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身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

出典確認のご報告。

2018-09-08 21:01:00 | 中島みゆきさん(その他)
台風が来て風に怯えていたら、今度は北海道で大きな地震。

Mr.Mさん、雪あかりさん、北のラッコさん等々、北海道にお住まいの皆さん、ご無事でしょうか?

台風で被害に合われた方々、地震で被害に合われた方々、月並みな言い方ですが、心よりお見舞い申し上げます。

1日も早く、普通の生活に戻れますように、お祈りいたします。

そんな大変な中、覗いていただいて、ありがとうございます。

今回は、記憶力に難のある私が、うろ覚えで書いてきた情報の出典が確認できたので、ご報告させていただきます。

というか、夜会行きたいさんから
まるちゃん、極楽通りへいらしてください。
へコメントをいただき、
"出典を明確にせねば!"と、調べているうちに、他の曖昧情報の出典も見つかったというが真相です。

夜会行きたいさん、ありがとうございます。(^^)v

まずその、さくらももこさんが
「極楽通りへいらっしゃい」を歌った逸話の出典です。

さくらさんの
「もものかんづめ」にも載っているそうですが、私が読んだのは、
中島みゆきCONCERT TOUR「Night Wings」(1990)
のパンフレットにさくらももこさんが寄稿された『みゆきさんのこと』という一文でした。

新入社員歓迎会で、新人は全員1曲は歌うことを強制され、思わず選んだ曲が、
「極楽通りへいらっしゃい」だったそうです。

以下一部抜粋です。

"歌の最初では皆陽気に手拍子をしてくれていたのだが、2番にさしかかったあたりの
『♪今日は何回頭下げたの~
人からバカだぁって言われてェたの~』(原文のまま)
のくだりでは、ポツリポツリとうつむく男性社員が増え始めた。
「しまった!!」と内心あわてふためいたのだが引っこみがつかず、最期までひきつりながら私は歌い通さなければなはなかった。"(原文通り)
と書かれています。

そんなさくらさんのOL生活は、わずか2ヶ月で幕を閉じたとも書かれていました。(笑)

次に、2014年7月にUPした
"夜会VOL.18"「橋の下のアルカディア」で、
"みゆきさんは、何年かまえのインタビューで、
「最近お気に入りのアーティストは?」のようなことを訊かれて、
「あたるちゃん(中村中)」
と答えておられましたし、中村中嬢もテレビの特集番組で、尊敬するアーティストとして、みゆきさんのことを語ってたと記憶しているので、相思相愛と言えるでしょう。"
と書いたインタビュー記事は、
「ぴあ 関西版」No.632(2007.10.18)
『中島みゆき100問100答』です。

"Q.23 最近、印象に残る音楽は?"に、

"中島  ET-KINGっていう、ハッピ着て、大阪弁でラップを歌う兄ちゃんたち。
あと(中村)中ちゃんもすごいなと思いました。"
と答えられてました。

中々、興味深い100問100答が続くのですが、そのラストが私は一番好きなので抜粋します。

"Q.100  最後です。
何歳にでも好きな年齢に若返ることができるとしたら、何歳に戻りたいですか?"

"中島 まっぴらでございます。"

思わず、拍手したくなる潔いお答え!

こういうところに、惚れるんですよね。(^o^)v

あたるちゃんが、みゆきさんのことを語っていたテレビ番組は、2010年出演の「ミューズの晩餐」です。

"あたるちゃん"
にその時のことをサラッと書いてます。

更に遡って、2014年3月UPの
読む、中島みゆき節
の「もっぷでやんす」(2002年に出版)の説明で書いた一文です。

「もっぷでやんす」は、絵本で文は勿論、絵もみゆきさんが描かれてます。

"絵はお好きみたいで、何かのインタビュー(色々読み返したけど、見つけられませんでした。出典不明です)で、音楽の道に進んでいなければ、美術にいってたかもしれないようなことを、仰ってた頼りない記憶があります。(--;)
また、「おだやかな時代」(歌でしか言えない)のPVに出てくるスケッチもご自分で、お描きになったみたいです。"

この"何かのインタビュー"が、
「満月みゆき御殿」の
『お子様ランチも寝そべりもアタシは徹底したいのよ。』
(1980 インタビュー:こすぎじゅんいち)
でした。

その部分の抜粋です。

"こすぎ 歌手になってなかったら、何になっていたと思います?"

