曇りから晴れ、夜は雨へ。28-22℃




第一目標が済んで、いささか疲れた…。
さぁ、祭典はとりあえず終わったのだ、
私は、私の静かな物語を、始めようと思う。
まず、掃除機をかけ、床を雑巾がけした。
汚し屋さん達。





今日は、さすがに弾きたくなかった。
基礎練習をイヤイヤして、
弾きたかったカノンを、気が滅入ると勇気づけに弾くのだった。

そこで、サボったが、、、
しかし一日サボると三日戻るという都市伝説!
夕方から気を取り直して練習をする。
全てを諦めてきた私には、ささやかな夢があるのだから。
やいやいは相変わらず。
朝、輸液、その後は食餌の悩みが続く。



タオルでくるんで、またがって押さえつけて…。
ふと、ジェイムス・エリオット先生の文章の一節を思い出す。




「ボリスとボンド夫人の猫施設」より、
診察は厄介なことになりそうだった。私はボンド夫人を見た。「なにかシーツのようなものを貸してもらえますか。古いアイロン用のシーツなどで結構です。シーツでこの猫を包まないとうまくいかないようです」
「包むんですか?」ボンド夫人はひどく疑わしげな顔をしたが、別室へ姿を消し、ぼろぼろながらなんとか使えそうな木綿のシーツをもって戻ってきた。
私は猫の餌皿、猫の本、猫の薬など、驚くほどいろいろなものが載っているテーブルを片付け、シーツを広げると、もう一度患者へ接近した、こういう場合、決して焦ってはならない。よし、よし、いいこだ、いいこだと、五分ほどかけてなだめすかし、その間に片手を徐々に近づける。頬が撫でられるくらいに近づくと、素早く首筋をつかむ。こうしてようやくジョージを持ち上げると、激しく抵抗して四つ足でもがくのもかまわず、テーブルへと運んだ。それから、まだ首筋をしっかりとつかんだまま猫をシーツの上に置き、包み込み作戦に取り掛かった。
これは手に負えない猫にごく頻繁に用いられる手法で、実を言うと私はこれがかなり得意なのだ。目的は猫の必要な部位だけを出して、残りをきっちりと包んでしまうことにある。必要な部位は傷ついた足の事もあれば、尻尾のこともあり、今回の場合はむろん頭部だ。思うにボンド夫人が私に文句なしの信頼を寄せるようになったのは、私があの猫を手早く包み込むのを見た時からだったような気がする。
このささやかな特技は内心私の誇りなのだ。「ヘリオット君には多くの点で能力の限界があるが、猫を包み込むことだけは人一倍うまい」と同業の獣医たちが昔言っていたことが今でも知られている。
シーツにくるまれたジョージは怒り狂ってもどうにもならず、注射は無事にすみ、ボンド宅への私の最初の往診も終わりとなった。
この後、ボンド夫人との信頼を裏切る、助手のトリスタンの楽しい騒動が持ち上がるのだが、割愛。
私の心は、ノースヨークシャーで猫を包むヘリオット先生の気持ちとなっていた…。
日が短くなった、
朝晩の空気に、秋の気配を感じる。

夕暮れに、
ちょっと一緒に散歩に出る人があったらと、
黙って、何も言わずとも気心が知れている人と、と思う…。
多分、こればかりは、永遠に思い続ける。(そして、犬を飼うには遅すぎる)




第一目標が済んで、いささか疲れた…。
さぁ、祭典はとりあえず終わったのだ、
私は、私の静かな物語を、始めようと思う。
まず、掃除機をかけ、床を雑巾がけした。
汚し屋さん達。





今日は、さすがに弾きたくなかった。
基礎練習をイヤイヤして、
弾きたかったカノンを、気が滅入ると勇気づけに弾くのだった。

そこで、サボったが、、、
しかし一日サボると三日戻るという都市伝説!
夕方から気を取り直して練習をする。
全てを諦めてきた私には、ささやかな夢があるのだから。
やいやいは相変わらず。
朝、輸液、その後は食餌の悩みが続く。



タオルでくるんで、またがって押さえつけて…。
ふと、ジェイムス・エリオット先生の文章の一節を思い出す。




「ボリスとボンド夫人の猫施設」より、
診察は厄介なことになりそうだった。私はボンド夫人を見た。「なにかシーツのようなものを貸してもらえますか。古いアイロン用のシーツなどで結構です。シーツでこの猫を包まないとうまくいかないようです」
「包むんですか?」ボンド夫人はひどく疑わしげな顔をしたが、別室へ姿を消し、ぼろぼろながらなんとか使えそうな木綿のシーツをもって戻ってきた。
私は猫の餌皿、猫の本、猫の薬など、驚くほどいろいろなものが載っているテーブルを片付け、シーツを広げると、もう一度患者へ接近した、こういう場合、決して焦ってはならない。よし、よし、いいこだ、いいこだと、五分ほどかけてなだめすかし、その間に片手を徐々に近づける。頬が撫でられるくらいに近づくと、素早く首筋をつかむ。こうしてようやくジョージを持ち上げると、激しく抵抗して四つ足でもがくのもかまわず、テーブルへと運んだ。それから、まだ首筋をしっかりとつかんだまま猫をシーツの上に置き、包み込み作戦に取り掛かった。
これは手に負えない猫にごく頻繁に用いられる手法で、実を言うと私はこれがかなり得意なのだ。目的は猫の必要な部位だけを出して、残りをきっちりと包んでしまうことにある。必要な部位は傷ついた足の事もあれば、尻尾のこともあり、今回の場合はむろん頭部だ。思うにボンド夫人が私に文句なしの信頼を寄せるようになったのは、私があの猫を手早く包み込むのを見た時からだったような気がする。
このささやかな特技は内心私の誇りなのだ。「ヘリオット君には多くの点で能力の限界があるが、猫を包み込むことだけは人一倍うまい」と同業の獣医たちが昔言っていたことが今でも知られている。
シーツにくるまれたジョージは怒り狂ってもどうにもならず、注射は無事にすみ、ボンド宅への私の最初の往診も終わりとなった。
この後、ボンド夫人との信頼を裏切る、助手のトリスタンの楽しい騒動が持ち上がるのだが、割愛。
私の心は、ノースヨークシャーで猫を包むヘリオット先生の気持ちとなっていた…。
日が短くなった、
朝晩の空気に、秋の気配を感じる。

夕暮れに、
ちょっと一緒に散歩に出る人があったらと、
黙って、何も言わずとも気心が知れている人と、と思う…。
多分、こればかりは、永遠に思い続ける。(そして、犬を飼うには遅すぎる)