ずいぶん日が経ってしまいましたが、佐渡での二日目は帰りの船の時間まで
ほんの少し観光をしました。
佐渡・・・といえば、朱鷺。
と言うことで「朱鷺の森公園」へ~
朱鷺は古く日本書紀の時代から、日本各地に生息していたそうですが、
平成15年、日本の野生産最後のトキ「キン」が死亡してしまいました。
現在この施設で飼育されているトキは中国から贈呈されたもの、そして
それらが此処で繁殖に成功したものとか。
見学はできますが、トキはかなり遠くの飼育ケージの中でした。
宮 柊二さんの歌碑がありました。
とても立派な歌碑は「朱鷺幻想」の長歌と反歌です。
宮 柊二さんは新潟県魚沼地方のご出身で、コスモス短歌会を創設されました。
魚沼には記念館もあります。
朱鷺幻想
しづかなる年の旦にはるかなる空想をなす
国の秀(ほ)を離れし島に、人の香を恐れて遠く、茂山のまほ
らの真木に、巣をなして産める卵。蒼緑の殻の地肌に、
黒褐のしるき斑紋、ひつそりと転がれる二個。よるべな
く此(こ)は孤独、トキの此は寂しき思想。
嘴伸(はしの)して白く羽根張り、脚ひきて高く翔びゆく。洋(わた)の日の
差し明かりつつ、しき波の寄せ崩れ敷く、寂しかる島の
荒磯(ありそ)を、見おろしに沖を指すトキ。運命の島にはあれど、
たまきはる命かなしみ、青渦の上も一瞬(ひととき)。
さわさわと羽搏(はばた)く翼、しわしわと真白き総身(そうみ)。ただ腋羽
風切羽、虹のごと光靡けり。わだつみの最中の島に、絶え
ゆかむ命をつなぎ、種の持続僅かに残す、Nipponia
nippon、幻の島ぞその悲しみのごと。
しづかなる年の旦(あした)に、うつくしき島を憶へり。しづかな
る年の旦は、古き日の智識の如し。また、若き日の勤(いそ)
しみにも似る。跡無くもなりし智識の、ほの光り甦るご
と、傾けし恋の心の、疼きつつ立ち返るごと、変若(おち)かへ
れ、白き島智慧の島、幻の島、トキの命も。
反歌
あきらけく島山明けて空に鳴く声こそはすれ朱鷺渡るらし
たちかへる年のあしたに島のごと甦りくる智識に遊ぶ
朱鷺幻想 歌碑について
歌人宮柊二(1912~1986年)は、新潟県堀之
内町に生まれ、若くして北原白秋のもとで学び、白秋
死去の後、1953(昭和28)年「コスモス短歌会」
を創設し、これを昭和歌壇最大の結社に育てあげました。
宮柊二にとって「佐渡」は、長岡中学校(現長岡高等
学校)時代の修学旅行で、はじめて歌作をしたゆかり
の地でありました。
「朱鷺」(学名 Nipponia nippon )は、明治以来そ
の生息の地をしだいに狭められ、数も激減し、特別天
然記念物指定・国際保護鳥選定等の保護対策のかいも
なく、絶滅への道を辿りはじめました。
宮柊二は、この朱鷺衰亡の実情を哀しみ、1963
(昭和38)年1月1日の新潟日報紙上に、朱鷺への
賛美と哀惜の思いをこめ、さらにその生命の再生・復
活を願って、長歌「朱鷺幻想」(反歌2首を含む)を発表
しました。
以後、日本産の朱鷺は、高齢の「キン」1羽を残すのみ
となりましたが、佐渡の地元の方々の熱意や、県・国の
支援もあり、中国からの種の保存のための友好的協力
も加わり、人口飼育・人口増殖等の保護事業も、関係者
のお力により大きな成果が見られるようになりました。
このたび、創設50周年を迎えるコスモス短歌会は、
創設者宮柊二が朱鷺に寄せた篤い遺志を体し、佐渡の
新穂村の御厚意によるこの地に「朱鷺幻想」歌碑を建
立し、野生の朱鷺が、再びこの美しい佐渡の大空に舞
う日の来ることを祈りながら、自然敬慕の象徴として、
永く後世に残したいと思います。
平成14年9月28日 コスモス短歌会
朱鷺の森公園の入り口です。
展示場へ向かう道のみどり。
離れているのでズームで撮りました。
これが限界でした。
トキも昔はこの空の下を飛んでいたのでしょうね。
