pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

@長かった!(m) 武士の @チャペル (s) Elvis♬@茶事@待て暫し (s) on the sunny side of @セルロイド

2021-11-27 | #日記

臥せってたわけじゃないけれど何もしなかった、26 日も経った頃、小掃除をしたくなって先ずは台所を、やっとやる気が

ロールカーテンを捨て敷物を始末し床を掃き拭きしたら、気分が漸く上がってきてぉ肉を頂きたくなった、

久しぶりの食に欲の字がついてきた(笑)

冷蔵庫に入ってるもので何かを食べるなら「スペアリブ」だった、【D】は「そんな手の込んだものは作れない」と矢張り

本音が出始めた( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

「 私は食べたい!」と思ったその時を逃せないと思い 26 日ぶりに料理を、この家では材料には事欠かないから、

オレンジ・マーマレードにニンニクたっぷりに醤油を少々で、これが美味しいたれにする、

 

備蓄に長けてる様子に、こんなに料理にリキをいれる人だとは思えなかった【D】何が彼をそうさせた?

 

油を入れず、下処理をした骨付き肉を熱したフライパンに、音がいいのでこの料理は過程も好きなのよ、

時間をかけて丁寧に肉の面に焼き色を付け、蓋をして蒸す、ニンニク入り+マーマレード+醤油のたれをかける、

           11/26

ニンニクも味わえるようにたれの方に入れて、焼きあがった肉にかける~と、ジュージューと音がして食欲をそそる、

柔らかいニンニクで元気になれるような気がするから不思議だわ、お試しあれ、beerも殊の外おいしくて、

もしや長かった臥せから解放か?な?

ということで快気祝いのようなメニューで休日の夕食を、

11/27

 

都会での食品の売り方は多岐にわたると実感した、「薬」という看板があったにも拘らず食品も飲み物もずらりと並び、

コンビニの一角に農家直売の野菜が並び、あら、買い忘れた🍆!を見つけた時には便利~~スーパーから粗方買った後に

3個入りのナスが小分けで、

40 代の働き盛りの長男が居れば献立も若々しくなって、つまむだけでも老い組も元気が出るということで、

 

cableテレビ 502   武士の献立

父親と息子、母親と息子、夫婦、の人間関係から職場の不得手な分野への配属に戸惑う武士、刀を包丁に変えて生きる、

息子の思い人へのなかなか消えない恋慕の情が夫婦の間に水を差す、  後でね~面白かったよ、地味だったから尚更

 

他に好きだったぉひとがいたというのに親の決めた縁か、はたまた何方かの持ち込んだ縁に乗ってしまうということは

往々にしてある事だけど、この武士はあからさまに妻となったオナゴを隔ててて、観てたら腹が立ったのは事実、

それでも健気にも妻となったオナゴは尽くすんだから哀しいわね、

せめて心の内を曝け出さないオトコの思いやりが欲しかった、その分だけ舅はその嫁を気遣い、何かにつけてはひいき目

に扱ったところに年長のオトコの品格を感じた、

オナゴの品格とはよく言われることだけど、その当時は嫁にきて子を産み、家を末代まで繫栄させて只管耐えてきた様子

オナゴにだけ強いることが多すぎてなんだかなぁと思わないでもない、

その連れ合いのオトコは殻に閉じこもり、親の意に背き、上に立ち向かおうとするも、その賢い嫁の判断で事なきを得た

それを知った姑はその息子の不届きな考えを窘めてビンタ、それは今じゃぁ許されることじゃないけれど、

同じオナゴの嫁の気持ちを考えたら当然のこと、そこにこそ産んだオナゴの心意気と、なすべき事が厳然としてるように

オトコの賢さとオナゴの賢さは成り立ちを思えば同じと言うわけにはいかない、

それに気づくように親は先ずはその息子に諭を与え、言葉を尽くし正しいと思われる道へ導かねばならない、ただ己が為

ぉ家繁栄のために形のみ設えてみた処で先行きは泣きを見るというもの、

つくづくその親夫婦の有り方に感嘆した、セリフがいいじゃない?その嫁が家を出てしまった時に言ったという言葉、

「家の孫はその嫁の子のみと思う」「嫁を探し当てるまで帰って来るな」息子もそこで気づいて「今は君だけ」と懺悔、

誤魔化しやうわっ滑りなオトコの言葉にオナゴは騙されないのよ、騙されたふりしてしまうこともあろうけれども、

オナゴは心得てると言えるかな?という物語だった、久しぶりに静かななかに多くの真実を垣間見た、11/28

 




                                         11/27

               2020 作 👆      👇

                       11/29

ということで今年は年賀状はどうしようかしら?と思ってたけど、やはり同級生や友達や親戚には年賀状は出したいわ

写真を内蔵したチップは持ってきてないから、ドキュメントを探したらガラスの新作が、

ちょっとクリスマスっぽくないではないけど、新作はこれだし、毎年ガラスの作品だし(昨年は忙しなかったから旧作)

ちょっと変わってるけど、私も変人の域だからまあいっか~と、

ここに印刷機器がないので誰かにメールして年賀はがきに印刷して貰う手立てしかない、もう少し考えてみるけど、

それにしても好きな色合いの教会だわ、




11/25

そういえばこのぉ気に入りのモーニング・カップ&ソーサーでコーヒーを楽しんだのは何年ぶりだろうか?

