2024/07/24
酷暑にめげず大雨や雷をものともせず、この色合いと花の姿に、一点の傷もないバラが咲いて私はとても嬉しかった、
加山雄三 - (My Way)
何故なら、ここの処、第一子・長女・70代半ば~79(私)との電話が可笑しいやら哀しい、楽しいやら寂しいやら
一言じゃ表せない感情の機微を久々に交換したからかもしれない、急にお人好し過ぎた同職4人組はハッと目覚め
これは元職という共通項の他に、介護に関与せざるを得なかった立場、生き様がなんだか似てるねと溜息をついて
朝ドラの寅ちゃんの生き方を観ながら毎朝「これでよかったんかい?私らの生き方は」妙に物足りない感情に
襲われるという共通項よ、
そして現実には満足感がなくて「じゃあどうしたい?」と訊かれても明確な答えが出るわけじゃない、ただ何と
なく不満だけが募る~~のだ!
昨日は元職から偶然にも電話が三本あって、長電話の気晴らしtimeは午後の殆どを占めた、しかも不在着信が6本も
あり、いかに長い間のダダ話が続いたかという事で、話題は広いですよ、70代だからって昔話だけじゃない、
言っては何だけど、政治経済文学エンタメ、それにほかの同職の話から連れ連れの介護から、孫との関係やら親族
の未来や、畏れ多いけど”やんごとなきぉ方々”の you tubu からの切り取り etc.
伊達に70年以上も生きてきたわけじゃないので事欠かない、それにこっちの年齢も上がってきてるので若い時とは
感想が大いに違うので同じ話題でも新鮮味さえあるわけよ(笑)
しかも声が大きくて(私のよ)部屋のドアは何の役にも立たず、駄々洩れだったらしく、子が帰ったのにも気づか
ない程で、食事の時に「声が大きい」と笑われた「聞こえてた?」と私が聞いたら、
「関心が無い」とは言ってたけど聞こえたに違いない、だって子の部屋は私の向かい側で、風呂場は私の部屋と
隣接して笑いながら話したんだから、今までなら悔いる処だけれど、この頃は何をどう思われてるかも、どうでも
いいと思えるので敢えて深追いはしない、婆同士の世間話だから、私は子の悪口は言ってないしいいんでねーの?
2024/07/25
ポーチュラカが可愛くて、ちょっとの合間だけ咲くので、それがまたいいのよね、
Yuzo Kayama & Richard Carpenter / SING - Talk いやいや見つけちゃいました!こういう楽しみが you yube
この組み合わせと話が面白くて、リアル・加山組には、Richard Carpenter 組にはこれ以上はないひと時でしたよ🎹
ぉ人柄とはよく感じるもので、Richard Carpenter さんは常に加山さんの動向を気にかけて出過ぎず引き過ぎない
絶妙な気遣いとピアノテクニックを、加山さんはスターですから、堂々の頑張リズムを発揮して、引けを取らない
様子を柔らかに朗らかに表現してた、身のおき処とよく言うけど、そこに品性や持ち味が含まれてる上等な空間
だったのよ、
上等な空間を味わっておきながら素っ気ない私の老後の話なんて面白くも可笑しくもなかろう、けれどもぉ他人様
の事ばかり論うのは聊か、じゃない、凄く気にはなる、そして私自身の事などは、今までブログで書き続けたので
飽き飽きの方が多いでしょうけど、都議選・総括で「同じ話を何度も訊いてくるから腹が立つ」という話があって
