気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

晩秋の木曽谷と伊那谷との交通路権兵衛峠

2022-11-14 15:05:42 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は木曽谷と伊那谷との交通の要衝であった 権兵衛峠を
掲載してみたいと思います

伊那盆地北部と木曾谷北部を結ぶ権兵衛街道の権兵衛峠
権兵衛峠は経ヶ岳と駒ヶ岳連峰の鞍部に開かれた標高1,522mの峠
中仙道が通り宿場の多い木曽は、稲作 に適さない地形のため米が不足していた
そこで木曽の牛方・古畑権兵衛が宿場側の意を受け、
伊那谷より米 の移入をスムーズにするため木曽谷と伊那谷との
交通路として改修した 難工事の末、1696(元禄9)年に開通
財政難の高遠藩が借財のために領内の年貢米を木曽に
送り出したという背景もあった

米の道権兵衛峠へ

米の道権兵衛峠頂上 経ヶ岳登山口への道標

米の道権兵衛峠頂上に建ち並ぶ石碑
雪災餓死等」碑(1803(享和3)年)とある
権兵衛街道は、宮ノ越(木曽町日義)から
姥神峠(1277メートル)を越えて川入の谷を抜け、
権兵衛峠(1523メートル)を越えて伊那市坂下にたっする約36キロメートルの山道である
現在の権兵衛峠を越える道は、奈良井川から羽淵までの
県道川入東線と羽淵から国道361号に変わっており、
旧道を通る人はまれになってしまった 
鉄道開通以前は、伊那の米を米穀の乏しい木曽に運ぶ幹線として、
重要な機能を果たしていた
姥神峠から権兵衛峠に通ずる山道は、古くからあったが、
それはわずかに人だけが通う険しい踏立道であった
ある者が転倒し、鍋を欠いたという話しから「鍋懸峠」とも呼ばれていた。



石碑には刻まれている権兵衛峠茶屋
まんが日本昔ばなし No.0806ごんべえとうげ 権兵衛峠には
力持ち権兵衛という木こりが住んでいた
この権兵衛という男、そば2升をたいらげ、
その力は10人力とも12人力とも言われ、
木曽では名の知れた男だった.....という件から始まる昔ばなし

米の道 権兵衛峠頂上の石碑に刻まれた碑 

権兵衛峠頂上付近にあった古びた南アルプス展望案内図

権兵衛峠頂上付近より望む南アルプス山並と伊那谷

この先は行き止まり(経ヶ岳登山口駐車場)
権兵衛トンネル開通以降ほとんど通る車は無かったが、
さらに土砂崩落による無期限の通行止を経て、
現在 権兵衛峠から伊那側の区間は事実上の廃道となっている

経ヶ岳登山口コース案内図

経ヶ岳登山口駐車場より塩尻市方面を眺める

権兵衛トンネル開通以前は木曾福島、奈良井への
交通の要衝であったと思われる

長野県南西部,木曾山脈の北部を横断する峠  標高 1522m
伊那盆地北部と木曾谷北部を結ぶ権兵衛街道の峠で,
元禄9 (1696) 年に木曾谷の牛方であった古畑権兵衛が
中心となって改修したことが名称の由来
伊那側から米や干し柿,木曾側から漆器や曲げ物が輸送された

伊那の飯田市駅側にある満津田食堂

明治創業の老舗食事処
ネットで調べた満津田食堂で夕食

人気の一品 草鞋のようなソースカツどん
程よぃ厚さのジューシーなソースカツどん 次元を超えた美味しさでした
年内にはもう一度行ってみたい 老舗食事処でした

店内には力士のポスター掲示
老舗食事処と同名のしこ名 満津田力士
おかみさんに聞いてみるとなんと息子さんでした



最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする