気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

歴史ある宿場町「馬籠宿」前編

2023-11-14 10:17:20 | 旅行
こんにちは!
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
初回の記事は歴史ある宿場町「馬籠宿」前編と題しまして
江戸時代から続く情景を掲載してみたいと思います

観光客がいない早朝6時頃の馬籠宿風景
馬籠宿(まごめじゅく)は、
中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、
木曽11宿の一番南の宿場町である

中山道馬籠宿
京へ五十二里半、江戸へ八十里半と記されています



馬籠宿観光案内図

馬籠宿メインストリート石畳左方向に進みます
島崎藤村生誕の地がこの先にあるようです

中山道馬籠宿 軽い傾斜の石畳を進む

水車が軽やかに回っています

馬籠宿は
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、
馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、
旅籠18軒で宿内人口は717人であった
馬籠は(1215年)当時には「美濃州遠山庄馬籠村」といい、
源義仲(木曽義仲)の異母妹・菊姫が源頼朝から領地として賜り、
兄の義仲を弔うため法明寺という尼寺で暮らしていたと
伝わりその跡地が存在する
長享元年(1487年)頃になると木曽馬籠や恵那郡馬籠と
いったりするようになるが、妻籠までが信州木曽谷で、
馬籠は美濃に属した





江戸時代から風情が残る馬籠宿(まごめじゅく)

馬籠宿(まごめじゅく)朝6時頃の風景

馬籠宿中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある
本陣は小説「夜明け前」の舞台となったところです



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地蔵峠 木曾福島最大の難所

2023-11-10 10:36:51 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は木曽川本流筋からその西側の開田高原に上がるところにある
飛騨街道の難所地蔵峠を取り上げてみたいと思います
木曾福島開田高原地蔵峠を越えたのは馬籠宿、妻籠宿を旅し、野麦峠旧道へ
向かう途中の峠道です

木曾福島地蔵峠御嶽山展望台

旧飛騨街道から地蔵峠へ

旧飛騨街道地蔵峠への峠道

地蔵峠展望台から眺める絵葉書のような錦秋の御獄山

地蔵峠展望台から眺める木曾の御獄山

木曾福島地蔵峠  標高 1320m
地蔵峠は、木曽川本流筋からその西側の
開田高原に上がるところにある峠である
長峰峠と同様に飛騨街道上の峠でもある
峠道自体は何の変哲もない感じだが、ゆっくり上ると、
かつての(飛騨街道としてよく使われていた頃の)
歴史の名残がじわじわと感じられ、そこはかとなく楽しい
そのうえ頂上の開田側では絵葉書のように御獄の眺めが素晴らしい 
いい峠である



木曾福島地蔵峠にある飛騨街道の標識柱

木曾福島地蔵峠に設置されているお地蔵様
地蔵峠は、かつての木曽福島方面から開田高原への難所
古くは武田信玄軍がこの峠を越えて駿河に攻め入ったとされます



かつての旧飛騨街道 歴史の名残を感じることができる地蔵峠

旧飛騨街道から地蔵峠を眺める


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廃村の南信州大平宿下見を振り返って

2023-11-05 11:11:40 | 旅行
こんにちは!
明日から(11/6~11/8)、昨年下見した廃村の南信州大平宿、旧野麦街道
に出かける予定です
廃村の南信州大平宿には、いろり体験、2日連泊で江戸時代末期から
日本の原風景が残る古民家に泊まって来たいと思っております
宿泊するには事前の予約、全ての生活するための道具持参が必須となります
朝、夕は標高1000m以上の山間部は冷え込む為、ダウンの寝袋が必須
暖をとるための薪も持参です(食糧も持込)
2日連泊の間に妻籠宿、馬籠峠、馬籠宿等行ってみたいと思います

昨年下見に行った南信州大平宿

江戸時代末期から日本の原風景が残る大平宿古民家

誰も住んでいない大平宿古民家

ここに2日連泊してきます
どんな動物が姿を現すのでしょうか? 熊さんだけは出ないでほしい!
念の為、熊スプレー等々準備していきます

旧野麦街道入口
あー野麦峠に描かれた古道を歩いて野麦峠へ行ってみたいと思います

旧野麦街道には往来を見守った石仏群などもあると思います
熊さんに気おつけながら旧道散策をして参ります


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旧鎌倉往還 籠坂峠(かごさかとうげ)

2023-11-02 10:43:15 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は山梨県南都留郡山中湖村南西の旭日丘と
静岡県駿東郡小山町須走の境 籠坂峠(かごさかとうげ)を
取り上げてみたいと思います
籠坂峠は弟が南アルプス3000m峰5座縦走の帰り道
下山口井川から自宅へ戻る途中、立ち寄った峠道です

旧鎌倉往還 籠坂峠(かごさかとうげ)
籠坂峠(かごさかとうげ)は、
国道138号(旧鎌倉往還)の標高1104 mの峠である
富士山と丹沢山地西端の三国山稜を結ぶ鞍部にあり、
山梨県南都留郡山中湖村南西の旭日丘と
静岡県駿東郡小山町須走の境目に位置する
古くは加古坂と表記された。「籠坂」は、
峠を駕籠で越えたことに由来する説や、
籠に石を詰め火山性の地盤を固めたことに由来する説があるが
篭坂峠と表記することもある

古くから富士北麓地域と駿東部を結ぶ要衝として利用され、
東海道から甲斐国府へ至る官道である甲斐路の経路であり、
駿河国の横走駅(静岡県御殿場市)と加吉を結んだ
中世には鎌倉街道の峠となり、
『吾妻鏡』承久3年7月12日(1221年8月8日)条には「加古坂」の名が見られる
『吾妻鏡』によれば承久の乱の首謀者のひとりである
藤原光親が加古坂で梟首されており、小山町側の途中には光親の塚がある
また、国境であるため戦国時代には
甲斐の武田氏と相模の後北条氏との係争地になり、
大永6年(1526年)には富士裾野の梨木平において
武田信虎と北条氏綱の合戦が行われている(『勝山記』による)
江戸時代には口留番所が設置される
また、葛飾北斎は『冨嶽三十六景』の甲州三嶌越」において
篭坂峠からの富士山(裏冨士)を描いている

籠坂峠より国道138号経てさいたま市自宅へと戻ります



最後まで御覧頂きありがとうございます
来週、廃村の南信州大平宿いろり体験宿泊地を起点に
野麦峠旧道散策、妻籠宿、馬籠峠、馬籠宿、周辺に出かける予定です
ブログ更新は一週間ほどお休みとなります
ブログ掲載は11月9日より再開の予定です
次の投稿までご機嫌よう




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