やりきれないね 2008-06-10 19:09:49 | 3.お絵かきツール絵 亡くなった方たちのプロフィールを紹介していた。誰一人として人生に失望して命を絶ちたいなんてことを思っている人はいなかった。7人皆が、事件に巻き込まれる瞬間まで自分の足でしっかり自分の人生を生きていて、夢と希望を未来に抱き、胸を膨らませていた。この7人の未来を奪ったその責任の重さは、……… あそこで捕らえられてるあの命1つで償えるものではないけれど最低限の償いはそうされることしかないだろう、…… « もうすぐ父の日カーネーション? | トップ | おお!ツマグロくんがサナギ... »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ひとがひとをあやめひとよりさばかれる (さなや) 2008-06-11 00:24:02 タイトルの通りならば加害者には、人となって欲しい。人である事を、学んでほしい。その上で、極刑を甘んじて受けるべきだと思う。そうでなければ、ただのリンチになってしまう。ならば『仇討』の方が、よっぽどいい。最近『光市母子殺人事件』の判決が出ましたよね。不謹慎かつ誤解を招くのを覚悟の上で、言います。本村洋さん、本当にいい男になりました。思いもよらぬ悲劇に、いきなり突き落とされ、捕まった犯人は未成年、おまけにとんでもない発言をする。そしてその弁護団の、真実を翻弄してるとしか思えない弁護。修羅になっても、誰も責めなかったのに、犯人が己を閉じている時間と同じ時間を過ごしながら、本村さんは自分を叩き上げ磨ぎ澄まし、穏やかな尊顔の男性になった。あれほど犯人に対して憎悪を燃やしていた眼には今、憐みと悲しみの色しか見えない。現在の彼にとって犯人の命は、妻や娘の命と対等の価値があるみたいです。その命を犠牲にするからには、何かを残さなければならない。同じ悲劇を繰り返したら、三人の命は無駄になってしまう…と。今回の事件に於いて、遺族の皆様は未だ、悪夢を見てるような想いの中を彷徨っている事と思います。この現実を受け止めた時、どういう判断をなさるのでしょうか。その時まで、『心ある無関心』に努めたいと思います。 返信する さなやさんへ (ichii) 2008-06-11 08:35:20 『光市母子殺人事件』の本村洋さんは、当初から今に至ってもたいへん冷静で公平で、事件直後の淡々とした受け答えには「これがあの鬼畜の如き事件の犠牲者なのか?」とさえ思いました。煮えくり返っているであろう腹の中をぐっと押さえ押し込めて、本当に冷静に毅然と闘っている姿に、失った家族への愛情と人間としての正しい強さを感じました。そう、秋葉原の事件の容疑者にも家族がいる。そして命を奪った7人にも家族がいる。当事者だけじゃない。大きな悲しみの波が押し寄せています。最後の審判が下される時にはせめて自分が犯したことの重大さやその事から生まれた悲嘆失望に気付いて受け止めてほしいですね。また、もしもこの事件に触発されて同じような行動を起こすような人がいるのなら、その意識の未熟さや情けなさを直視して、最低限の『人間としてのプライド』を持ってほしいです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
加害者には、人となって欲しい。人である事を、学んでほしい。
その上で、極刑を甘んじて受けるべきだと思う。
そうでなければ、ただのリンチになってしまう。ならば『仇討』の方が、よっぽどいい。
最近『光市母子殺人事件』の判決が出ましたよね。不謹慎かつ誤解を招くのを覚悟の上で、言います。
本村洋さん、本当にいい男になりました。
思いもよらぬ悲劇に、いきなり突き落とされ、捕まった犯人は未成年、おまけにとんでもない発言をする。
そしてその弁護団の、真実を翻弄してるとしか思えない弁護。
修羅になっても、誰も責めなかったのに、
犯人が己を閉じている時間と同じ時間を過ごしながら、本村さんは自分を叩き上げ磨ぎ澄まし、穏やかな尊顔の男性になった。
あれほど犯人に対して憎悪を燃やしていた眼には今、憐みと悲しみの色しか見えない。
現在の彼にとって犯人の命は、妻や娘の命と対等の価値があるみたいです。
その命を犠牲にするからには、何かを残さなければならない。
同じ悲劇を繰り返したら、三人の命は無駄になってしまう…と。
今回の事件に於いて、遺族の皆様は未だ、悪夢を見てるような想いの中を彷徨っている事と思います。
この現実を受け止めた時、どういう判断をなさるのでしょうか。
その時まで、『心ある無関心』に努めたいと思います。
そう、秋葉原の事件の容疑者にも家族がいる。そして命を奪った7人にも家族がいる。当事者だけじゃない。大きな悲しみの波が押し寄せています。
最後の審判が下される時にはせめて自分が犯したことの重大さやその事から生まれた悲嘆失望に気付いて受け止めてほしいですね。
また、もしもこの事件に触発されて同じような行動を起こすような人がいるのなら、その意識の未熟さや情けなさを直視して、最低限の『人間としてのプライド』を持ってほしいです。