「そうは言っても初めてのぉ方もおられるかもしれないから、ざっと前振りは同じであってもした方がいい」と、
訊いたので、ざっと私を、
79歳のオナゴで、子3人、孫4人、夫1人で、北国に実家をそのままにして都下の家に子+夫と私で暮らしてる、
ちょっと気分転換にと北国から来た程度のことだったのに、その後のコロナ禍、居住地外接種4回、私自身の疲弊で
気力ゼロとなり、帰るチャンスを逸して長逗留、その間にそのままにしてた実家関係の色々があって、ぉ国が急に
名義変更だなんてぉ国も結構ご機嫌の変わる団体ですから、けれど、ぉ国の決済には普通の国民は「平にご容赦
を!」の傾向があり、放っておいた父の持ち物を、忙しなく司法書士の手によって名義変更、田畑、原野など今は
誰も要らない!時代となってるというに、そんな背景も考えず放置しておきながら、ぉ国も得手勝手だと思いつつ
も、関係者にせっつかれ、必要書類を送ったり、要らざる会話を関係者としなきゃならず、期間限定に間に合う
ようにと這う這うの体で仕上げて人間関係は悪化した、そりゃそうですよ、なんたって計画性のない、現実を知ら
ない方々の、思い付きのような議論(といえない)を戦わしたかどうかさえも分からない、ましてや農業に関する
実感のないぉ歴々がすることだもの、その面倒臭さったらなかったのよ、だって簡単に言えば 100 年以上も前に
遡っての、知らない爺様たちの名がずらりと書かれてる書面もあって「へーー親類だったんだぁ、あそこにも譲っ
たのね~そしてここまで続いたのね」と、終わってしまえば面白い処も見えたりしてなかなか歴史の重みは感じた
次第、こういうことはせめて余裕を持って、まずは前哨戦から始めて貰いたいものだ、
つづく
77ファミリーオナゴ
札幌から嫁に来たオナゴは学校で知り合ったオトコと結婚するため北国に来た、その弟はその母と二人暮らしをしてた
その母はどうしてもその娘が北国の、しかも長男の嫁となり、その家を継ぐために同居して仕事を続けて、その臥せって
る舅(申し訳ないけど、この表現は間柄と状況を示すための表記ですので悪しからずご理解を)の為に、仕事を終えるや
否や帰宅せねばならなかった、その状況に我慢がならなかったようで、職場に娘への手紙は旧姓で投函する程の拘りを
捨てきれなかったその母だった、
同じく娘をひとりもってみて私は今こそ、その時のその母親の気持ちが、分かるなどと簡単な表現じゃなくて、我慢なら
ない、娘はどう思ってるかは知らないけど、【D】との想像を超えたやり取りの末私が育てたいように育てたのだ(笑)
あ!私のことは後で詳細に、今回こそ削除の憂き目をみないように書くつもりなので、今はその77ファミのことを、
77ファミオナゴは一人娘(弟が一人)で大事に育てられ、地元では高名な高校を出て(作家の渡辺淳一センセが先輩)、
その父が念願だった地元のお嬢様女子大に通っていた、
思いがけなくもその父が病気で早逝し、その女子大を中退して、その父の地元の国大に再度入学して、そこで後に夫と
なるそのオトコと知り合った、
その家は由緒正しい”下駄” 職人で、街じゃ有名な信頼を得てる人物で、同職が「おとうさん」と呼んでたので私も呼んで
時々店に行っては茶を飲んだりしてぉ喋りしながら、私が頼んだ父親や祖父や叔父の”桐下駄” を作ってる工程を見てた、
そういう時間は妙に楽しく興味津々だった、手さばきが鮮やか!
