今から7年ほど前のこんな季節だったでしょうか。
ちょっぴり切ない思い出が…。
なんだかお話したくなりました。
やさしくて男前でとても紳士だった義父が不調を訴え
このままではいつ脳梗塞で倒れるかわからないと
万が一に備えて手術をすることになりました。
手術前には元気に廊下を歩きながら私がしていたおニューのストールを
なかなかいいね~とほめてくれたのですが
それが元気な最後の姿になってしまいました。
何時間もかかった手術後のICU。
翌日麻酔から覚醒する状態の中で思いがけず半身不随になったことが
おぼろげにもわかってしまったのでしょう。
声にならない声で酸素マスクの下から
身体が動かなくなった…
お風呂を直さなくちゃ…
車椅子がいる…等とかすかな意識の中で必死に訴えていました。
その後混沌とした数日を過ごして麻酔からさめてみると
不本意ながら自分の不幸を憂い、その中でも前向きに
自宅の改装や車椅子の心配までしていたはずの義父は
もうその思考の少し外れたところにいってしまいました。
悲しいことです。
言葉も表情も今までの義父とはちょっと違った面持ちになってしまいました。
その後どんどんかつての面影が薄れていく中で
私たち家族は必死でなんとか以前の義父に…と願う日々。
丁度これからの春を楽しむような季節のことでした。
そんな状況のワタシを励ますかのように
友人からかわいい春のイラストとやさしい言葉が添えられた葉書が届きました。
毎日のように届くその葉書。
水墨画や書などに堪能だった義父に
せめてこの季節を感じてもらおうと葉書を見せると
輝いたように喜んでくれます。
ワタシはあぁ~どんなになってもこれが私たちの義父だ!
多少今までとは違う状態ではありましたが
この可憐な季節の風情を喜んでくれていると思うと本当にうれしくなりました。
そんなある日この桜の小枝の色鉛筆が届きました。
早速義父に見せたのは言うまでもありません。
すると義父は色鉛筆の作者が今までの葉書の主と同じだと知ると
「このひとは本当に心の優しい人だ」と感激して
この桜の小枝の色鉛筆を本当にいとおしく眺め
素晴しいと心底喜んで感動してくれました。
こういう感動を共有すると言うことは
人がどんな状態になっていても何にも変わることのない心のふれあいですね。
気持ちが通じ合えたことが何にもまして嬉しくて
贅沢なことは考えずこのような優しい時間が少しで長く続くのなら…と
願わずにはいられませんでした。
そんな願いもむなしく義父は
あっという間にどんどんかつての面影がなくなり
私たちには楽しい時間を過ごせているのかどうかさえ
解らなくなってしまいました。
その後いつかいつか…
こんな風に季節の草花や気持ちのいっぱいつまった小枝を愛おしいと思う
義父の面影を探しましたがなかなか探し当てることが出来なかったのですが
私には桜の小枝を見て心から感動して喜んでくれた義父との時間が
何にもかえがたい思い出となりました。
今この桜の小枝の色鉛筆は優しく微笑む義父と義母が納まった写真立ての脇に
大事に飾りいつでも楽しめるようになっています。
きっと二人で桜の咲く季節がやってくるのを心待ちにしているに違いありません。
**送ってくれた友人にも感謝の気持ちをこめて…。**