ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

超ホワイト企業?富岡製糸場

2018-09-09 22:19:51 | 時は輝いている
快晴。32-26℃
深夜やいやいに強制給餌、早朝も強制給餌。
イザ、小布施、待ってろ、ブラムリー!
睡眠不足でフラフラ、6時に自宅を出発した。
(他のメンバーは、アドレナリンギラギラ、嗚呼wwww)

実は数か月前に、わが県から長野へ行く近道が開通したのである!!





東京の美女木まで行かなくて済む、






埼玉三郷迄、なんと我が家から13分(高速で)wwwww
ふふん、楽勝だぜ、長野、新潟wwww

あれれ、道が混みだしたぞ?



ファツ、事故ですとおおお?














この事故のおかげで一時間の大渋滞。
救急車もナシ、怪我人ナシで、
バイクには若い美しい外国人のカップル、
男性金髪、女性は超ミニスカート無傷で、事情聴取されていた。
(この大渋滞に、思わず小指を突き立てようとした仲間を止めたのは、言うまでもない(;^_^A)



その後は車はスムースに、
世界遺産「富岡製糸場」にNさんの亡き御父上(御存命なら93)が、
ボイラー技師として若かりし日に勤められていたことが判明!
「えええええっ、そうなんですかっ、いくべ、いくべw」



ふふん、到着。







入場料大人1000円+ガイドツアー200円也



ここは明治5年の「木骨煉瓦造」なんですよね、
このハーフテンバーのような杉の通し柱があるからこそ、2011の3月11日の東日本大震災にも耐えたと言われています。
なお逆側にはベランダに似ているけど、外廊下があり、
それはカイコを沢山貯蔵するために外に廊下を設けたのです。


で、煉瓦は甘楽町福島の瓦職人作、漆喰は下仁田の石灰、基礎は甘楽町小幡の石、ガラスだけ作れないで輸入します。


で、煉瓦の積み方、
上はずっとフランス積み(煉瓦を縦、横方向に組んでいる)でいっていますが、
下2段だけ日本積み(芋積み)にしているのが謎です。




杉の通し柱は30本、三十三間堂に負けたとなw

当時にしては立派な社宅はかなり上の人が住んでいたらしい。









こちらはコロニアル様式のベランダがついています。





女工さんを教えるフランス人女性教師さんが住んでいたそうです。

いよいよ繰糸所へ





このうだつの様な屋根、蒸気を抜くための開閉窓なのです。
当時は電気もなく、全て動力はボイラー頼り、用水は隣の川、石炭(亜炭)は高崎から。
そして、養蚕の盛んな土地柄から、ここに工場が建てられたわけです。



この繭を機械に落とす、天井のベルトコンベアーは日本人ならではの考案だそう。




通し柱がない広い構造が欲しいため、天井はトラス構造で組まれています。
(一瞬ハンマーツーだ!と答えそうに)


機械の説明は撮影しきれません。



ただ、ここでこの織リ機はトヨタ織機と答えて私はブーでした。
様々な質問をされます、桑の実はマルベリーであるとか、ここまでは全問正解)
正解は、あああっ、「やっちゃえ日産!」とくるかぁ、えええっ、日産でしたかああああwwww

ここでガイドはポケットから繭を取り出し、
実際に糸を数名に引っ張らせてくれます、が、当然そのままの糸は切れます。
生糸を繰るヒントは、タンパク質はお湯(熱)による変性を遂げるからこそ可能なのです。
そして、何故一本の糸口を探し当てるか、
探し当てていませんな、お湯で糸を強くし、かつカイコの唾液物質を緩めて、
ぐるっと一皮むいて、そこから1300メートルの糸を取ります。
私はほぼ正解をしましたが、
結局のところ、友達と初めに繭をゆでたやつがエライのだ!につきます!

そのビデオが3分。
ついでに残ったさなぎは魚の餌や人の食糧、さすがの昆虫食!
(因みに、私はさなぎを食べたという老人を知っています。)

さて、Nはこの梯子を観て、自分のボイラー技士のお父上が上り下りしたのだと大感激。

蒸気を抜くんですね。








この診療所が凄かった。医療費、入院費ただなのですから。




そして、夜間の学校に大感激。






寄宿舎もすごい。
ガイドさんは女工哀史や野麦峠ではない、ここは超ホワイト企業だと。
勤務時間も7・5時間w
ここから優れた女工が指導者として巣立っていくのです。

で、女工の待遇はわかったが、
結局Nさんのお父上ボイラー技士は高級待遇で、フランス人技師たちの部屋に寄宿が判明。
聞いてみたらここらしい。(聞けばいいのに、聞かないので、赤の他人だが聞いてみる。)




Nさんは「私、一生今日の日を忘れないわ」と大喜び。

最後がユネスコの碑の前で



ここが作られた時は一ドルが一円(ここもクイズでありw)だったというクイズが出され、
「当時の世界が欲しかったもの、金(きん)と何でしょう?」とガイドがきますw
で、全員もごもご不正解で、私が「シルク」で正解、
オマイら何見学してんだぁああ。ゼィゼィ、ハァハァ_| ̄|○
日本の生糸の生産量はここから世界一を誇り(ナイロンが来るまで)、
富国強兵の歩みとなっていくわけですわ、ちゃんちゃん。




用水が綺麗です。


中も充実。

コンサートするらしい。


説明ビデオも良いぞ、BGMのバイオリンも。


ここでも片倉製糸時代の説明に見入るN。
彼女の「父と歩けば」が出来て良かった。

写真は載せられない程撮り、ああもうここは割愛。



さぁ、昼ごはんです。



有名な横川駅の峠の釜めし弁当。


知る人ぞ知る、マックスコーヒーだぁああ。


さぁ、小布施へと続く。
コメント (2)
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