👈 引用 懐かしいわ~
穏やかで話は楽しく、77ファミオナゴの娘の(孫)面倒をみながら、仕事を黙々としてた、その連れはと言えば印象的で
というか対照的で積極的で明るく、物怖じせずに、今で言ったら”バリキャリ” 保険の売り上げは1、2を争う程のやり手
だったのよ、それが姑だもの、家に居るはずもなく、家の事をする筈もなく、ただただ仕事に熱中してた、
だから嫁の 77 ファミオナゴは割を食って家事を熟さなきゃならなかった、
やがて舅が臥す様になって 77 ファミオナゴは育児(小学生)+家事+仕事を一切賄う事となった、その姑は売り上げ
向上しか頭になく留守がちでその連れの介護には一切手を貸さない、
77ファミオナの連れは主任となり多忙を極め、それをいいことに家には遅くしか帰らず、朝から晩まで忙しなく過ごした
職場の楽しみ会には出られるわけもなく、ただただ忙しなさに埋没してゆき、その娘はやがて学校へ、家に居て面倒みて
くれた”お祖父ちゃん” は、ほぼ1日中臥してることになったので、食事の支度は77ファミオナが用意して布団近くに置き
その娘を小学校に送り出し、自分は職場に行き、仕事を熟して定時には帰宅した、帰宅せざるを得なかった、
その家には義妹もいて自宅通勤していたにも拘らず家事には一切手を貸さず、その母親と同じ、その父親の面倒をみない
ただひとりで 77 ファミオナは務めと思って熟してたこととなる、文句ひとつ言わないからと言ってそれでいいのか?
ぉ他人事ながら私は腹が立って仕方なかった、
76ファミリーオナゴ
先ずは不本意ながら姉妹の姉は婿を取り、長い両親の介護と仕事の末、両親を無事に送り、同居してた息子夫婦と孫二人
が、子育てのめどが立ったら、とっとと家を出て行って別居が始まった!「これから楽させて貰うわ」と思ってた矢先、
の出来事で「なんなのさ?今までのあの身を捨ててファミリーに尽くした長い日々は」と深いため息をした、
これなら妹より先にとっとと都会のオトコの処に嫁に行けばよかった!東京からオトコが来ると言って、浴衣を仕立てた
その母は絞りの帯を用意して楽しみに迎えた、都会っぽい優男だったのよ、だって膳を設えるからと言って私ら3人も
招かれたのだった、古い家の隅々まで掃除が行き届き、きっと東京優男は「娘を貰うなら母親を見ろ」のこころで安心し
帰京したに違いない、だというのに婿には入れないと言われ、泣く泣く地元の父親の決めたオトコと夫婦になった歴史が
あったのよ、逃がした魚は大きい(笑)
と思ってるに違いない、プライドが邪魔して言葉にはしないだけ、同職で付き合いが長いんだし、分かってますよ本音は
皆、思い通りの人生を歩んでるだなんて甘い妄想に浸ってるほど若くはない、修羅場の数々は上手く乗り越えてるので
ため息一つでお互いに理解し合えるところがオナゴ同士の付き合いは長く続くのだよ、
若夫婦は仕事だけは(不動産関係の自営業)引き継ぐから心配要らないとか何とか理屈を言って、独立という言葉でその
婿に来た連れは、仕事から切り離された、つまり創始者の父親を敢え無く切り捨て御免をしたという事 つづく
勤め人だったその父はその婿を最初から決めてて、親同士が同意してたので、年頃になるのを待ってました!とばかりに
有無を言わさず関東で働いてたオトコを呼び寄せた、
どうしてか分からないけど、その青年(その頃はね~ふふふ)が最寄りの駅に到着するのを私ら4人で迎えに行った記憶
それを今も鮮明に覚えてると言う処が年寄りになった!ということよ、昔の事は忘れないというアレですよ、
寡黙で伏し目がちで酒も少ししか頂かないようで、けれど落ち着いた印象で、流石は 77 ファミリーオナゴの父親の目は
高かった、聞けば幼馴染で新鮮さの欠片もない(本人言)という、まあ、なるべくして夫婦になったと言えば丁度いい
76 ファミリーオナゴは淡々としてて、これからウエディ~などという華やかさもなければ嬉しそうでもなかった、のは、
私らに紹介して、その場を歓迎会にするには二人きりじゃ盛り上がらないと踏んだ(後で聞いた)末のことだったらしい
それでも長女、長男を儲け、両親と同居してファミリーオナゴは仕事を辞めずに、その連れは独立して会社を仕立てて
難なく暮らしてた、きれいな花には棘がある、けれど強靭さは伊達じゃない、その後は愚痴も言わずに日々の暮らしに
ある意味、埋没することでその結婚の意義を見出した、らしい、
姉妹の姉だから、男の子の実態(失敬!)を知らない76ファミオナは息子の育て方に懊悩してた、言う事は聴かない、
時間は守らない、勉強もしない、まああそんなもんだよ男の子はね!とは私も含めて知らないんだから、初めての経験で
その親も男の子は育ててないから四苦八苦だった、その夫は仕事仕事で家には寄り付かないで、それこそ建築現場付近に
寝泊まりしてた時が多かったらしいから、仕事をしながら孤軍奮闘よ、
でもその両親がまだ元気だったので、なんとか協力し合って育ててたというのにね、その息子ファミリーが「じゃあね」
だなんて誰が想像してでしょうか?
