"距離感・変"と、変なタイトルをつけてしまいましたが、決して変な距離感では、ありません。(笑)
変化する距離感という意味でつけました。
先日、みゆきさんの言葉選び、その17"距離感"を書いた後で、
眠り猫さんから
「風の笛」(常夜灯 2012)、
miya さんから
「タクシー・ドライバー」(親愛なる者へ 1979)
をさりげなく優しい"距離感"の曲として、コメント頂きました。
ありがとうございます。(^^)
他にもたくさんあると思います、とコメントを返したように、色々な曲が思い浮かびました。
みゆきさんの人に対するスタンスと言うか、眼差しの優しさが、絶妙な"距離感"を産み出すんでしょうね。(⌒‐⌒)
その浮かんだ曲の中で、先日挙げた"距離感"と少し、肌合いの違う距離感の曲が、あったんです。
先日のさりげなく優しい"距離感"は、ある一定の距離感を保ってるイメージでした。
いい意味で、平行線。
「3分後に捨ててもいい」(夜を往け 1990)や
「病院童」(問題集 2014)も、そのイメージです。
しかし、その"距離感"に収まらない曲が、あるんです。
それが、変化する距離感の曲なんです。
1曲目は、
「蕎麦屋」(生きていてもいいですか 1980)です。
凹んでる時に、"おまえ"呼ばわりできる、気が置けない友人から
『♪あのぅ、そばでも食わないかあ、ってね』
と電話がくる。
『♪べつに今さらおまえの顔見てそばなど食っても仕方がないんだけれど』
と、歌いながらも、向かい合わせで食べている二人。
『♪あいつの失敗話にけらけら笑って丼につかまりながら、おまえ』
ここまでで、十分に"おまえ"と"あたし"の優しい距離感は、感じられます。
そして、続く
『♪あのね、わかんない奴もいるさって あのね、わかんない奴もいるさって』
このフレーズが、二人の間の距離感も、テーブルという物理的な距離も飛び越えて、スッと懐に入ってくる、距離感が0になって、心の中で広がってゆく感じがするんです。
だから、
『♪あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ』
と。
その後で、何事もなかったかのように、
『♪風はのれんをばたばたなかせて ラジオは知ったかぶりの大相撲中継』
と、もとの距離感に戻っていくところが、見事だなあと。
この一瞬の接触が、変化する距離感だと思ったんです。
話は少し逸れますが、これを書いていて、
「蕎麦屋」の
『♪あのね、わかんない奴もいるさって あのね、わかんない奴もいるさって』
って、言い換えれば、
『♪ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう』
「ファイト!」(予感 1983)
なんじゃないかという気がしてきました。
今まで、あまり意識していなかったので、何か私の中では、発見した気分で書いてます♪
私の妄想の中ではと書くべきかしら?
そう言えば、この曲のモチーフになったエピソードは実在し、モデルも特定できるというのが、妄想ではなく定説になっていますねえ。
但し、私はみゆきさん本人が、そのことに言及してるのを聴いたことも、読んだこともないので、ここには記しません。
(知らないだけで、みゆきさん本人が、話していたら、私の不勉強です、スミマセン)
変に思わせ振りな書き方で、これまたスミマセンm(__)m。
さて、次の妄想です。(笑)
「流星」(lOVE OR NOTHING 1994)
『♪どこまで行くの 何しているの』
『♪歌を歌っているんです』
『♪そうかい、おいらは歌は知らねえな 演歌じゃねえんだろう、そのなりじゃあな』
サービスエリアで遭遇したトラック運転手のおっちゃん。
『♪身体こわさず がんばってみなよ
たまには親にも℡してやんな』
おっちゃんの言葉は、温かいです。
しかし、普通若い女性が、知らないおっちゃんに声かけられたら、聞き流すか、余計なお世話と思いそうなものだと思うのです。
(私がひねくれてる?(--;))
それを
『♪吹く口笛はスプリングスティーン あれは演歌だと おっちゃんは信じてる』
と、歌うことで、おっちゃんと主人公の心の距離がグンと近づいた気がするんです。
クスッとした瞬間、おっちゃんの温かさが沁みてくるような気がして、聴いている私にも、近づいた気がしてくるんです。
これもまた、変化する距離感かなと思います。
さらに、この曲は、相手が行きずりの他人(プロ)だという点で、先の「タクシー・ドライバー」を思い起こしました。
「タクシー・ドライバー」と同じように、他人からのさりげない心使いを感じ取れる感受性と、感謝の念、プロへのリスペクトが、感じられる曲だと思います。
以上が、距離感が近く変化したと思った曲です。
反対に、突き放そうと言うか、頑なに近づくまいとする曲として、浮かんだのが、
「永遠の嘘をついてくれ」
(パラダイス・カフェ 1996)。
この曲は、ご存じ吉田拓郎氏への提供曲です。
(それも、氏自らの依頼)
つま恋での共演は、伝説になってますね♪
本当に、カッコよかった!
