私がよく見ているテレビ番組に「アシタスイッチ」というのがある。
これは「2人のゲスト対談の様子を見て、何かを感じる」番組だけど
その人の「本音」というか「考え方」が垣間見られて面白い。
「へー、そういう人だったんだ…」と、
イメージとは違う部分に驚く事が結構ある。
ゲストによっては、「あまり興味がないなぁ」とか
「この人、ちょっと苦手」と思っている人もいて
見ようかどうしようか迷う事がある。
いわゆる「先入観」というヤツですね。
でも取り合えず見てから判断してもいいかなと思って見始めると
意外だった部分に出会う。
そうか、その人の「イメージ」を勝手に作りだしていたのは
私の方だったのかと気付く。
その人の一部分だけを見て、そう思い込んだり、勘違いしたり
そこから自分で勝手に「枠」を作って決めつけていたり。
本質は「いろんな角度から見ないと見えない」ものだよね。
「へー、そういう人だったんだ」と新たな発見をする度に
自分で作った「その人の外観」と正反対の「本質」を知る。
その人は初めからそういう人だったんだよ。
だけど、その人が作ったモノとか、発した言葉とかを見て
私が勝手に「その人全体のイメージ」だと決め込んでいた。
この人はこういう人だと、私が勝手に別のイメージを作りだしていた。
でも実際にその人が話する言葉を見聞きしたら、全然違う人だった。
ほんと、一部分で判断してはいけないなと、つくづく思った。
というか、勝手にイメージを作ってはいけないんだね。
30分、話を聞いただけで、その人が解る訳でもない。
親兄弟だって、全てを理解している訳ではないもの。
過去に会った時のイメージも、ずっと同じ訳ではない。
その人が変われば、発するイメージも変わる。
そうか、人はどのようにも変われるからこそ
会ったその瞬間を真っ新にして見たらいいんだ。
そうすれば、その時のその人が解る。
それだけで良いのかなって思った。
最近、記憶ってなんだろうと思っていたんだよね。
人は年を取ると記憶を次第に失くして行く。
父を見てて、特にそう感じた。
数か月前とか、数日前と決して同じではない。
でも昨日はちょっと変だったのに、今日は普通だという日もある。
「同じではない」からこそ、
以前と比べても意味がないことかなと思った。
「その時、その瞬間の父」を
真っ新にして見ていたらいいんだなって解った。
そうすることで、父の本質の部分が見えてくるのかもしれない。
過去の父のイメージと比較するのではなく
毎回、目の前にいる父を、真っ新な気持ちで見る。
そうすると知らなかった「新たな父の一面」が発見できるかもしれない。
父が日常生活で出来ない事は、私が後ろからホローすればいい。
そこはあまり重要ではないんだ。
目の前にいる父を、ちゃんと見れているのか?
そこが大切な気がした。
それを「目の前の現実」として見せられているように思える。
「その時、その瞬間の父」を真っ新にして見る。
それを出来るだけ心がけてみようと思う。。。