「久居一の名刹(めいさつ)」と呼ばれる、久居元町の賢明寺へ初めて行ってきました。
津市久居総合支所の東の道路を南へ、
川併神社を過ぎて100mほど南へ進むと、
住宅街のブロック塀に目印の看板(上の画像)があります。
この看板を右折して、住宅街に入ると、
道路の先にお寺の大きな屋根が見えてきます。
お寺の山門の北側に大きな駐車場があります。
奥の建物は、市の埋蔵文化財センターの分室です。
朱塗りの山門です(津市指定有形文化財)。
津市内でも数少ない朱塗りの山門です。
これは立派です。この山門だけでも見に来る価値ありです。
門の中には仁王像がありました。これも朱に塗られていたようです。
境内と本堂です。
山門の威容に比べると本堂は小さく感じます。
またこの本堂以外には、大きな堂宇は残っていないようです。
銅灯篭は、江戸時代の作で、初代久居藩主・藤堂高通公の寄進によります。
笠には藤堂氏の家紋である「蔦(つた)」の模様が入っています。
(津市指定有形文化財)
五輪塔は「板五輪」と呼ばれる、鎌倉時代のもの(県指定文化財)。

(地蔵堂と鐘楼)
賢明寺(清瀧山千手院賢明寺)は、奈良時代天平年間に、
聖武天皇の命で僧行基が開いたと伝えられています。
本尊は「大悲千手観音菩薩」。
以降、天台宗の寺院として、久居藩代々の祈願所となりました。
江戸時代の享保4年、中御門天皇がこちらの智空法師を京都に招き、嗣子の誕生を祈願したところ、
翌年に皇太子(後の桜町天皇)が御生まれになった、ということです。
ところがですね、
明治の廃仏毀釈によって、こちらは無住寺となり、檀家もなくなってしまいました。
現在は、町内の有志で保存会を作り、
毎年8月10日の「十日観音」、2月3日と11月23日の「人形供養」などの行事を行っています。
境内にある稲荷神社、祠の脇には庚申塔と山の神が祀られていました。
本堂の南側に並ぶ、「西国三十三観音」を模した観音像。
本堂の裏に立つ五輪塔、とても大きなもので3m以上あります。
平成2年に初代久居藩主・高通公を顕彰して建てられたものだそうです。
同じく本堂の裏に建つ石像、
メガネがあれば「カーネルおじさん」に似ていますが、
実はこの方、三重医専(三重大学医学部の前身)の初代学長であった、
石川日出鶴丸先生の像であります。
戦時中の1944年から戦後の47年まで学長を努められましたが、
その間に空襲で校舎が焼け、津市大谷町から芸濃町雲林院に校舎が疎開するなど、
大変な時代であったようです。
こちらのお寺、上記のように檀家も無くて、
建物の修理にも苦労されているようですが、
この像を境内に持ってきて「医学部の受験祈願のお寺」とかでPRすれば良いのに、と思いました。
軍馬軍犬の碑と陸軍墓地(久居野村町)