今回はタイトル通り、全くの自己満足、個人的な感情の吐露です。
それなら、「up するな」、でしょうね、スミマセンm(__)m
『♪通りすがりの人なればこそ言える罪状もある』
「カーニヴァルだったね」
(これ以外みゆきさんは、でてきません、念のため)
"みゆきさんの言葉、その12"葬送曲"で、最近近しい者が亡くなったと、書きました。
一人は、30年来の年下の友人です。
そして、もう一人は父です。
正直、ショックは友人の方が大きかったです。
自分より年下の死には、悲しみは勿論のこと、理不尽さと無力感を痛感させられました。
それに対し、父の死には悲しみより、諦めと安堵感、そして、事後処理への使命感の方が強く、今は、そういう感情への後ろめたさで一杯です。
父は、まあまあの高齢でした。
そして、ここ数年入退院を繰り返しており、その度に少しずつ認知症が進み、動きも不自由になっていました。
段々と人が変わっていく父を見ているのは辛く、実際接するのはもっと辛いものがありました。
深夜病院で暴れて、真夜中に呼び出されたり、わざとオムツを外したり、ズラしたりして、粗相をしたり、と入院のストレスと認知症の進行が相まって、扱いにくくなっていました。
状態によって、毎日仕事帰りに病院に寄ったり、土日だけ付き添ったりしてましたが、平常時は月に何回か、様子を見に行くだけなので、偉そうなことを言える立場にはないのです。
もっと大変な介護をしてらっしゃる方が、大勢いらっしゃることもわかっています。
そんな方から見れば、何を贅沢なことを言ってるんだと、お叱りを受けることも承知してます。
それでも、先が見えない絶望感に襲われて、心の中で父の死を思う自分がいるんですよ。
父の日に罰当たりな娘ですね。
母は18年前に亡くなりました。
母の時は、ガンで余命宣告(家族にのみ)されていたんです。
最期の一ヶ月は病室に泊まりこんで、24時間看病していたので、「そろそろ開放してくれ」と何回か思いました。
だから、母の時も悲しみより、安堵感の方が大きかったんです。
母の時も父の時も、そんな後ろめたさから、通夜・告別式の段取りや事務処理は、一手に引き受けました。
それも、少しでも罪を軽くしたいからに過ぎないんですけどね。
それこそ、自己満足です。
入院してる父の枕元で、父の死を思ってしまう時、「私はロクな死に方しないな」とつくづく思いました。
そんな、父を一緒に看取って下さったのは、今の奥さんです。
母が亡くなってから、ゴタゴタがあって父とも暫く連絡を取らない時期があったんです。
その要因の1つは彼女で、母が生きてる時から、それもだいぶ古くからのお付き合いだと思います。
私が知ったのが、中学の時ですから、その前からなのでしょう。
幼い時から、月に一度帰ってくるかどうか、という状態でしたし。
それが、父が入院して手術するので保証人になって欲しいと連絡があり、はじめて三人で話すことになりました。
その時の手術は、軽いもので直ぐに退院できて、その後も元気なもんでした。
ただ、入退院や手術などの事務手続きには、どうしても戸籍が絡みますから、籍の問題が出てきたんです。
まあ、スンナリとは言えませんが、現実を受け入れることにしました。
彼女からは、「養子になって欲しい」と言う申し出があり、父が納得してるならと、反対はしませんでした。
ただ、その時私から、彼女に1つだけ条件を出しました。
父が亡くなったら、分骨をして欲しいと。
彼女は、了承してくれました。
散々、自分ばかり看病疲れしてるみたいに書きましたが、一番身近で接してくれた彼女に比べたら、本当に文句言いの親不孝者だと思います。
彼女には、感謝してます。
でも、母への想いは別なんですね。
"好きなモノ、あれこれ1"で書いたんですが、母は好奇心旺盛でお祭り好きな人でした。
好き嫌いがハッキリしてて、子供よりワガママなところのある人でした。
なんせ、ガンで入院した時の主治医が「暗いからキライ」と毎日言ってましたから。
流石に「暗いので代わりの先生を」とは言えず、母にとっては不本意だったでしょうが、その先生に看取っていただきました。
しかし、最期まで良くしていただいたんですよ。
こんな性格の母は、父の兄弟と合わなかったんです。
殆ど往き来しなかったんですね。
なので、葬儀に来てくださった伯父に、分骨の件を話した時に、
「あんたのお母さんは、殆ど記憶にない」と言われてしまいました。
ショックでしたが、表だって反対はされなかったのが幸い、と思うことにしました。
なんせ、実の弟にも、「なんで、そんなややこしいことするの?」と言われたくらいですから。
この感情的なものは、男女差があるのかも知れませんね。
私なら、婚家の墓に一人で入っているのは、淋しいと思うんです。
母も、彼女のことはわかっていたと思います。
だからといって、父が来ないのは、「反則だ!」と私は思うんです。
まあ、母の気持ちを確認するすべもないので、全て私の思い込み、それこそ、自己満足です。
毎月の墓参りも、自己満足だとは思います。
後ろめたさからの、贖罪の気持ちもありますが、やはり自己満足が一番だと思います。
今度の分骨も。
でも、分骨の手配で、走り回ってるうちに、開き直ってきて、自己満足でもいいと思えるようになってきました。
何にもしないより、自己満足でもした方がいいんじゃないか、ってね。
私って、タチが悪いくらい開き直るんですよ。
こういうところが、他人から見たら、ポジティブだとか、止まったら死ぬマグロみたいに写るんでしょうね。
何か、本当に自分の感情の整理のためだけに、長々と書いてしまい、もし読んでいる方がいらっしゃたら、スミマセンm(__)m。
整理できました、ありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)
