昨日書いたかわいそうな県(1)どうやら酔っぱらって途中で寝てしまったらしい。
読み返してみると最後のほうは意味不明だ。
というわけで少し直して、昨日の続き。
鳥取県をかわいそうな県と書いたけど、別に嫌いなわけではない。
むしろ好きな県、というか心から同情している。
・・・なんて書くと大きなお世話!と言われそう。
鳥取は砂丘だけの県ではない。
あの大山がある。
登ったことはないけど、あんまり登りたいとも思わないけど、雄大でいい山だ。
ところで岡山側から見る大山を裏大山、鳥取(米子)側から見る山を表大山というらしい。
確かに海側から見る大山はやっぱり静岡県側から見る富士山と同じように、いかにも表にふさわしい。
でもついつい山陽を表、山陰を裏と思ってしまうので鳥取側を裏大山のような気がしてた。
まあ鳥取はこれくらいにして、隣の島根。
ここもなんかかわいそうな気がする。
寒そう、貧しそう、暗そう・・・
あの出雲大社があるけど、あそこの神は黄泉の神、
それに隠岐や石見銀山・・・というと罪人・流人をイメージする。
でもそうはいってもやっぱり出雲大社の存在は大きい。
三重県が伊勢神宮だけでもってるように、
島根も出雲大社で持っている。
それに松江市の風情も捨てがたい。
というわけで島根はかわいそうな県とは言えない。
・・・と勝手に思っている。
次に話のついでに三重県。
これはかわいそう!
伊勢神宮以外三重県のイメージがまったく浮かんでこない。
北は名古屋圏内、西は奈良・大阪圏内、南はもう和歌山。
三重に分裂している県。
伊勢近辺は何とか伊勢神宮で持っている。
桑名は焼きハマグリで何とか持っている。
でも山のほうに入ると・・・
伊賀上野なんか忍者でもしないと暮らしていけない。
そんな貧しいイメージ。
そこをかろうじて伊勢神宮がつないでいる・・・という気がする。
でも島根の出雲大社と同じく、伊勢神宮の存在は大きい。
それに出雲大社の死の神と違い伊勢神宮は太陽の神。
やっぱり三重県も(本当はとってもかわいそうな県だけど)かわいそうな県から外すことにしよう。
読み返してみると最後のほうは意味不明だ。
というわけで少し直して、昨日の続き。
鳥取県をかわいそうな県と書いたけど、別に嫌いなわけではない。
むしろ好きな県、というか心から同情している。
・・・なんて書くと大きなお世話!と言われそう。
鳥取は砂丘だけの県ではない。
あの大山がある。
登ったことはないけど、あんまり登りたいとも思わないけど、雄大でいい山だ。
ところで岡山側から見る大山を裏大山、鳥取(米子)側から見る山を表大山というらしい。
確かに海側から見る大山はやっぱり静岡県側から見る富士山と同じように、いかにも表にふさわしい。
でもついつい山陽を表、山陰を裏と思ってしまうので鳥取側を裏大山のような気がしてた。
まあ鳥取はこれくらいにして、隣の島根。
ここもなんかかわいそうな気がする。
寒そう、貧しそう、暗そう・・・
あの出雲大社があるけど、あそこの神は黄泉の神、
それに隠岐や石見銀山・・・というと罪人・流人をイメージする。
でもそうはいってもやっぱり出雲大社の存在は大きい。
三重県が伊勢神宮だけでもってるように、
島根も出雲大社で持っている。
それに松江市の風情も捨てがたい。
というわけで島根はかわいそうな県とは言えない。
・・・と勝手に思っている。
次に話のついでに三重県。
これはかわいそう!
伊勢神宮以外三重県のイメージがまったく浮かんでこない。
北は名古屋圏内、西は奈良・大阪圏内、南はもう和歌山。
三重に分裂している県。
伊勢近辺は何とか伊勢神宮で持っている。
桑名は焼きハマグリで何とか持っている。
でも山のほうに入ると・・・
伊賀上野なんか忍者でもしないと暮らしていけない。
そんな貧しいイメージ。
そこをかろうじて伊勢神宮がつないでいる・・・という気がする。
でも島根の出雲大社と同じく、伊勢神宮の存在は大きい。
それに出雲大社の死の神と違い伊勢神宮は太陽の神。
やっぱり三重県も(本当はとってもかわいそうな県だけど)かわいそうな県から外すことにしよう。