こんにちは!
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
初回の記事は歴史ある宿場町「馬籠宿」前編と題しまして
江戸時代から続く情景を掲載してみたいと思います
観光客がいない早朝6時頃の馬籠宿風景
馬籠宿(まごめじゅく)は、
中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、
木曽11宿の一番南の宿場町である
中山道馬籠宿
京へ五十二里半、江戸へ八十里半と記されています
馬籠宿観光案内図
馬籠宿メインストリート石畳左方向に進みます
島崎藤村生誕の地がこの先にあるようです
中山道馬籠宿 軽い傾斜の石畳を進む
水車が軽やかに回っています
馬籠宿は
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、
馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、
旅籠18軒で宿内人口は717人であった
馬籠は(1215年)当時には「美濃州遠山庄馬籠村」といい、
源義仲(木曽義仲)の異母妹・菊姫が源頼朝から領地として賜り、
兄の義仲を弔うため法明寺という尼寺で暮らしていたと
伝わりその跡地が存在する
長享元年(1487年)頃になると木曽馬籠や恵那郡馬籠と
いったりするようになるが、妻籠までが信州木曽谷で、
馬籠は美濃に属した
江戸時代から風情が残る馬籠宿(まごめじゅく)
馬籠宿(まごめじゅく)朝6時頃の風景
馬籠宿中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある
本陣は小説「夜明け前」の舞台となったところです
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
初回の記事は歴史ある宿場町「馬籠宿」前編と題しまして
江戸時代から続く情景を掲載してみたいと思います
観光客がいない早朝6時頃の馬籠宿風景
馬籠宿(まごめじゅく)は、
中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、
木曽11宿の一番南の宿場町である
中山道馬籠宿
京へ五十二里半、江戸へ八十里半と記されています
馬籠宿観光案内図
馬籠宿メインストリート石畳左方向に進みます
島崎藤村生誕の地がこの先にあるようです
中山道馬籠宿 軽い傾斜の石畳を進む
水車が軽やかに回っています
馬籠宿は
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、
馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、
旅籠18軒で宿内人口は717人であった
馬籠は(1215年)当時には「美濃州遠山庄馬籠村」といい、
源義仲(木曽義仲)の異母妹・菊姫が源頼朝から領地として賜り、
兄の義仲を弔うため法明寺という尼寺で暮らしていたと
伝わりその跡地が存在する
長享元年(1487年)頃になると木曽馬籠や恵那郡馬籠と
いったりするようになるが、妻籠までが信州木曽谷で、
馬籠は美濃に属した
江戸時代から風情が残る馬籠宿(まごめじゅく)
馬籠宿(まごめじゅく)朝6時頃の風景
馬籠宿中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある
本陣は小説「夜明け前」の舞台となったところです
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