それなら、「up するな」、でしょうね、スミマセンm(__)m
『♪通りすがりの人なればこそ言える罪状もある』
「カーニヴァルだったね」
(これ以外みゆきさんは、でてきません、念のため)
"みゆきさんの言葉、その12"葬送曲"で、最近近しい者が亡くなったと、書きました。
一人は、30年来の年下の友人です。
そして、もう一人は父です。
正直、ショックは友人の方が大きかったです。
自分より年下の死には、悲しみは勿論のこと、理不尽さと無力感を痛感させられました。
それに対し、父の死には悲しみより、諦めと安堵感、そして、事後処理への使命感の方が強く、今は、そういう感情への後ろめたさで一杯です。
父は、まあまあの高齢でした。
そして、ここ数年入退院を繰り返しており、その度に少しずつ認知症が進み、動きも不自由になっていました。
段々と人が変わっていく父を見ているのは辛く、実際接するのはもっと辛いものがありました。
深夜病院で暴れて、真夜中に呼び出されたり、わざとオムツを外したり、ズラしたりして、粗相をしたり、と入院のストレスと認知症の進行が相まって、扱いにくくなっていました。
状態によって、毎日仕事帰りに病院に寄ったり、土日だけ付き添ったりしてましたが、平常時は月に何回か、様子を見に行くだけなので、偉そうなことを言える立場にはないのです。
もっと大変な介護をしてらっしゃる方が、大勢いらっしゃることもわかっています。
そんな方から見れば、何を贅沢なことを言ってるんだと、お叱りを受けることも承知してます。
それでも、先が見えない絶望感に襲われて、心の中で父の死を思う自分がいるんですよ。
父の日に罰当たりな娘ですね。
母は18年前に亡くなりました。
母の時は、ガンで余命宣告(家族にのみ)されていたんです。
最期の一ヶ月は病室に泊まりこんで、24時間看病していたので、「そろそろ開放してくれ」と何回か思いました。
だから、母の時も悲しみより、安堵感の方が大きかったんです。
母の時も父の時も、そんな後ろめたさから、通夜・告別式の段取りや事務処理は、一手に引き受けました。
それも、少しでも罪を軽くしたいからに過ぎないんですけどね。
それこそ、自己満足です。
入院してる父の枕元で、父の死を思ってしまう時、「私はロクな死に方しないな」とつくづく思いました。
そんな、父を一緒に看取って下さったのは、今の奥さんです。
母が亡くなってから、ゴタゴタがあって父とも暫く連絡を取らない時期があったんです。
その要因の1つは彼女で、母が生きてる時から、それもだいぶ古くからのお付き合いだと思います。
私が知ったのが、中学の時ですから、その前からなのでしょう。
幼い時から、月に一度帰ってくるかどうか、という状態でしたし。
それが、父が入院して手術するので保証人になって欲しいと連絡があり、はじめて三人で話すことになりました。
その時の手術は、軽いもので直ぐに退院できて、その後も元気なもんでした。
ただ、入退院や手術などの事務手続きには、どうしても戸籍が絡みますから、籍の問題が出てきたんです。
まあ、スンナリとは言えませんが、現実を受け入れることにしました。
彼女からは、「養子になって欲しい」と言う申し出があり、父が納得してるならと、反対はしませんでした。
ただ、その時私から、彼女に1つだけ条件を出しました。
父が亡くなったら、分骨をして欲しいと。
彼女は、了承してくれました。
散々、自分ばかり看病疲れしてるみたいに書きましたが、一番身近で接してくれた彼女に比べたら、本当に文句言いの親不孝者だと思います。
彼女には、感謝してます。
でも、母への想いは別なんですね。
"好きなモノ、あれこれ1"で書いたんですが、母は好奇心旺盛でお祭り好きな人でした。
好き嫌いがハッキリしてて、子供よりワガママなところのある人でした。
なんせ、ガンで入院した時の主治医が「暗いからキライ」と毎日言ってましたから。
流石に「暗いので代わりの先生を」とは言えず、母にとっては不本意だったでしょうが、その先生に看取っていただきました。
しかし、最期まで良くしていただいたんですよ。
こんな性格の母は、父の兄弟と合わなかったんです。
殆ど往き来しなかったんですね。
なので、葬儀に来てくださった伯父に、分骨の件を話した時に、
「あんたのお母さんは、殆ど記憶にない」と言われてしまいました。
ショックでしたが、表だって反対はされなかったのが幸い、と思うことにしました。
なんせ、実の弟にも、「なんで、そんなややこしいことするの?」と言われたくらいですから。
この感情的なものは、男女差があるのかも知れませんね。
私なら、婚家の墓に一人で入っているのは、淋しいと思うんです。
母も、彼女のことはわかっていたと思います。
だからといって、父が来ないのは、「反則だ!」と私は思うんです。
まあ、母の気持ちを確認するすべもないので、全て私の思い込み、それこそ、自己満足です。
毎月の墓参りも、自己満足だとは思います。
後ろめたさからの、贖罪の気持ちもありますが、やはり自己満足が一番だと思います。
今度の分骨も。
でも、分骨の手配で、走り回ってるうちに、開き直ってきて、自己満足でもいいと思えるようになってきました。
何にもしないより、自己満足でもした方がいいんじゃないか、ってね。
私って、タチが悪いくらい開き直るんですよ。
こういうところが、他人から見たら、ポジティブだとか、止まったら死ぬマグロみたいに写るんでしょうね。
何か、本当に自分の感情の整理のためだけに、長々と書いてしまい、もし読んでいる方がいらっしゃたら、スミマセンm(__)m。
整理できました、ありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)