で日蝕を見たものだった。
でも最近は煤ガラスで太陽を見てはいけない・・・ことになってるらしい。
子供の頃は煤ガラスでよく太陽を見たけどなぁ・・・
でも別に目はなんともない・・・
もっともこのぐうたら百姓、人間を見る目はもしかしたらかなり偏ってるかも知れない・・・
(煤ガラスの後遺症?)
好き嫌いがはっきりしているから。
我慢して我慢して我慢して・・・そのうち我慢の限度を越えたら・・・もう絶対にその人を受け付けない。
ある程度の限度を越えたらもう体が受け付けなくなる花粉症患者みたいなものだ。
事実花粉症なのだけど・・・
なんて話ではなくて日蝕メガネの話。
日蝕メガネってどこで売ってるのだろう?
コンビニや100均で売ってるのだろうか?
ぜんぜん見かけないのだけど・・・
やっぱりメガネ屋に行かないとダメなのだろうか?
メガネ屋に行ったら、まず視力検査をさせられて、フレームを選ばされて、レンズを選ばされて、
遠近両用にしますか、なんていわれて、
そのたびに値段が倍・・・倍・・・倍・・・になっていって・・・
なんてついつい考えて、億劫になり、ついつい足が遠のく。
そしてふと思う。
そうだ!日蝕が終ったらきっと安くなるに違いない。
そうだ!日蝕が終ってから買うことにしよう!!
でもやっぱり思いなおす。
日蝕が終って、日蝕メガネを買っていったいどうしようと言うのだろう?
やっぱりここは煤ガラスなのだろうか?
ところで日蝕のはなし。
近頃は日蝕を「日食」と書くらしい。
でもねぇ~
やっぱり「日食」にはなんか抵抗がある。
太陽を「食べる」ことについて。
やっぱりあまり太陽を食べる気にはなれない。
それで「日蝕」という文字を使ってしまう。
太陽を食べるのでなく太陽を虫食む・・・見たいな感じがいいと思う。