ケ時々ハレ・2

楽しむために、「晴れ」のために「褻」を生きてます。左脚も人工股関節にしました。右人工股関節はライト、左はエルといいます。

10月12日(木) 「私だけに」&Uさんご逝去

2006-10-12 21:43:54 | ミュージカルを歌おう

13日の金曜日に発売が決まっていた、
「デスノート13(特装版)」、1日早く入荷しました。
ニアがシミュレーションしていた指人形がこれ。
の本名もあきらかになったぞ。

北川先生のミュージカルレッスン、後期初日。
「モーツァルト!」に出演していたタテケイちゃんが、
レッスンに復活。
なんといきなり、
私、Inさん、Komさん、タテケイちゃん、月夜見さんの順に、
「私だけに」をソロで歌わされた。

最近、めっきりこの歌を歌ってなかったし、
指名された時、すでに声が嗄れかかっていた。
まさか初日では来るまいと思っていただけに、
激しく動揺して、まったく思うように歌えず。
ここんとこ土日、私は何をやっていたんだよと、
自分にツッコみたい。
歌い終わった後は、例のごとく、緊張で胃がカチカチ。
熱い胃痛。
早めに痛み止めを飲んでおいた。
どうしてこうなんでしょうね。

タテケイちゃんの歌を聴いて、
一瞬、胃痛も忘れた。

プロフェッショナルとアマチュアとの間には、
とてつもなく厚い厚い壁が立ちはだかっている。

同じ歌を歌っていても、まったく別物だ。
うまいとか、へたとか、そんなレベルの話じゃない。
なんだかわからないけれど、まったく別の物だ。
別の生き物だ。

R先生の歌を聴いても、毎回そう思うのだけれど、
なんなんでしょうね、あの声は、いったい。
あれは、訓練次第でどうにかなるものなんでしょうか。

四季のK・Kさんも、H・Kさんも、
若い時代を知る方たちによると、
「おせじにも歌がうまいとは言えない」状態だったそうだ。
H・Kさんものすごい努力をして、
あれだけ歌えるようになったのだという。

せめて私は、芝居心で歌えるぐらいの所まではいきたい。
熊倉一雄先生のように。

皆さんとお茶して帰宅した所へ、母から電話。

Kさんの命日の翌日の昨日。
10月11日に、
やはり母と仲良しだったUさんが若くして亡くなったそうだ。
(私より年下なのよ)
眠ったまま、とてもやすらかに亡くなられたという。
父と母が、ホスピスでもお別れの会に参加してきた。
ご両親と妹さんと、彼女の愛犬が参加していたという。

Uさんも、Kさん同様、母や父や私をいろいろな形で助けてくれた。
本が好きで、猫が好きで、いろんな話を、3人でした。
母が手術や治療で一番大変だった時期に、
元気に退院していた彼女は、
金髪のかつらをかぶって、よくお見舞いに来てくれて、
それが、とてもとてもよく似合っていた。

会えてよかったです。
Uさん、ありがとうございました。
私が覚えているのは、
元気で笑ったり、怒ったりしている、明るいUさんだけです。

そのうち、できればなるべく遠い未来に、
母がそちらへ行ったら、また仲良くしてやってね。

Kさんが10日、その1年後にUさんが11日。
2人で待ち合わせでもしていたのかなという感じ。

しみじみ。

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10月11日(水) 「14歳の母」

2006-10-12 21:13:09 | テレビ
いつもの通り仕事に行って、
なんだか今日は、やたらに股関節が痛いなぁと思いつつ、
たいした大事件もなく、
かといって、些細なお客さんのワガママに、
いちいち、ムカッとしたり、イラッとしたり、
それでも帰宅すれば忘れてしまう程度のもので、
可もなく、不可もなく。

昨日は、母の仲良しのKさんの命日だった。
今日は、母方の祖父の命日。
祖父のことを想う。

「14歳の母」を、夫と娘と3人で見た。
途中から、帰宅した息子も一緒に見た。
珍しく4人で語る材料になって、おもしろかった。

「こういう時は絶対、男の方が弱いよな~」と息子が言う。
充分に気をつけてくださいよ。

息子と娘に、
あんたらは2人とも、周囲の人たちに望まれて
生まれて来たんだと言ってやることができた。

私は、大学生の母の中に、
思いがけずいきなり存在してしまった赤ん坊だったが、
24歳の父(まだ子供だよ!)は逃げもせずに、
「それはめでたい」と言ったのだそうだ。
カッコつけ屋だけど、まあ、逃げるよりよほどマシよね。


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