言葉の端々に見え隠れする無言の深い意味合いを、私らは思い遣ることが出来るのでね、オナゴの長話というけれど、
そりゃあ言葉も多いけれども、その合間、合間の沈黙に深い意味があって、鈍感力じゃあ乗り越えられない機微とでも
いいましょう、好きだわ、機微という二文字が、含みが大いにあって、ちょっと意味深よりは男女なら色っぽい、
75 のシングルは現在も独居を続けてる、やはり両親の介護を成し遂げた、弟夫婦はいるのに殆ど介護には携わらず、
葬儀も「お姉ちゃんに任せるから」とのことで、参列はしたけど、弟夫婦のみで、その子らは何たらかんたらの理由で
参列無し、祖母の逝去だというのに、「関東に住んでるので理由は見えない」と75シングルは苦笑した、
両親が可愛がった孫達に当たるわけだけど、遠距離だったので馴染が薄かったかしら?75シングルにしたら甥姪だし薄い
っちゃあ薄いね、でもその一人を後継者にしてもいいなあと、75シングルは折に触れて¥も心もつぎ込んだというのに、
まんまと嫁方の実家の親に弟も甥姪も採られた(笑)
その弟夫婦は、嫁方実家の敷地内に家を建て、スープの冷めない距離で暮らして、馴染んで、気づけば嫁方ファミリーの
一員にその弟はなってしまってた!文句なんて言えるようには育っていない、大事な大事な一人息子で、これでやっと後
継ぎが出来た!とその父は喜んで育てたというのに、
「娘は、どうせ嫁に出すんだし、手に職さえつけておけば親の使命は果たせる」位の感情だったらしいよ、
その75シングルの実家はそのまま、墓もそのままにして、近くに改めて75シングル一人用の家を用意し自由に暮らし、
読書、水泳、小さな畑をしてるらしい、これと言って健康上の不安はないらしいけど、何か物足りないだと(´∀`*)ウフフ、
喪失感しかないよ~とくどいてた、
そりゃ定年の際まで勤め、8人だかをゴボウ抜きして敵ばかりを作り、No2 まで昇りつめたオナゴだから、ただ優しい
だけじゃない(笑)
言葉は辛らつ、痛い処を衝くのはお手のもの、だもんでシングル同士でシェアハウスをなんて言ってたけど結局はお流れ
になったとのこと、
若い頃、嫁に行こうともしたけど、仕事を辞めて子を産んで舅姑の介護をして、農村の片隅で人生を終えるのかと思った
ら(宮城県から仕事に来たので)、それもあまり魅力ある生き方じゃないなぁと思って、シングルを選び、仕事を選んだ
オナゴだてらに(農村ですから)何故に No2 になれたかというと職場内で嫁に行こうとしてたオトコが No2 だったのに
経営者側と悶着をおこし、辞める、辞めない、No2 の座を降りとのことで、後任は誰がいいかといことになって、
すったもんだした結果、オトコはつきあってた75シングルを推挙して、ごぼう抜きされたオトコやオナゴの顰蹙をかった
それでも強気にその仕事をルンルン気分で成し遂げて、事有る毎に仕事場の不満や悩みを訴えた75オナゴは、在職中は、
ほぼほぼ夫婦のような気分は味わえたようで、別のオナゴを嫁に貰った元No2 は、陰になり日向になって支えた、
その嫁に来た若いオナゴは「また、ケータイ鳴ってるよん!」と苛立った暮らしをしてた、とのこと(本人言)