そもそもここ数年は、母の家でもこっちでもコーヒーをゆったりと頂くなんて心のゆとりがなかったのよ、このカップの

ブルーのバラが大好きだったのに、

 

都下に来て25 日目を迎えた、初めて独りで散歩した、大した段差じゃないコンクリートの道に躓きそうになってしまった

足が上がってない!と意識した、心が臆してると益々歩調が乱れるんだわね~紅葉には目もくれず、

やはり歩かなきゃダメになると思いはしたけど、まだまだ歩きたいとは思えずに(笑)けれど家族の世話になるような

そういう老後はヤだし、ここはひとつ慎重に前進しよう、

 

雪マークが北国についたので、親戚筋であり民生委員であり、何代にもわたって親しくして貰っていたぉ方のぉ嫁に電話

ぉ嫁は60代でその姑は90代だから、やはり専門の施設がいいと私は思う、そのぉ嫁も病を得てるのでなおのこと、

後期高齢者の独居という括りの私だったので、奉行にも話がし易いそうらしかった、

「雪は降ってないし未だ大丈夫だから心配しないで、何かあったら連絡するし、もし気がかりなことが出来たら連絡して

100 歳のおばちゃん(母のこと)を独りで看て、おくったんだから少しは休まなきゃ~私は姑を施設にお願いしたのよ、

共倒れが怖い、歩けなくなって車いすになった義母なので、それに孫も増えて賑やかすぎるしね( ̄∇ ̄;)ハッハッハ 

こう言っちゃうと後ろめたいけどね~」

 

私は言った「私はその方がいいと思うよ、親を施設にお願いするには、その時だと思った時が頃合いだよ、逃すと大変よ

姉妹で異論争論して私は意地を通しちゃった結果が、この疲弊のおくりもの、私の性分にはこういう結末が似合ってた、

 

「今はそういう時流だからいいのよ、自分を責めることはないよ、正解です~」ホントにそう思ってる昨今だったので、

そして雪のことや家のことをお願いして気が済んだ、近隣に不調法してこないでよかったとつくづく思いながら茶事と、

好きな器がこっちにもあってよかったわ、なんか婆になりきってる私、

 

11/25

甘味は苦手で殆ど口にしたことはない、小豆を貰ってきたので一晩水につけて、炊飯器で二度炊きし鍋に移し三度炊き、

三度目には砂糖、塩、醬油、酒を適度にいれて煮込む、かぼちゃといとこ煮を、

やはり甘味を頂くなんて疲れてる~

 




                                11/22

都下の軒下にバラが、オトコ手による剪定 👆 がいいのか元気そうで、もしや冬バラに出合えるかしら?とおもうほどに、

こんなことなら北国のバラを引っこ抜いて持ってくればよかったわ~小さく剪定すれば冬を越せたのに、

未練心がたらたらで、ガラスの未完成にも心が走る、今は何か作業に向かう気分じゃないのでいいんだけど、

歌も詠まずに放り投げ、今までにない怠慢に時だけが流れていく、

何もしないで居ることも案外とても大事なのかもしれない、歳にもよるだろうけど無理はするもんじゃない、

後が怖いとつくづく感じてる、こういう待て暫しの時も必要なんだ、

諄いようだけど私に独居は自由なんかじゃなくて重荷のひとことだったのよ、独りが好きだし~なんてほざいて(失敬)

いたのは勘違いだった、何から何まで独りで熟すなんて所詮、無理だった、

でもその時の決断は揺ぎ無かったのでね、しかも落ち度なくだなんて負荷以外のなにものでもなかったよ、

そういえば亡父が言ってた「待て暫しのきかない娘だ」と、昔から走り続けてたのね、

今はここでの暮らしに埋没してみよう、農婆は都会の片隅で 76 の休日を楽しもう~っとぉ(´∀`*)ウフフ 11/22

 

 

朝ドラを欠かさず観てるけれど、その当時の私は母方の実家で生まれて4か月の頃だった、その家で暮らしてたのだ、

皆、安子ちゃんのような経験をしてるのだろうけれど、片田舎のあの町も被災の憂き目を、

最寄りの駅付近に投下されて、後に親を亡くした◎◎ちゃん(後に義叔母になる、養子になったので)が祖父に連れられ

その家にやって来たという、分け隔てなく育てられたという、

私も物心つくまで知らなかったけど、おさげ髪の可愛らしい少女との記憶がある、私とは  10 歳違いだけれど大人のよう

な感じがしてた、

思い出と言えば「裁縫箱が欲しい」という私に、叔母は◎◎ちゃんに鶏卵を籠に入れ渡して「△△屋に行って、裁縫箱と

取り替えてくるように」と言った、私はピンクのセルロイドの箱を手に入れた、今思えば物々交換という事になるのだ、

そういう思い出があるのも悪くはない、その◎◎叔母ちゃんも今は元気で米寿を迎えようとしてる、11/27

 

【D】の今年の梅干し 👆

 

12/01に出勤する長男のために朝食を作れた 👆 やっと始動できたような、これで私も通常業務となりました、

 

 




 

コメント (20)
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