話はまた、逸れますが、私はこの曲を聴くと
「ミュージシャン」(中島みゆき 1988)と
「仮面」(シングル、中島みゆき 1988)
が、頭をよぎってしまうのですねえ。
「仮面」の作曲は、甲斐よしひろ氏です。
「ミュージシャン」が、甲斐よしひろ氏を歌った曲だという説もありますが、これもみゆきさん自身の言及はなかったと思います。
この3曲を聴いていると、みゆきさんの美学が、感じられるんです。
『♪ミュージシャン さみしいことを言わないで』(ミュージシャン)
『♪羽振りの好かった時代のように
思い上がった口をききなさい
己を知らない子供のように
なんでもできそうな口をききなさい』(仮面)
『♪たとえ くり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを 聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ』(永遠の嘘をついてくれ)
弱音を吐かず、カッコをつけて、走り続けろ!
憧れの対象で、あり続けろ!と。
それこそ、
『♪一度は夢を見せてくれた君じゃないか』と。
これを書きながら、頭の中で、
『♪息はきれぎれ それでも走れ
走りやめたら ガラクタと呼ぶだけだ、この世では』
「断崖―親愛なる者へ―」(親愛なる者へ 1979)
が、響いてきました。
続いて、
『♪がんばってから死にたいな がんばってから死にたいな
這いあがれ這いあがれと 自分を呼びながら』
「重き荷を負いて』(ララバイSINGER 2006)が。
ブレずに、ずっと走り続けていらっしゃいますよね。
本当に、頭が下がります。
話を"距離感"に戻しますと、
「ミュージシャン」と「仮面」は、それでも弱気になった時は、
『♪ミュージシャン 長生きは辛いことじゃないはずよ』(ミュージシャン)
『♪ぼろぼろになって獣がむせぶ
失うものは何もない
ぼろぼろになって獣が眠る
あたしは邪険に抱きしめる』(仮面)
と、傍らで見守り慰めているんですよ。
対して、
「永遠の嘘をついてくれ」では、
『♪永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる』
友の矜持を信じ、
『♪永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている』
『♪今はまだ二人とも旅の途中だと』
と、頑なに距離をとっている。
『♪傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに』
と、突き放す。
互いを"信じる"から離れて見守るという、感じがするんです。
この"信じる"って、信じられてる方にしたら、結構厳しいような気がします。
「永遠の嘘をついてくれ」の頑なな距離感って、いい意味の緊張感なんだという気がするんです。
その緊張感に、曲の疾走感が相俟って、ナマケモノの私には、オシリを蹴飛ばされてる感がある曲です。
シッカリしろ!って。(笑)
勿論、物凄くカッコいい曲だと思います。
使い方が正しいのか、不安ですが、"男前"な曲だと思います。
つま恋の前から、カラオケで一番気持ち良く歌える曲です。
シャンとしなきゃって、背筋が伸びるんです。(笑)
突き放し感が、自分にカツを入れるのに、いいのかもしれませんね。(^^)
最後は、カラオケかよ!って、怒られそうなほど、妄想が支離滅裂に、暴走してしまいました。(笑)
スミマセンm(__)m。
本当に、長々とこんな妄想に、お付き合い頂いて、ありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)
変化する距離感という意味でつけました。
先日、みゆきさんの言葉選び、その17"距離感"を書いた後で、
眠り猫さんから
「風の笛」(常夜灯 2012)、
miya さんから
「タクシー・ドライバー」(親愛なる者へ 1979)
をさりげなく優しい"距離感"の曲として、コメント頂きました。
ありがとうございます。(^^)
他にもたくさんあると思います、とコメントを返したように、色々な曲が思い浮かびました。
みゆきさんの人に対するスタンスと言うか、眼差しの優しさが、絶妙な"距離感"を産み出すんでしょうね。(⌒‐⌒)
