風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

曾良庵の許に・・・  曾良庵Soraaaaanを名乗った男

2012年05月20日 | 曾良庵ヴギ

少し 趣の違う 内容です

「曾良庵」を 名乗った僕の曽祖父

どうして継承したかは 父の本から抜粋します

諏訪は芭蕉翁と奥の細道を旅した河合曾良の生まれた土地で、

その為か昔から俳句が盛んであった。

系列も一つではないらしいが、江戸中期に【藤原文輔】という人がいた。

上諏訪の人で和泉屋喜右エ門といい、盛んに俳道の復古を説き、

曾良の後継をもって自ら任じ

蕉門四世曾良庵と名乗って天明の頃『穂屋野の春』という機関紙を発行した。

その弟子の中に【顕湖亭文嘯(ぶんしょう)】という人がおり、

この人が曾良庵を継ぎ、

次に【茶山】という人を経て、【雪人】が受け継ぎさらに祖父【一太郎】にさづけられたらしい。

昭和60年ごろ、岡谷の親戚君が

他から調べてきて一太郎に辿りつき、

名跡を継いだ時に文台(文机)が渡っている筈だというのだが、まったく記憶にない。

現実にあるべきならば、東京にあったのかもしれない。

しかし、雪人師のお墨付きともいうべき一文が「曾良庵句集」の跋文に残っている。

それが、下の文である。                                                                           守矢唯一(ゆいつ)叟(そう)は鵞湖俳壇の耆宿(きしゃく)也。

小にして才を負て敏甚、其残(きざん)に滑稽を学びて、夙(つと)に其の名を馳(は)す。

芸を百家に遊ぶ。ひとり蕪村が正声を賞して神と共に遊ぶが如し。

余東都に在るの日叟亦上京して、塵事に奔走す。

然も尚箇事を忘れず実によく見性の域に入れり。

余為に曾良庵の号を贈りて之を祝す。

此号は曾良翁の俳系文輔・文嘯・茶山を経て余の家に伝えしものなり。

今年叟余が湖畔の寓を訪れて、年来の吟詠を採輯せしを録して以て示される。

蓋しその還暦を記念せんとするなり。

閲して嘆じていわく是集や、叟が各時代の風調を網羅して綽として特見あり。

所謂自家の醜を自家の発するものなり。

以て自伝に代ふべく以て児孫に胎(のこ)すべしと、叟亦うなづく。

仍(よっ)て顛末を記して序となす。
                      昭和辛未年七月        諏訪     雪人 誌

ちょっと難しけど 又 田舎の事も載せておきますよ

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お庭に花を咲かせましょう 

2012年05月20日 | 日常ヴギ

今日は入口周りの飾りを変えましたヨゥ

なんと言ってもディズニー仕様なんですがね

号のうまへた絵

入口前は花の寄せ植えしました全体像が右です

入った所には田舎からもってきた雪見燈籠を置いてます

和洋折衷みたいですが気にいってまぁす

花とは別に今年は きゅうり・トマトを作ります

やっと 発芽したので 今日植えかえました期待してください

コメント (1)
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