忘れな草の花籠

確かハンドメイドブログだったはず・・・

日本人と物語と余白

2018-05-07 08:48:09 | Weblog
今日は大雨になる予報がでてますね。
うーん、お買い物・・・。


さて本日も5時前に目が覚め、
起きるまでまだ時間がだいぶんあったので
布団の中でゴロゴロと転がりながら
昨日のすねこすりのお話を思い出してました。
あのお話はハッピーエンドじゃないからこそ
心に残るんですよね。

そもそも日本のお話って
ハッピーエンドのものより
そうでないもののほうが心に残りませんか?

竹取物語だとかぐや姫は月に帰っちゃうし
源氏物語だと紫の上は光源氏を残して先に逝っちゃうし
つるの恩返しも鶴になって帰っちゃうし
平家物語も二位尼が安徳天皇抱いて「水の中にも都はあります」といって入水するし
アトムは地球のために自分を犠牲にするし・・・。
などなど。

なんとなくもの悲しい結末にはなっていますが
そのあとなんですよね。
そのあと、結末からその先を
脳内補完して見えない物語の先を
自分たちで想像したり作ったりしませんか?
涙を流しつつも
いやこれで終わりではない、
目には見えないけれど絆はしっかりあるから
心はつながっている、
そういう部分を自分たちで作って補えるので
心に残るのではないでしょうか。

だから昨日のすねこすりのお話も
人間と妖怪とはいっしょに暮らせないのが道理。
でも見えない絆はきっとあるはずだから
自らの身をひいて山に帰ったすねこすりは
おばあちゃんとの楽しかった日々を思い出しながら
人の気力を吸うこともなく
天寿を全うするのでは(妖怪に天寿ってあるのか!?)、
と自分なりに昇華させてみました。
きっと「夏目友人帳」のにゃんこ先生と貴志くんも最後は
離れ離れになっちゃうよね・・・。
でも大丈夫、きっと心はいつでもつながっているから。

本当はハッピーエンドがいいんでしょうけどね。
でも自己犠牲の上での心のつながりというのは
本当に本当に心にしみるのです。

日本人はおそらく行間を読むのが好きな民族だと思います。(※個人の感想です)
だからこそ余白を残すお話が好まれるのかと。
自分で好きなようにお話を作ることのできる余白。
世界で最も短い定型詩、
「俳句」ですよね。
この俳句も字面だけでなく、
その背後にあるものを読み解いたり作ったりするのが楽しいのですよね。

・・・と月曜の朝から
なんやかんやともの想いにふけりながら
現実逃避する私でした。

さて掃除とお買い物・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする