錦乃原に自生する櫻草
錦乃原櫻草園説明看板から
サクラソウが、この周辺6ヘクタールにわたり咲き乱れていた時代がありました。
昭和8年(1933)、当時この地は馬宮村と呼ばれていました。村ではこのサクラソウを、
天然記念物として指定を受けるため文部省に申請したところ、理学博士三好学氏が文部省の
依頼で調査に訪れ、日本一のサクラソウ自生地であると折り紙をつけてくれました。
馬宮村では新名所として広く世に紹介しようと、名付け親を著名なジャーナリスト徳富蘇峰氏に
依頼し、「錦乃原」の名称が生まれました。
氏がこの地を訪れた折りはサクラソウの淡紅色・ノウルシの黄色・カヤの緑、
あるいはタンポポやレングソウなどの野草が咲き競い、さながら錦を
織りなしたような景色であったといいます。
昭和9年(1934)国の天然記念特に指定されると、県内タトから多くの人々が訪れ、
春の一日を楽しみました。しかし、食糧増産の社会要請が強まり、惜しまれつつも開墾され、
昭和22年(1947)頃には錦乃原の姿を消しました。
その後、僅かに残ったサクラソウを、有志の方々が自宅などで今日まで大切に育ててきました。
この錦乃原桜草の原種を保存・育成し、憩いの場としていくために、ここに錦乃原桜草園を
設置しました。(現在の錦乃原櫻草保存会は1994年に再結成され活動を続けています)
錦乃原櫻草園(さいたま市西区大字二ツ宮地内・治水橋下)
錦乃原櫻草園案内板
サクラソウが可憐に花を咲かせていました
鮮やかなピンク色のサクラソウ
錦乃原櫻草園内にはロープが張られており中には入れませんでしたが道路側より撮影
してみました。一週間に何度かウオーキングコースで気になっていましたので立ち寄ってみました
田んぼの準備に追われている耕うん機
のどかな風景ですね
田んぼに用水路から水が運ばれます
水田にイネの苗を植え終えている田んぼも見かけました のどかですね
ウオーキングコースで年間を通して観ている光景です これから陽を浴び苗が大きくなっていきます
この田んぼには様々な鳥が集まります 白鷺、カモ、カワセミ、ツバメ、ダイサギ、アオサギetc
最後まで御覧頂きありがとうございます
錦乃原櫻草園説明看板から
サクラソウが、この周辺6ヘクタールにわたり咲き乱れていた時代がありました。
昭和8年(1933)、当時この地は馬宮村と呼ばれていました。村ではこのサクラソウを、
天然記念物として指定を受けるため文部省に申請したところ、理学博士三好学氏が文部省の
依頼で調査に訪れ、日本一のサクラソウ自生地であると折り紙をつけてくれました。
馬宮村では新名所として広く世に紹介しようと、名付け親を著名なジャーナリスト徳富蘇峰氏に
依頼し、「錦乃原」の名称が生まれました。
氏がこの地を訪れた折りはサクラソウの淡紅色・ノウルシの黄色・カヤの緑、
あるいはタンポポやレングソウなどの野草が咲き競い、さながら錦を
織りなしたような景色であったといいます。
昭和9年(1934)国の天然記念特に指定されると、県内タトから多くの人々が訪れ、
春の一日を楽しみました。しかし、食糧増産の社会要請が強まり、惜しまれつつも開墾され、
昭和22年(1947)頃には錦乃原の姿を消しました。
その後、僅かに残ったサクラソウを、有志の方々が自宅などで今日まで大切に育ててきました。
この錦乃原桜草の原種を保存・育成し、憩いの場としていくために、ここに錦乃原桜草園を
設置しました。(現在の錦乃原櫻草保存会は1994年に再結成され活動を続けています)
錦乃原櫻草園(さいたま市西区大字二ツ宮地内・治水橋下)
錦乃原櫻草園案内板
サクラソウが可憐に花を咲かせていました
鮮やかなピンク色のサクラソウ
錦乃原櫻草園内にはロープが張られており中には入れませんでしたが道路側より撮影
してみました。一週間に何度かウオーキングコースで気になっていましたので立ち寄ってみました
田んぼの準備に追われている耕うん機
のどかな風景ですね
田んぼに用水路から水が運ばれます
水田にイネの苗を植え終えている田んぼも見かけました のどかですね
ウオーキングコースで年間を通して観ている光景です これから陽を浴び苗が大きくなっていきます
この田んぼには様々な鳥が集まります 白鷺、カモ、カワセミ、ツバメ、ダイサギ、アオサギetc
最後まで御覧頂きありがとうございます