やまない雨はない

生業はWEB製作、趣味は映画鑑賞。
記事は私情で支離滅裂・自虐でぼやく。

あの日から10年経過

2021-03-11 09:10:50 | 日記
10年前のその日、その時
買い物を終えて最寄駅から徒歩で自宅へ向かう途中で
大きな揺れを感じて・・・揺れ方が尋常ではないことを体で感じた。
妻はその時雑貨屋で買い物中だったようだが
直後に連絡をしたが携帯が通じなかった。
後に「心配してくれなかった」といって怒っていたが
何度もかけたと言っても履歴がないと言って信じてもらえなかった。
あの日から10年が過ぎたのか・・当時はマンション住まいでしたが
壁に亀裂が入っていて揺れの大きさを実感したものです。
その年は旧民主党政権で管直人というとんでもない方が首相でしたが
唯一の評価は高速道路料金を全国一律1000円にしたことで復興への経済効果は
それなりに貢献したのではないかと思っております。
この時とばかりに大いに利用した記憶があります。

10年経っても復興への道のりは厳しくまだまだこれからも続きそうですが
返す返すも福島原発事故、以前から津波への警告があったにも関わらず
東京電力による不作為の結果が未曾有の惨事をもたらし今なお苦難を
強いられているのは残念でならないです。
ある女子高生が東京電力の関係者に向かって言った言葉
「わたしは子供を産めますか?」
東京電力の方々は無言でしたが、その女子高生だった女の子はいま
どこでどうしているんだろうと気になります。

その後の災害への備え・・・防潮堤を作った自治体
災害に抗う事よりも住む場所を代えて高台に移築した自治体
どの選択が正しいとかは言えませんが・・・海が見えるという
景観を犠牲にして高い塀を作るという選択は自然の脅威に抗う事のように
思えてならない。
今そこに起こるかもしれない脅威を見えなくするという恐怖を感じます。

これからの10年
災害大国としての宿命を背負いながらもみんなで協力し合って生きていかなければ
ならない。
他国の災害をお祝いするような民族のいる国に生まれなかったことに感謝です。
災害に遭ってもそれでもオレは日本人に生まれて良かった!!
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