昨日の続き
職種の資格や教育をレベルを上げた時どうなるか。新しい資格に見合わない人の職権を取り上げず、そのまま残す事をグランドファーザーと呼びます。以前に書いた記事はこちら。
資格や教育レベルの変更は時間をかけて行います。まず、その方向へ向かっていく事をアナウンスします。そうするのは、新しい資格に見合わない人に新基準に見合うように教育を受ける事を促す為です。BC州の正看護師の資格が3年制から4年制に変わった時、大学に再入学した人もいればそうでない人もいました。
正看護師としてスタッフナースとして働くにはグランドファーザーできるので関係ありません。しかし師長や教育者として働いている人はそうはいきません。居残りたい人たちは学士を取得に向かったわけです。修士以上の学歴保持者と異なり学士保持者は大多数。供給はいくらでもあるわけなので雇用者として要件に満たない人を切る事は容易だからです。
と、言うわけで要件に満たない人は数年後に切られたわけです。しかし師長レベルは労働組合の会員なので、労働組合をバックに不当格下げを訴えてきた(もう随分前の事で忘れたのですが、給料は凍結で職種を変更だから悪い条件ではなかったはず)。この後どうなったかは知りませんが、トライもせずに椅子を保持するだけでは労働組合以外のサポートは得られないでしょう。実際努力して学士を取得した人たちはいたのですから。その人たちと同等に扱って欲しいというのは虫が良すぎるというものです。
修士以上が課せられる職種も同様です。長年その座に着き功績が認められ、退職も目の前の場合、目をつぶってもらえる場合もありましたが、こちらはもっとシビアです。なんせ給料の額が違うし、経験値ではどうにもならない学から生まれる才覚で組織の効率化を狙うのが目的ですからね。それにこのレベルになると労働組合はなくなり、組織にプラスになるかどうかできっぱり判断が下されますから。
クリアでしょうか?教育と資格は相互関係がありますが、雇用は別という事です。北米は実力主義の社会ですから、教育や資格の変化が反映されるのも早いという訳です。
政治家においても大企業になればなるほど、日本はここが甘いのではないでしょうか?年功序列が何よりも幅を利かせ、才能ある人を腐らせる。上司の顔色より実績を伺った方が良いのでは?才覚もビジョンもないもの同士が将来を語っても未来は何も変わりません。石を絞っても血は出てこないし、ゼロに何をかけてもゼロでしかないのです。
明日はマネージメント=管理 について書きますね。
冒頭の写真。ライトの色を変える事が出来ます。雰囲気が変わります。私は白が好きだけど旦那はこちらが好き。日によって色が変わります。