気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

鎌倉時代の武将・畠山重忠ゆかりの 妻坂峠

2022-09-19 15:18:33 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は鎌倉時代の武将・畠山重忠ゆかりの峠
埼玉県西部の名栗地区と秩父横瀬町との境にある
妻坂峠を掲載してみたいと思います

妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま

秩父横瀬町生川登山口より妻坂峠へ向かう

生川登山口より妻坂峠へ向かう

通行止の林道を横断し妻坂峠へ



古き登山道を妻坂峠へ進む



妻坂峠に到着
埼玉県西部の名栗地区と秩父横瀬町との境に位置し、
奥武蔵大持山と武川岳の鞍部となっている
妻坂峠(つまさかとうげ) 標高839m
その昔、妻坂峠は秩父から江戸、鎌倉へと通じる主要道路であった
鎌倉時代に秩父の荘官、畠山重忠が鎌倉に遠征するとき、妻を峠まで見送らせ
名残を惜しんだのが峠の名前の由来であるとか
室町末期の1572(元亀3年)、小田原の北条氏を攻撃した上杉謙信が、飯能から
麓の名栗川を越えて出陣し、妻坂峠を通って大持山に陣を取ったという記録がある

妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま
延享4年(1747年)4.29  275年前供養のため建てられた石仏

妻坂峠(つまさかとうげ) の小さな標識
古くは、根古谷絹を江戸へ運ぶ秩父シルクロードとして栄えた峠
現在は登山道の峠となっている

左方向大持山方面、右方向は武川岳方面

妻坂峠より大持山への登山道

妻坂峠より大持山への登山道

妻坂峠の景観

妻坂峠から名栗地区名郷への道標

妻坂峠から武川岳へ向かう

木々に囲まれた武川岳山頂に到着
武川岳山頂ではアマチュア無線の移動局で交信中の方が先客でいらっしゃいました

武川岳山頂の景観

武川岳山頂から青空が顔を出してくれました



武川岳山頂から妻坂峠へ戻ります

武川岳山腹より望む子持山、大持山

武川岳山腹より望む裏側の武甲山

武川岳側より眺める妻坂峠

秩父横瀬町生川登山口へ戻ります


最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする