会社では毎日のように資料を作り、提出する。
そのときいつも思うことは「この資料って誰が見るのか?」
「この資料の目的は分かった、でも活用できるんだろうか?」
「この資料は読み返されることはないだろうな」とか。
とにかく会社は無駄な工数を費やしていることに気付かない。
目的のための手段がいつの間にか逆になり、手段が目的になっているような
気になることが多いと気付かされる。
役所はよく会議のための会議を行う、これによく似てる?
本社から来る資料にはやたらと横文字が多い。
横文字と言うよりはカタカナ文字と言った方が正しいのかな?
この人は本当に自分が言いたいことを伝えようとしているだろうか?
ふと疑問に思うことがある。
それは、やたらとカタカナことばが多くて相手がそれを理解しているだろうか?
と言う疑問です。
後になって「あのとき説明したでしょ?」と言われても、聞いた方は
意味が分からないから正確に理解していない、と言うことになる。
説明すると云うことは、相手が分かるように話すと云うことである。
相手が分かるようにという気持、相手に分かって欲しいという気持。
これが有れば自ずと丁寧にわかりやすい簡単なことばで話す。
話す内容が自分で本当に理解していないと伝えることができない。
ということではないかと思ったりします。
だから、やたらと難しいことばで説明しようとする人は
ホントは内容が分かってないということもあり得ない?あるよね。
そういう自分がどうしてこういうブログを書いているのか?
仕事で資料作りやチラシ作りをしているときに心がけていることは
「この表現でいいのか・・こういうイメージで分かるだろうか?」
常に自問して作っているからです。(自画自賛)
そのときふと気付いたのは、自分が内容を理解していないと
描けないということである。
当たり前のことのようですが、自分はいまいち理解できないことでも
知ってる人が見てくれたら分かってくれるだろう、という無責任に
作った資料は「何が言いたいのか分からない」とか「意味が分からない」
と言われることがよくあります。
伝えるって?
自分が一番理解していないと伝わらないと言うことです。
そのときいつも思うことは「この資料って誰が見るのか?」
「この資料の目的は分かった、でも活用できるんだろうか?」
「この資料は読み返されることはないだろうな」とか。
とにかく会社は無駄な工数を費やしていることに気付かない。
目的のための手段がいつの間にか逆になり、手段が目的になっているような
気になることが多いと気付かされる。
役所はよく会議のための会議を行う、これによく似てる?
本社から来る資料にはやたらと横文字が多い。
横文字と言うよりはカタカナ文字と言った方が正しいのかな?
この人は本当に自分が言いたいことを伝えようとしているだろうか?
ふと疑問に思うことがある。
それは、やたらとカタカナことばが多くて相手がそれを理解しているだろうか?
と言う疑問です。
後になって「あのとき説明したでしょ?」と言われても、聞いた方は
意味が分からないから正確に理解していない、と言うことになる。
説明すると云うことは、相手が分かるように話すと云うことである。
相手が分かるようにという気持、相手に分かって欲しいという気持。
これが有れば自ずと丁寧にわかりやすい簡単なことばで話す。
話す内容が自分で本当に理解していないと伝えることができない。
ということではないかと思ったりします。
だから、やたらと難しいことばで説明しようとする人は
ホントは内容が分かってないということもあり得ない?あるよね。
そういう自分がどうしてこういうブログを書いているのか?
仕事で資料作りやチラシ作りをしているときに心がけていることは
「この表現でいいのか・・こういうイメージで分かるだろうか?」
常に自問して作っているからです。(自画自賛)
そのときふと気付いたのは、自分が内容を理解していないと
描けないということである。
当たり前のことのようですが、自分はいまいち理解できないことでも
知ってる人が見てくれたら分かってくれるだろう、という無責任に
作った資料は「何が言いたいのか分からない」とか「意味が分からない」
と言われることがよくあります。
伝えるって?
自分が一番理解していないと伝わらないと言うことです。
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