自分の姿が客観的に見えて笑えた。
まるで私は「教育ママ」のようだと。(^^;
自分が望む状況に相手が答えてくれない時、なんで解ってくれないのだろうと落ち込む。
相手を責める。
何度も自分の想いを伝える。
でも相手からの反応とか手応えがない。
そのうち、いつまでも同じ事をやってもしょうがないと思い始める。
自分の勘違いだったのか?と思い始める。
そしていつしか、想いをぶつける対象が別の方向へと離れていく。
自分の想いを叶えてくれる対象を探す。
その繰り返しで、ここには「自分しか見てない私」がいた。
相手は自分とは違う個性を持っていて、だからこそいろんな事を気付かせてくれる。
思い通りにならないからこそ、いろんな事が見えてくる。
その時、相手ではなくイラついている自分を眺めたら客観的に見えてくる。
あー、まるで教育ママだなと。
笑えた。
しょーもないな、自分。(^^;
でもそれに気づけたことは大きい。
これからは相手をあるがままで見ようと思った。
今まで見ていたのは「自分が望む相手の姿」だったのかもしれない。
無意識で自分が作り上げた脳内フィルターで見ていた。
だからそれと違ってている相手の行動や現状に戸惑っていた。
相手を見ているようで、見ていなかった。
あるがままとは、どんな部分も引っ括めて相手をそのまま受け入れるということ。
相手の言うことを聞くというのではなく、ただそのまま受け入れて見るということなのかな。
受け入れてその時感じたものを、自分で見ていけばいいだけなのか。
反発する感情が起きたら、それは受け入れてないということだから、
何故受け入れられないのかの原因を見る。
そこを見ていったら、反発はなくなった。
そうやって、違う個性を受け入れていくことが、戦争を無くす事に繋がっていくんだ。
相手を見ているようで、本当は自分しか見ていなかったなと過去の自分が見えた。
内側を見る作業から、同時に外側も見ていく作業へと範囲が広がったような感じがした。