まず最初に、被害にあっているお友達二人から要拡散のお願いです。
明日は我が身です。今日は、ご自分のブログを検索してみてください。
飛んで、飛んで、飛んで~ エロサイト!? (リンク記事追加 + 訂正 + 追加)
飛んで、エロサイト!? 緊急報告!
サイバー警察に訴える事しか思いつきませんが、多くの人が訴えれば警察も動くのではと思っています。
一日中雨。23-18℃
ゴミゴミした街は雨の中に沈んでいる…。
そして、私はうっかり薬を切らしてしまっていて、
行きつけの病院は今日は休診日である。
一生続けなくてはいけない薬が2つあり、これはもう、逃れることが出来ない。
3つ目の薬も寛解しなくては、飲み続けなくてはいけない。
歯科にも定期的に行くが、まぁ、私は病院を離れて生きていく事は出来ない。
そこらへんの事情からも、自然の中でなく、
この病院で込み入った街で生きていく事がふさわしい訳である。
相変わらず、猫(やいやい)の体調を気遣う毎日。
他の猫はおこぼれをもらってラッキーだと思うが…。
そして、一度は弾けたのに、
私も停滞気味で、メトロノームの速度♩160で弾けないのだった。
気分転換に、久しぶりにファーブルの伝記を読んだ。
どのページも面白い、特に染料や数学、、、生活苦、虫以外の話が面白い。そしてとても詩情に満ちあふれている。
だが、あえて虫の話で。
彼は実験で虫を拷問することを、苦しんできていたのである!!
「ファーブルの生涯 G・V・ルグロ 平野威馬雄訳」
さんざん秘密を明かしてもらったお礼に、昆虫どもに大好きなものを十分にあたえてやってから、さて自由の大地に放してやろうというときに、ファーブルはせつないなごりをおしまずにはいられなかった。
「さようなら、よくいろいろなことを教えてくれたね、さようなら。さあ、どこでもすきなところへ、おとうさんやおかあさんが待っているやぶのなかへでも、にいさんやねえさんが遊んでいる花園の中へでも、すきなところへお帰り!」
と言いながら放してやる。そしていつまでも彼らの飛んで行ったあとを見送っている。
ある夜の事―――それは美しい夜だった。オオクジャクサンが、おもいもがけないことに彼の家へ飛んできた。書斎のなかに入ってきて、しきりにランプのまわりを飛びまわった。子供たちが手を伸ばしてつかまえようとした。するとファーブルは、「いけない、いけない。いたわっておやり。せっかく遠くから明りの国へやってきた巡礼じゃないか」と、しかった。こんな例は無数にある。
地球の表面で、我々人間といっしょに同じ空気をすって生きているすべての動物は、それぞれある荘厳な、しかも整然たる任務をはたしている―――ということを、彼はかたく信じていた。だからこそ彼は、自分の部屋へよろこんでツバメをむかえてやるのだ。ツバメは喜々として部屋から部屋を飛びまわり、あるいは大切なノートや書類を荒らしまわる。けれども、ファーブルはけっしてそんなことを意に介そうともせず、この小さな家族に研究室を自由に開放してやった。小さなツバメのおとうさんやおかあさんはいつも外で寝ていたが、彼は夜の明けるころ、窓をあけてやろうとして、重いまぶたをこすりながらおきあがった。
彼はみんなに毛ぎらいされているガマさえも不憫に思い、これまで誤解されてきたその善良な心建てをはっきりと浮き彫りにして、ガマへの正しい理解を世の人に知らせようとつとめた。またとくに人から恨まれ、狩りたてられ、踏みつけられ、石をぶつけられ、はりつけにされてきたコウモリやハリネズミやフクロウが、いかに田畑の作物を荒らす害虫どもをふせいでくれる役に立つ連中であるかを、こまかにえがいてくれた。そして、世の中からうとんじられるそうした鳥やけものの名誉を挽回してやった。
ああ、子供の頃に読んだ、そして手放した「ファーブル昆虫記」を思い出しました。
彼は夕方、庭の小道に現われるガマに「哲学者」という名前を付けており、
私も倣い、今は無き実家の庭に、毎晩現われる大きなガマにも、
