気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

自由の女神

2025-01-21 14:07:03 | 日記
昨日、素敵な夢を見た。
乗り越える壁が二つあったけど、目的地へとエレガントに到達した夢。
その過程に、壁越えのヒントが隠れていた。

どこか地元?のテーマパークみたいな場所にいて、次元の違いでいろんな未来がすれ違うような感覚があった。

夜になり、私は裸の上に薄いガウンのような服を着て外を歩いていた。
途中、男性とすれ違ったような?感じもあった。
先の方にほら穴があり、そこから人や野犬が出てきたら怖いなと思ったが、手にライトみたいなものを持って勇気を出して前へ歩いていた。
何も出てこなかったし、何事もなく通り過ぎた。
途中裸で歩いていて人が何かそれを言っていたような気がしたが、気にせずに歩いていた。

目の前に崖があり、そこを裸?で登っていた。
でもよじ登るのではなくてエレガントに登っていた。
右手の岩の一部(上部分?)が崩れてこれ以上は行けないと思い、そこにただ掴まって助けが来るのを待っていた感じ。
(この時の私は、助けが来るのを信じられていたような感覚)
崖の先にある家の窓から私の姿が見えて、たくさんの人達が手助けに来てくれていた。
誰かが段差の所に椅子を置いてくれて、私は階段を登るように崖を登っていた。
エレガントに崖の上まで登ってた。

私だと思っていた意識の「崖を登った女性」が、今度は若い金髪のウイッグ?カラー染?の女性に変わった。
「髪を金髪にするとフランス人になれるの」と言って楽しんでて、黒い髪の日本女性が元の彼女の姿だった。

お友達?の女子高校生らしき数人とTikTok動画をやってて、動画の案が色々浮かんでいて、それを楽しそうに話し合っていた。

今回の裸の意味は「素の自分」だと感じました。
裸で生まれて来るけど、成長するにつけていろんな価値観とかの服を重ね着してる。
今は「素の自分ではない服」を脱いで手放している途中で、あと薄いガウンだけになってた。
その服は「見えない何かに襲われるという恐れ」から自分をガードする為に着ていた服。
それが「ほら穴を見た時の恐怖」に出ていた。
でも自分の手に持っている明かり(心の声)を頼りに、勇気を出して前に進んでた。
だからその服を脱いで裸になれたんだ。
「心の声を聞いて、勇気を出して行動(前に進む)」という課題は乗り越えた。

あとは崖越えのテーマを残すのみとなった。
そのテーマが「1人で危険を犯しながら必死によじ登る」のではなくて、出来ない部分を解決してくれる人たちにサポートをお願いして、みんなで共に乗り越える喜びを見出す」という個から周りへと広がりを創る世界に思えた。
その過程がエレガントで、それが女性性特有の包み込む愛でもあるのかなと感じた。
力のある男性が「か弱い女性」をエスコートするような?
パワーをそんな風に優しく使える男性って素敵ですよね。
でもか弱い女性も、そこを上手に活かしているように思うんです。
相手の素晴らしさを「受け取る事」で引き出している。
与える愛も、受け取る愛も、どっちもセットだというのが解りました。
力の優劣なんて、本当はないのかもです。
何も出来ない赤ちゃんが、泣いたり笑ったりするだけで最強の光となりますものね。
そうやって共に成長しながら、愛を大きく育てていく世界が新時代のような気がする。

面白いのは後半部分の「若い金髪の女性は、黒髪の日本人だった」という事実(笑)
フランスの金髪女性で浮かんだのが、なぜか判らないけど「自由の女神」でした。
フランス、女神=自由の女神という発想だったのかも。
夢の内容も「心の解放(自由)を手に入れる女性性」に思えるし。。。
それで自由の女神を調べたら面白い事がわかりました。

ニューヨークの自由の女神像は、アメリカ合衆国の独立百周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈された。
フランスのパリにある自由の女神像は、ニューヨークの女神像をフランス人が送った事に対する返礼として、パリに住むアメリカ人たちが、フランス革命百周年を記念して送った。

一方日本の自由の女神像は、日本におけるフランス年事業の一環としてパリの自由の女神像をフランス政府公認のレプリカとして送られ「台場の女神」という別名で呼ばれることもある。

アメリカとフランスは市民による募金から贈呈されて、日本は政府間で贈呈となっている。
アメリカとフランスの調和が先にあって、後で調和の日本(台場)に戻ってきた!?
台場は「ムーの口の場」と書くから、ムー(レムリア時代)とも関係していると思うんです。
つまり最初は古代ムーの一部でもあった日本から調和の輪が世界へ広がって行き、アメリカ→フランス→日本の台場へと調和の女神が戻ってきたのかなーと感じました。
だから「金髪の下は黒髪の日本人」というイメージを夢で見せられた。
そして未来の女子高校生達が、新しいものを想像していくのかなという夢に感じた。
大人の余計な概念を持たない「キャピキャピの女子高生の発想」が、自由に創造する楽しさを見せてくれるのかも🤭
そんな夢に感じました。


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