津市久居二ノ町にある野邊野(のべの)神社です。
津藩2代藩主・藤堂高次公の次男・高通公が、
寛文9年(1669年)、津藩から分藩して久居藩を開きました。
久居藩の城下となった地域は、一志郡野辺村と呼ばれていて
奈良街道が通ってはいましたが、のどかな農村地帯であったようです。
初代藩主となった高通公は
「永久に鎮居する」という意味で「久居」と名付け
城下の整備に取りかかりました。
久居城下の建設は萩森又兵衛を普請作事奉行に任命し、
藩の陣屋(現在の久居中学校付近)の周辺には藩士の住居を整備し、
その東側には、本町、二ノ町を整備して、商家や職人を住まわせました。
(拝殿)
この久居城下の整備と同時に、
この地に置かれたのが久居八幡宮(後の野邊野神社)です。
陣屋からの北東の鬼門に当たるこの場所に、
小戸木にあった八幡宮を移したのが始まりです。
(拝殿の横に市民が奉納した絵馬)
久居藩は、初代・高通公から16代・高邦公まで、
200年続きました。
(南の鳥居)
藩士の住居は、久居西鷹跡町、久居東鷹跡町辺りに約200戸の武家屋敷が造られ、
町屋は本町・二ノ町・幸町・万町・旅籠町・愛宕町・寺町・五軒町・七軒町・八幡前に町割りされました。
これらの城下町より北側(現在の、中町、明神町、射場町あたり)は、
防火のために、意図的に町を造らなかったということです。
(現在の二ノ町)
野辺野神社のお稲荷さん
野邊野神社にある藤堂高通公の句碑