ヤマボウシの花の咲くトキの森公園でした。
ほんの少し観光をしました。
佐渡・・・といえば、朱鷺。
と言うことで「朱鷺の森公園」へ~
朱鷺は古く日本書紀の時代から、日本各地に生息していたそうですが、
平成15年、日本の野生産最後のトキ「キン」が死亡してしまいました。
現在この施設で飼育されているトキは中国から贈呈されたもの、そして
それらが此処で繁殖に成功したものとか。
見学はできますが、トキはかなり遠くの飼育ケージの中でした。
宮 柊二さんの歌碑がありました。
とても立派な歌碑は「朱鷺幻想」の長歌と反歌です。
宮 柊二さんは新潟県魚沼地方のご出身で、コスモス短歌会を創設されました。
魚沼には記念館もあります。
朱鷺幻想
しづかなる年の旦にはるかなる空想をなす
国の秀(ほ)を離れし島に、人の香を恐れて遠く、茂山のまほ
らの真木に、巣をなして産める卵。蒼緑の殻の地肌に、
黒褐のしるき斑紋、ひつそりと転がれる二個。よるべな
く此(こ)は孤独、トキの此は寂しき思想。
嘴伸(はしの)して白く羽根張り、脚ひきて高く翔びゆく。洋(わた)の日の
差し明かりつつ、しき波の寄せ崩れ敷く、寂しかる島の
荒磯(ありそ)を、見おろしに沖を指すトキ。運命の島にはあれど、
たまきはる命かなしみ、青渦の上も一瞬(ひととき)。
さわさわと羽搏(はばた)く翼、しわしわと真白き総身(そうみ)。ただ腋羽
風切羽、虹のごと光靡けり。わだつみの最中の島に、絶え
ゆかむ命をつなぎ、種の持続僅かに残す、Nipponia
nippon、幻の島ぞその悲しみのごと。
しづかなる年の旦(あした)に、うつくしき島を憶へり。しづかな
る年の旦は、古き日の智識の如し。また、若き日の勤(いそ)
しみにも似る。跡無くもなりし智識の、ほの光り甦るご
と、傾けし恋の心の、疼きつつ立ち返るごと、変若(おち)かへ
れ、白き島智慧の島、幻の島、トキの命も。
反歌
あきらけく島山明けて空に鳴く声こそはすれ朱鷺渡るらし
たちかへる年のあしたに島のごと甦りくる智識に遊ぶ
朱鷺幻想 歌碑について
歌人宮柊二(1912~1986年)は、新潟県堀之
内町に生まれ、若くして北原白秋のもとで学び、白秋
死去の後、1953(昭和28)年「コスモス短歌会」
を創設し、これを昭和歌壇最大の結社に育てあげました。
宮柊二にとって「佐渡」は、長岡中学校(現長岡高等
学校)時代の修学旅行で、はじめて歌作をしたゆかり
の地でありました。
「朱鷺」(学名 Nipponia nippon )は、明治以来そ
の生息の地をしだいに狭められ、数も激減し、特別天
然記念物指定・国際保護鳥選定等の保護対策のかいも
なく、絶滅への道を辿りはじめました。
宮柊二は、この朱鷺衰亡の実情を哀しみ、1963
(昭和38)年1月1日の新潟日報紙上に、朱鷺への
賛美と哀惜の思いをこめ、さらにその生命の再生・復
活を願って、長歌「朱鷺幻想」(反歌2首を含む)を発表
しました。
以後、日本産の朱鷺は、高齢の「キン」1羽を残すのみ
となりましたが、佐渡の地元の方々の熱意や、県・国の
支援もあり、中国からの種の保存のための友好的協力
も加わり、人口飼育・人口増殖等の保護事業も、関係者
のお力により大きな成果が見られるようになりました。
このたび、創設50周年を迎えるコスモス短歌会は、
創設者宮柊二が朱鷺に寄せた篤い遺志を体し、佐渡の
新穂村の御厚意によるこの地に「朱鷺幻想」歌碑を建
立し、野生の朱鷺が、再びこの美しい佐渡の大空に舞
う日の来ることを祈りながら、自然敬慕の象徴として、
永く後世に残したいと思います。
平成14年9月28日 コスモス短歌会
朱鷺の森公園の入り口です。
展示場へ向かう道のみどり。
離れているのでズームで撮りました。
これが限界でした。
トキも昔はこの空の下を飛んでいたのでしょうね。
ヤマボウシの花の咲くトキの森公園でした。