昔々サラリーマンをしてた頃、
あるとき大正時代にタイムスリップした。
そこは「赤い鳥」というココア専門の喫茶店、たまたま入った店。
そこには「赤い鳥」という雑誌がたくさん置いてあった。
「赤い鳥」~雑誌の名前は知っていたけど見るのは初めて、読むのも初めて。
川のそばのレトロな店でざらざらした紙にプリントされた粗末な小雑誌「赤い鳥」を読んだ。
あるとき大正時代にタイムスリップした。
そこは「赤い鳥」というココア専門の喫茶店、たまたま入った店。
そこには「赤い鳥」という雑誌がたくさん置いてあった。
「赤い鳥」~雑誌の名前は知っていたけど見るのは初めて、読むのも初めて。
川のそばのレトロな店でざらざらした紙にプリントされた粗末な小雑誌「赤い鳥」を読んだ。
「赤い鳥」は大正6年、鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌。
鈴木三重吉は作家で教育者でもあった。
それで児童文学に情熱を持ったのだろう。
それまでの政府が進めてきた唱歌や説話を愚劣で低級だとして、
新たに童話と童謡の児童雑誌を創刊したのだった。
今の立場で見ると明治・大正の唱歌を愚劣で低級だとは少しも思わないけど、
まあいつの時代でも若者は時の権力者や政権に反対するもの。
逆に権力者や政権にべったりの若者がいたら、これはとっても気持ち悪い。
というわけで大正6年に児童雑誌を創刊して多くの若者が集まった。
そうそうたるメンバーが。
鈴木三重吉は漱石門下でもあったので、きっとまず同じ漱石門下の芥川龍之介に話を持ち込み、渋る芥川を無理やり引きずり込んだ・・・と勝手に想像する。
さらに鈴木三重吉はとってもリーダーシップがあったのか、
有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声などを巻き込んで「赤い鳥」を立ち上げ創刊する。
その後、小山内薫、久保田万太郎、菊池寛、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風・・・らも作品を寄稿したり編集に携わった。
そう、日本の文壇の大御所たちが集い集まり児童雑誌「赤い鳥」を立ち上げた・・・
すごい!これってすごいことじゃない?!・・・なんて今では思うけど、
当時ほとんどの人は駆け出しのあるいは無名の作家たちだった。
ちなみに大正6年創刊の時の年齢は、鈴木三重吉 35歳、芥川龍之介 25歳、有島武郎 39歳、泉鏡花 44歳、北原白秋 32歳、
徳田秋声 45歳、菊池寛 29歳、西條八十 25歳、谷崎潤一郎 31歳、三木露風 28歳、小山内薫 34歳、久保田万太郎 28歳
そして 夏目漱石 50歳。
作曲家では山田耕作 31歳、成田為三 24歳。
この時、今NHKの朝ドラのモデルの古関雄二は 8歳、そして(ドラマでは同じくらいの年齢の)古賀 政男は13歳。
そんな時代だ。
(この年齢は、誕生日を無視して生年だけで調べた年齢、前後1年くらいの誤差はあります)
ほとんどの人は今では大御所、でも当時は駆け出し、新進気鋭、あるいは売れない作家たちだった。
でもこの雑誌から芥川龍之介は「蜘蛛の糸」「杜子春」などが、
有島武郎は「一房の葡萄」などが、
新美南吉は「ごん狐」などが、生まれた。
童謡は最初は詩だけだったけど、創刊の翌年から、楽譜も掲載された。
その最初が西條八十作詞・成田為三作曲の「(歌を忘れた)カナリヤ」
このほかにも北原白秋作詞・山田耕作作曲の「からたちの花」もこの雑誌に掲載された。
しかしどちらも単純な有節歌曲ではない。
子どもたちが簡単に歌える歌ではない。
本当の童謡はきっとこの雑誌の表題にもなっている、「赤い鳥」なのだろう。
鈴木三重吉は作家で教育者でもあった。
それで児童文学に情熱を持ったのだろう。
それまでの政府が進めてきた唱歌や説話を愚劣で低級だとして、
新たに童話と童謡の児童雑誌を創刊したのだった。
今の立場で見ると明治・大正の唱歌を愚劣で低級だとは少しも思わないけど、
まあいつの時代でも若者は時の権力者や政権に反対するもの。
逆に権力者や政権にべったりの若者がいたら、これはとっても気持ち悪い。
というわけで大正6年に児童雑誌を創刊して多くの若者が集まった。
そうそうたるメンバーが。
鈴木三重吉は漱石門下でもあったので、きっとまず同じ漱石門下の芥川龍之介に話を持ち込み、渋る芥川を無理やり引きずり込んだ・・・と勝手に想像する。
さらに鈴木三重吉はとってもリーダーシップがあったのか、
有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声などを巻き込んで「赤い鳥」を立ち上げ創刊する。
その後、小山内薫、久保田万太郎、菊池寛、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風・・・らも作品を寄稿したり編集に携わった。
そう、日本の文壇の大御所たちが集い集まり児童雑誌「赤い鳥」を立ち上げた・・・
すごい!これってすごいことじゃない?!・・・なんて今では思うけど、
当時ほとんどの人は駆け出しのあるいは無名の作家たちだった。
ちなみに大正6年創刊の時の年齢は、鈴木三重吉 35歳、芥川龍之介 25歳、有島武郎 39歳、泉鏡花 44歳、北原白秋 32歳、
徳田秋声 45歳、菊池寛 29歳、西條八十 25歳、谷崎潤一郎 31歳、三木露風 28歳、小山内薫 34歳、久保田万太郎 28歳
そして 夏目漱石 50歳。
作曲家では山田耕作 31歳、成田為三 24歳。
この時、今NHKの朝ドラのモデルの古関雄二は 8歳、そして(ドラマでは同じくらいの年齢の)古賀 政男は13歳。
そんな時代だ。
(この年齢は、誕生日を無視して生年だけで調べた年齢、前後1年くらいの誤差はあります)
ほとんどの人は今では大御所、でも当時は駆け出し、新進気鋭、あるいは売れない作家たちだった。
でもこの雑誌から芥川龍之介は「蜘蛛の糸」「杜子春」などが、
有島武郎は「一房の葡萄」などが、
新美南吉は「ごん狐」などが、生まれた。
童謡は最初は詩だけだったけど、創刊の翌年から、楽譜も掲載された。
その最初が西條八十作詞・成田為三作曲の「(歌を忘れた)カナリヤ」
このほかにも北原白秋作詞・山田耕作作曲の「からたちの花」もこの雑誌に掲載された。
しかしどちらも単純な有節歌曲ではない。
子どもたちが簡単に歌える歌ではない。
本当の童謡はきっとこの雑誌の表題にもなっている、「赤い鳥」なのだろう。
北原白秋作詞・成田為三作曲の「赤い鳥」。
とっても単純な詩と曲、一度聴いたら誰でも覚える、誰でも歌える。
これこそ童謡の原点に違いない。
とっても単純な詩と曲、一度聴いたら誰でも覚える、誰でも歌える。
これこそ童謡の原点に違いない。
赤い鳥 小鳥 なぜなぜ 赤い
赤い実を食べた
白い鳥 小鳥 なぜなぜ 白い
白い実を食べた
白い実を食べた
青い鳥 小鳥 なぜなぜ 青い
青い実を食べた
青い実を食べた
「赤い鳥」の話まだ続きます。
(続く)