鹿食免と森田屋
僕の生家について この様な記述が載っています
諏訪と情報・文化まちづくり市民協議会編
シリ-ズ "街道をゆく" 「諏訪の食文化を訪ねて」より 抜粋
諏訪大社の前を少し南に行くと、明治まで高遠に通じていた峠道の入り口がある。
その角に昔は一軒の店があり、
鹿、猪、兎、熊の肉や皮が並べられ、公然と売買されていた。
近隣からはここに獲物が集ってきたのである。
この諏訪は、江戸時代にも仏教国日本でただ
一箇所、獣肉食が公認されていたことを、諏訪の人は意外に知らない。
当然、僕らの生地のことであるし、遠い昔に無くなったのではなく、明治という近い
時代まで、この仕来りがあったのは驚きである。
高祖父は、鹿乙として最後の鹿肉納入者だったのである。
家は当然のように 店をやっており 一太郎の妻が取り仕切っていたようである
皆さんも教科書で見たことがあると思いますが
「鹿食免」という札を発行していました
僕も小学生か中学生の時 教科書で見たのですが まさか 生家に関係しているとは・・・
それがこれです
左が 免 右はその時代の販売台帳
この最後の 鹿乙が 弥平治というこう祖父でした
*この「弥平治」という名前は代々受け継がれた名であり
家系図を見ると何人も出てきます 屋号と一緒です
因みに 店をやっていた事から 僕の家は「森田屋」と言われていました
僕の田舎は 名前ではなく この屋号で呼ぶことが多かったので
油屋・足袋屋・三石・ぶんご屋といった呼び方を今で 同じ・・・