その浮かんだ曲の中で、先日挙げた"距離感"と少し、肌合いの違う距離感の曲が、あったんです。
先日のさりげなく優しい"距離感"は、ある一定の距離感を保ってるイメージでした。
いい意味で、平行線。
「3分後に捨ててもいい」(夜を往け 1990)や
「病院童」(問題集 2014)も、そのイメージです。
しかし、その"距離感"に収まらない曲が、あるんです。
それが、変化する距離感の曲なんです。
1曲目は、
「蕎麦屋」(生きていてもいいですか 1980)です。
凹んでる時に、"おまえ"呼ばわりできる、気が置けない友人から
『♪あのぅ、そばでも食わないかあ、ってね』
と電話がくる。
『♪べつに今さらおまえの顔見てそばなど食っても仕方がないんだけれど』
と、歌いながらも、向かい合わせで食べている二人。
『♪あいつの失敗話にけらけら笑って丼につかまりながら、おまえ』
ここまでで、十分に"おまえ"と"あたし"の優しい距離感は、感じられます。
そして、続く
『♪あのね、わかんない奴もいるさって あのね、わかんない奴もいるさって』
このフレーズが、二人の間の距離感も、テーブルという物理的な距離も飛び越えて、スッと懐に入ってくる、距離感が0になって、心の中で広がってゆく感じがするんです。
だから、
『♪あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ』
と。
その後で、何事もなかったかのように、
『♪風はのれんをばたばたなかせて ラジオは知ったかぶりの大相撲中継』
と、もとの距離感に戻っていくところが、見事だなあと。
この一瞬の接触が、変化する距離感だと思ったんです。
話は少し逸れますが、これを書いていて、
「蕎麦屋」の
『♪あのね、わかんない奴もいるさって あのね、わかんない奴もいるさって』
って、言い換えれば、
『♪ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう』
「ファイト!」(予感 1983)
なんじゃないかという気がしてきました。
今まで、あまり意識していなかったので、何か私の中では、発見した気分で書いてます♪
私の妄想の中ではと書くべきかしら?
そう言えば、この曲のモチーフになったエピソードは実在し、モデルも特定できるというのが、妄想ではなく定説になっていますねえ。
但し、私はみゆきさん本人が、そのことに言及してるのを聴いたことも、読んだこともないので、ここには記しません。
(知らないだけで、みゆきさん本人が、話していたら、私の不勉強です、スミマセン)
変に思わせ振りな書き方で、これまたスミマセンm(__)m。
さて、次の妄想です。(笑)
「流星」(lOVE OR NOTHING 1994)
『♪どこまで行くの 何しているの』
『♪歌を歌っているんです』
『♪そうかい、おいらは歌は知らねえな 演歌じゃねえんだろう、そのなりじゃあな』
サービスエリアで遭遇したトラック運転手のおっちゃん。
『♪身体こわさず がんばってみなよ
たまには親にも℡してやんな』
おっちゃんの言葉は、温かいです。
しかし、普通若い女性が、知らないおっちゃんに声かけられたら、聞き流すか、余計なお世話と思いそうなものだと思うのです。
(私がひねくれてる?(--;))
それを
『♪吹く口笛はスプリングスティーン あれは演歌だと おっちゃんは信じてる』
と、歌うことで、おっちゃんと主人公の心の距離がグンと近づいた気がするんです。
クスッとした瞬間、おっちゃんの温かさが沁みてくるような気がして、聴いている私にも、近づいた気がしてくるんです。
これもまた、変化する距離感かなと思います。
さらに、この曲は、相手が行きずりの他人(プロ)だという点で、先の「タクシー・ドライバー」を思い起こしました。
「タクシー・ドライバー」と同じように、他人からのさりげない心使いを感じ取れる感受性と、感謝の念、プロへのリスペクトが、感じられる曲だと思います。
以上が、距離感が近く変化したと思った曲です。
反対に、突き放そうと言うか、頑なに近づくまいとする曲として、浮かんだのが、
「永遠の嘘をついてくれ」
(パラダイス・カフェ 1996)。
この曲は、ご存じ吉田拓郎氏への提供曲です。
(それも、氏自らの依頼)
つま恋での共演は、伝説になってますね♪
本当に、カッコよかった!
