手放し!手放し!と思ってたら、そもそも
手放すものを何も持っていなかったというね。。
悲しい。
ならば、その願望だろうね、それに価値を
置いてるまさにその思いを手放せと。
私は、娘に対する自分がいやでいやで
変えたくて変えたくてこれをやっています。
我慢して怒らない、というレベルではなく。
躾のつもりで怒ることや、
(娘の失敗や間違いを)可愛いといって笑う、
(私が笑うときは、自分が優位に立てたときだけ)
夫に怒ってるのに気付かず、娘に絡むとか。
そのついついやってしまうことの多さ!
ガラポンを娘にさせず自分がやってしまったこと、
景品のバッジを自分基準で要らないと言ったこと
娘の分のおやつやデザートを「ひと口(頂戴)!)」と言ってしまうこと。
後悔は多々ありますが、
罪悪感や後悔は引きずらないようにしているので。
それはそれでいいと思います。
これからです。がんばりますと意気込みたいところですが、
自分(自我)の掲げる目標は手放します。
いつも思います。こどもたちを見てると、
ママを喜ばしたい一心で生きてること。
たとえそうじゃないように見えても。
しかし、やはり、こどもたちはママを
幸せにすることはできませんが、
こどもたちの親の気を引きたい
あわよくば可愛がられたい(赤ちゃんの頃のように)、
という気持ちを、こどもよりは
大人なのだから、親たちは汲むことはできるはず。
反省ばかりの日々だけど、
全てゆだねます。神様に。
私は苦しみたくないので。