9月2日(水)27/35℃
新聞
朝夕 新聞に目を通す習慣は15歳の高校生の時に新聞配達をしていた頃からだからもう60年以上になるが、ここ1 、2年はほとんど見なくなった。
と言うのも転居を機に新聞購読を取りやめたからだが、今のところ不思議なくらい全く不便さはない。
家では朝日、毎日、読売、産経、会社では日経や専業新聞など家人の好みやサービスの程度また必要に応じて変えてきたが、それぞれに各紙の特徴があり、特に解説や論調、社説の違いは1つの事実を左右の違う編集者によれば全く違う見方があり面白いと思う反面、バカらしくもなったことがある。
ある時から事実を事実として知るだけで充分だと思うようになった。
では現代の膨大な情報社会では自分の判断は何を頼りにしたらいいのか? 結局は自分の判断・決断は正確な事実・事象だけを知れば、人の意見に左右されることなく、後は75年の自分の人生経験から信念を持って自分で決めたらいいと思うようになった。 事実が違っていたら自分責任で諦めるだけ。 情報に振り回されなくなったら気楽なもんだ。
話は別だが、かつて新聞を巡り毎朝トイレでゆっくり見るのが楽しみだったが、娘が大きくなるにつれ やめて! ときつく言われ即やめた。
それでは食事の時間にとゆっくり読んでいたら、今度は家人から どっちかにして! と怒られ食事を引き上げられた。
朝 寝過ごしてゆっくり朝刊を読めなかったので帰宅して夜に読もうとしたらもうゴミ箱に入ってた・・
ゴキブリ! と大騒ぎに仕方なく出番とばかり新聞を丸めて ドン・・ ハイ終わり! しまった 読んでた新聞だった!
振り回される新聞沙汰もいろいろあったなあー トホホ!
・新聞はいつの間にやら蚊帳の外
・新聞も結局人の意見なり
・情報は正しい事実のみでいい
・判断は人生経験から決める 頑爺
残暑厳しい南公園の散歩道から
こんにちは。ささやんと申します。先輩のブログは、いつも楽しく拝見させていただいております。「事実を事実として知るだけで充分だ」ということでしたが、事実と思っていたものが実はフェイクだったり、事実かフェイクかを見極めるための情報が実はフェイクだったりと、面倒くさい世の中になりましたね。
これからも面白い記事を書き続けられますよう、応援しております。