◆切り絵「二条城・唐門」 P40号
今年最後の作品「二条城・唐門」P40号です。
二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは 日本史上あまりにも有名です。
二の丸御殿、二の丸庭園、唐門など、約400年の時を経た今も絢爛たる桃山文化の遺構を見ることができます。
唐門は二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。
門には長寿を意味する「松竹梅に鶴」や、聖域を守護する「唐獅子」など、豪華絢爛な極彩色の彫刻を飾ります。
2013年(平成25年)の修復工事によって、往時の姿によみがえりました。
約2ヶ月かけて「二条城・唐門」P40号の大作に挑みやっと出来上がりました。
写真はモノクロですが実際はカラーで、金細工の豪華さを再現しました。
今年最後の作品「二条城・唐門」P40号です。
二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは 日本史上あまりにも有名です。
二の丸御殿、二の丸庭園、唐門など、約400年の時を経た今も絢爛たる桃山文化の遺構を見ることができます。
唐門は二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。
門には長寿を意味する「松竹梅に鶴」や、聖域を守護する「唐獅子」など、豪華絢爛な極彩色の彫刻を飾ります。
2013年(平成25年)の修復工事によって、往時の姿によみがえりました。
約2ヶ月かけて「二条城・唐門」P40号の大作に挑みやっと出来上がりました。
写真はモノクロですが実際はカラーで、金細工の豪華さを再現しました。
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