話はまた、逸れますが、私はこの曲を聴くと
「ミュージシャン」(中島みゆき 1988)と
「仮面」(シングル、中島みゆき 1988)
が、頭をよぎってしまうのですねえ。
「仮面」の作曲は、甲斐よしひろ氏です。
「ミュージシャン」が、甲斐よしひろ氏を歌った曲だという説もありますが、これもみゆきさん自身の言及はなかったと思います。
この3曲を聴いていると、みゆきさんの美学が、感じられるんです。
『♪ミュージシャン さみしいことを言わないで』(ミュージシャン)
『♪羽振りの好かった時代のように
思い上がった口をききなさい
己を知らない子供のように
なんでもできそうな口をききなさい』(仮面)
『♪たとえ くり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを 聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ』(永遠の嘘をついてくれ)
弱音を吐かず、カッコをつけて、走り続けろ!
憧れの対象で、あり続けろ!と。
それこそ、
『♪一度は夢を見せてくれた君じゃないか』と。
これを書きながら、頭の中で、
『♪息はきれぎれ それでも走れ
走りやめたら ガラクタと呼ぶだけだ、この世では』
「断崖―親愛なる者へ―」(親愛なる者へ 1979)
が、響いてきました。
続いて、
『♪がんばってから死にたいな がんばってから死にたいな
這いあがれ這いあがれと 自分を呼びながら』
「重き荷を負いて』(ララバイSINGER 2006)が。
ブレずに、ずっと走り続けていらっしゃいますよね。
本当に、頭が下がります。
話を"距離感"に戻しますと、
「ミュージシャン」と「仮面」は、それでも弱気になった時は、
『♪ミュージシャン 長生きは辛いことじゃないはずよ』(ミュージシャン)
『♪ぼろぼろになって獣がむせぶ
失うものは何もない
ぼろぼろになって獣が眠る
あたしは邪険に抱きしめる』(仮面)
と、傍らで見守り慰めているんですよ。
対して、
「永遠の嘘をついてくれ」では、
『♪永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる』
友の矜持を信じ、
『♪永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている』
『♪今はまだ二人とも旅の途中だと』
と、頑なに距離をとっている。
『♪傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに』
と、突き放す。
互いを"信じる"から離れて見守るという、感じがするんです。
この"信じる"って、信じられてる方にしたら、結構厳しいような気がします。
「永遠の嘘をついてくれ」の頑なな距離感って、いい意味の緊張感なんだという気がするんです。
その緊張感に、曲の疾走感が相俟って、ナマケモノの私には、オシリを蹴飛ばされてる感がある曲です。
シッカリしろ!って。(笑)
勿論、物凄くカッコいい曲だと思います。
使い方が正しいのか、不安ですが、"男前"な曲だと思います。
つま恋の前から、カラオケで一番気持ち良く歌える曲です。
シャンとしなきゃって、背筋が伸びるんです。(笑)
突き放し感が、自分にカツを入れるのに、いいのかもしれませんね。(^^)
最後は、カラオケかよ!って、怒られそうなほど、妄想が支離滅裂に、暴走してしまいました。(笑)
スミマセンm(__)m。
本当に、長々とこんな妄想に、お付き合い頂いて、ありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)
誇大とも言える妄想を楽しみにして頂けるとは、ありがたい限りです。(^-^)v
なんだ、こんなこと考えるヤツがいるんだ、
『♪と笑ってもらえたらうれしい』
んです。
それを書ける場があることが、今は幸せですね。
そのうち、ステキな脇役も妄想しようと思います。
その時は、よろしく(^^)
本当に、ありがとうございます。(^-^)
「蕎麦屋」のモチーフになったエピソードについては
私もどこかで読んだことがあります。
モデルは "あの方" だというのが定説になっていますが
みゆきさん本人の言葉としては語られていないのでは?
前回も同じことを書いたような気がしますが
次から次とテーマに沿った曲と歌詞が浮かんでくるのは すごい!
本当に頭が下がります。
今回も「うん、うん、なるほど・・・」と頷きながら読ませていただきました。
「流星」の おっちゃん、いい味出していますよね~
人情味あふれる台詞に心が温かくなります。
「相席」に出てくる 客をよく見ていないマスターもそうですが
味のある【脇役】が登場する曲って まだまだありそうですね。
これからも mihanaさんの妄想(失礼)を 楽しみにしています^^。