9月最後の週末、一泊二日で松島方面を旅行してきました。
今回の旅行でお世話になった観光タクシーは、
仙台中央タクシーさんです。
レンタカーを借りようかとも思ったのですが、
人数が多い為ワゴン車のレンタルになるのもちょっと・・・
また、こちら方面、目立った景勝地も少なくて、
自分で観光コースを考えるのはちょっと厄介。。。
ネットで検索していて見つけたのが、仙台中央タクシー「語り部タクシー」でした。
◆その時、何があったのか。語り継ぐ震災の記憶
「語り部タクシー」は、NPO法人宮城復興支援センターの講習を受けたドライバーが、
震災の爪痕が残る場所へご案内し、当時の被害や状況をご説明致します。
くわしくは こちら
最初、父は
「復興工事の様子を見せて回るんだろう。俺はどっちでもいいょ」的なことを言っていました。
実は、私も父ほどではないにしても
「さんさん市場で美味しい海鮮丼食べよう」みたいな
浮かれ気分を持っていました。
ホテルを9時半に出発。
東松島の大高森の後に寄ったのは「大川小学校」でした。
川幅の広い北上川を左手に見ながら走り、
「あの橋を覚えていてください!」と説明を受けました。
橋を横に通り過ぎ視界に見えたのは、
広い草原にポツンと建つ黒焦げたようなコンクリートの塊の小学校。
乗務員さんが丁寧に『その時』の様子を語ってくれました。
橋が瓦礫で詰まって海からの水がせき止められ、
それが溢れて小学校や大川地区を飲み込んでしまったこと。
裏山になぜ逃げなかったのか。 などなど。
聞いているだけで涙が出そうになりました。
父も先頭にたって話を聞いていました。
このほかに「戸倉地区」「南三陸町の防災庁舎」「高野会館」を回りました。
そのほとんどが更地となっていて、
土を積んでかさ上げしている最中です。
震災から8年。一体いつ終わるのでしょうか。
何処もテレビの映像で何度もみた場所ですが、
実際その場に立つと、津波の破壊力のすさまじさに足がすくみ、
その時の恐怖を思うといかばかりだっただろうかと、胸が痛みました。
語り部タクシーを利用してよかったです。
もし自分たちでその場所に行くだけだったら、
きっと「観光」になってしまったと思います。
その時、何があったのか。
それをきちんと知ることが、
震災を風化させない・被災地に寄り添う
という事に繋がるのではないかと思いました。
◆仙台中央タクシー「語り部タクシー」はこちら
今回の旅行でお世話になった観光タクシーは、
仙台中央タクシーさんです。
レンタカーを借りようかとも思ったのですが、
人数が多い為ワゴン車のレンタルになるのもちょっと・・・
また、こちら方面、目立った景勝地も少なくて、
自分で観光コースを考えるのはちょっと厄介。。。
ネットで検索していて見つけたのが、仙台中央タクシー「語り部タクシー」でした。
◆その時、何があったのか。語り継ぐ震災の記憶
「語り部タクシー」は、NPO法人宮城復興支援センターの講習を受けたドライバーが、
震災の爪痕が残る場所へご案内し、当時の被害や状況をご説明致します。
くわしくは こちら
最初、父は
「復興工事の様子を見せて回るんだろう。俺はどっちでもいいょ」的なことを言っていました。
実は、私も父ほどではないにしても
「さんさん市場で美味しい海鮮丼食べよう」みたいな
浮かれ気分を持っていました。
ホテルを9時半に出発。
東松島の大高森の後に寄ったのは「大川小学校」でした。
川幅の広い北上川を左手に見ながら走り、
「あの橋を覚えていてください!」と説明を受けました。
橋を横に通り過ぎ視界に見えたのは、
広い草原にポツンと建つ黒焦げたようなコンクリートの塊の小学校。
乗務員さんが丁寧に『その時』の様子を語ってくれました。
橋が瓦礫で詰まって海からの水がせき止められ、
それが溢れて小学校や大川地区を飲み込んでしまったこと。
裏山になぜ逃げなかったのか。 などなど。
聞いているだけで涙が出そうになりました。
父も先頭にたって話を聞いていました。
このほかに「戸倉地区」「南三陸町の防災庁舎」「高野会館」を回りました。
そのほとんどが更地となっていて、
土を積んでかさ上げしている最中です。
震災から8年。一体いつ終わるのでしょうか。
何処もテレビの映像で何度もみた場所ですが、
実際その場に立つと、津波の破壊力のすさまじさに足がすくみ、
その時の恐怖を思うといかばかりだっただろうかと、胸が痛みました。
語り部タクシーを利用してよかったです。
もし自分たちでその場所に行くだけだったら、
きっと「観光」になってしまったと思います。
その時、何があったのか。
それをきちんと知ることが、
震災を風化させない・被災地に寄り添う
という事に繋がるのではないかと思いました。
◆仙台中央タクシー「語り部タクシー」はこちら