小学生の私は「哲学者」と名付けていたのでした…。
明日は我が身です。今日は、ご自分のブログを検索してみてください。
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サイバー警察に訴える事しか思いつきませんが、多くの人が訴えれば警察も動くのではと思っています。
一日中雨。23-18℃
ゴミゴミした街は雨の中に沈んでいる…。
そして、私はうっかり薬を切らしてしまっていて、
行きつけの病院は今日は休診日である。
一生続けなくてはいけない薬が2つあり、これはもう、逃れることが出来ない。
3つ目の薬も寛解しなくては、飲み続けなくてはいけない。
歯科にも定期的に行くが、まぁ、私は病院を離れて生きていく事は出来ない。
そこらへんの事情からも、自然の中でなく、
この病院で込み入った街で生きていく事がふさわしい訳である。
相変わらず、猫(やいやい)の体調を気遣う毎日。
他の猫はおこぼれをもらってラッキーだと思うが…。
そして、一度は弾けたのに、
私も停滞気味で、メトロノームの速度♩160で弾けないのだった。
気分転換に、久しぶりにファーブルの伝記を読んだ。
どのページも面白い、特に染料や数学、、、生活苦、虫以外の話が面白い。そしてとても詩情に満ちあふれている。
だが、あえて虫の話で。
彼は実験で虫を拷問することを、苦しんできていたのである!!
「ファーブルの生涯 G・V・ルグロ 平野威馬雄訳」
さんざん秘密を明かしてもらったお礼に、昆虫どもに大好きなものを十分にあたえてやってから、さて自由の大地に放してやろうというときに、ファーブルはせつないなごりをおしまずにはいられなかった。
「さようなら、よくいろいろなことを教えてくれたね、さようなら。さあ、どこでもすきなところへ、おとうさんやおかあさんが待っているやぶのなかへでも、にいさんやねえさんが遊んでいる花園の中へでも、すきなところへお帰り!」
と言いながら放してやる。そしていつまでも彼らの飛んで行ったあとを見送っている。
ある夜の事―――それは美しい夜だった。オオクジャクサンが、おもいもがけないことに彼の家へ飛んできた。書斎のなかに入ってきて、しきりにランプのまわりを飛びまわった。子供たちが手を伸ばしてつかまえようとした。するとファーブルは、「いけない、いけない。いたわっておやり。せっかく遠くから明りの国へやってきた巡礼じゃないか」と、しかった。こんな例は無数にある。
地球の表面で、我々人間といっしょに同じ空気をすって生きているすべての動物は、それぞれある荘厳な、しかも整然たる任務をはたしている―――ということを、彼はかたく信じていた。だからこそ彼は、自分の部屋へよろこんでツバメをむかえてやるのだ。ツバメは喜々として部屋から部屋を飛びまわり、あるいは大切なノートや書類を荒らしまわる。けれども、ファーブルはけっしてそんなことを意に介そうともせず、この小さな家族に研究室を自由に開放してやった。小さなツバメのおとうさんやおかあさんはいつも外で寝ていたが、彼は夜の明けるころ、窓をあけてやろうとして、重いまぶたをこすりながらおきあがった。
彼はみんなに毛ぎらいされているガマさえも不憫に思い、これまで誤解されてきたその善良な心建てをはっきりと浮き彫りにして、ガマへの正しい理解を世の人に知らせようとつとめた。またとくに人から恨まれ、狩りたてられ、踏みつけられ、石をぶつけられ、はりつけにされてきたコウモリやハリネズミやフクロウが、いかに田畑の作物を荒らす害虫どもをふせいでくれる役に立つ連中であるかを、こまかにえがいてくれた。そして、世の中からうとんじられるそうした鳥やけものの名誉を挽回してやった。
ああ、子供の頃に読んだ、そして手放した「ファーブル昆虫記」を思い出しました。
彼は夕方、庭の小道に現われるガマに「哲学者」という名前を付けており、
私も倣い、今は無き実家の庭に、毎晩現われる大きなガマにも、
小学生の私は「哲学者」と名付けていたのでした…。