"みゆき ウーン、音楽ぽいことはやってたと思うけど、だからもし声が出なくなったとしても、何か創ることはやっていたいと思う。"

"こすぎ 作詞、作曲が出来るし、本も書けるしネ。"

"みゆき やれるもんならやってみたかったけどね。
絵でもいいし。"

"こすぎ 『創る商売』からはもう抜けられないだろうネ。"

"みゆき うん、そうだね。
必ずしも音楽だとか絵だとかに限らなくても、他の仕事でも、とりようによっては、そうなんだろうけど。
受け手によってどうにでも変わっていくっていうのが面白いね。"

"こすぎ 絵描きになりたかったの?
今も描いてるの?"

"みゆき それもいいナと思ったこともあった。
今は描いてない。"

"こすぎ これから描くの?"

"みゆき 今はちょっと時間がないから。"

この時、時間がないと答えていた、みゆきさんが描いた
絵本「もっぷでやんす」
が出版されたのが2002年です。

毎年上演していた「夜会」が一段落して、時間ができたんですかね。

以上が、曖昧なまま書いてしまった情報の出典です。

ウソを書いていなかったことが、確認できてホッとしました。(^。^;)

そして、何となくモヤモヤしてたものが、スッキリ。(^^)v

たぶん、出典不明はこの3つだけだと思うのですが、記憶力に難があるので、、、そうも、言い切れない、、、な、、、(-_-;)

ラジオで聴いた話も出典は、曖昧か、、、(>_<")

こんな曖昧なブログで、すみません。f(^_^;

お読みいただいて、ありがとうございます。(^^)

では、また。(^-^)
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (夜会行きたい)
2018-09-10 12:59:16
こんにちは。

私がさくらももこさんのエピソードをいつ知ったのかはホントに曖昧で思い出せなかったのですが、ドラマの方は本当にあったのかちょっと調べてみました。そうしたら意外と早く見つかりました。

「ドラマ さくら家の人びと~ちびまる子ちゃん一家のその後の生態~」(https://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009040286_00000)という番組だったようです。NHKのアーカイブスの中にある3分間程の動画を見ましたら高校生時代のエピソードだったのですが、やはりさくらももこさんは落語が出来る人として描かれていました。

また「ドラマさくら家の人びと-放送ライブラリ公式ホームページ」(https://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=160616)では、出演者さんとかを紹介していて、番組は1992年1月2日に放映されていたみたいです。エピソードは6つあったようで会社の飲み会の話はたぶん「昭和OL事情」で紹介されたみたいですね。

長々と失礼しました。
返信する
Re:Unknown (mihana223)
2018-09-11 01:41:55
夜会行きたいさん、コメントと貴重な情報をありがとうございます。(^^)

ドラマのリンク先まで調べていただいて、本当にありがとうございます。(^^)v
早速、見させていただきました。
冨田靖子さん、若くてかわいいですねぇ~♪
まず、出演者の若さに驚きました。
1992年の作品なんで、当たり前ですが。f(^_^;
声やしゃべり方のイメージが、合わないような気がしていた冨田さんが、ドラマとして見るとそんなに違和感ないんですね。
それに、高校生のみぎわさんが出てきたのが、嬉しくて♪
みぎわさん、雰囲気ある~♪
短い映像でしたが、凄く楽しませていただきました。
ありがとうございます。(^o^)v
オマケに、番組資料まで、教えていただいて。
あんな人やこんな人が出てたのか~と、眺めているだけで楽しくなりました。(^^)v
本当に、本当に、ありがとうございました。(^-^)
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