私はとっとと仕事は辞めて東京に嫁に来てたので、子を連れて帰省の度にそのメンバーでぉ楽しみ会を続けてた、子連れ
同士だし、なんの遠慮も要らず付き合いは続いたことに、今では有難いと思ってる、時を同じく過ごしたオナゴ同士は
なかなか味わいがあって、言えない事もない、訊けない事もない、ツーカーなので、それに離れて暮らしてるから、常時
一緒という事でもないしね、そして今もということは、これ感謝ですよ、喋り倒すんですから(笑)
それでもぉひとの人生には興味があるらしく、あちこちの元職に電話しては探ってる((´∀`))ケラケラ まあね、ぉひとが不幸
だといいと思ってるとは言わないけど、順風満帆らしいのはチョッと癪の種とでも言う処かしら?
ぉひとのことは深掘りするけど、自身のことについては掻い摘むというあれよ、まあね、気持ちは分からなくもないけど
こっちは一応ファミリーの体を成してるので面子が揃ってる、自分の連れの悪口を言うくらいが丁度いいのよ、
シングルを刺激しない様に、言葉や話題を選んでるつもりだけど、歳のせいか面倒くさいので、誰も気にもしなくなって
好きなことをベラベラ喋っては忘れるを繰り返してる感じ、
傷つけたことも忘れるけど、傷ついたことも忘れるという誠に願ってもない循環とでもいいましょうか?電話は忘れた
頃に鳴れば出るという、これまた願ってもない暇つぶし、お互い様よ、話は合うし仲は良い、
言いたい事は遠慮なく言う、これに我慢がならなかったら双方コールはしないはずなのに手厳しさを欲しくなる時がある
その間に不在着信の履歴が6回も残ってた、誰もが70代を持て余してると言っても過言じゃない(´∀`*)ウフフ
72 ファミオナゴ(在・神奈川)から電話があった、ママ友の成れの果て(子らが幼稚園から同じ)だったので親しく、
子連れ同士で家を行き来してた、ニュースを観て気がかりで電話したとのこと、同級生からの地域の指定連絡で把握は
出来ていたので、その旨を話し、何年かぶりの追憶含みの長話が始まった、
2F のぉ籠り部屋に処を変えて私から電話し直した、ちょっと1Fじゃあ差し障りがあるのでね、色々知りたい事もあった
ので、いやいやスッキリ!しましたね~話すという事はこのように自浄作用があるのかと思う程だった、
このような時なので大笑いはしなかった、それ位の理性は持ち合わせてますので、まだね、
さて話の内容はあるある老夫婦(79・72)こちらは夫婦としては妻が若い方だからさぞやラブラブと思いきや(´∀`*)ウフフ
「私が出かけてる間に外出から帰ってきてコンビニから弁当買って食べて、今は自室で昼寝よzzzzzz」え?同じじゃん!
「私は抵抗しない、話は最低限の言葉で、テレビを観る時だけ一緒に、向かい合って む ご ん で、感想も言わない
夫は飲みながら(beer3缶+焼酎)だし、私は飲まないし、そんなもんでしょ?話し合う事もないし~あるとすれば夫の
実家の墓地に墓を建てればいいやと夫は簡単に言うけど、夫の実家は長野県だし、継いでる義兄のぉ嫁が言うには、子ら
が管理するのが大変じゃない?ということ、そりゃそうよね、うちの長男も遠くはヤダから近くにしてよと言ってる、
墓の話と、今の処は元気だし、畑を借りて野菜を植えて楽しんでるのが趣味!あとはテレビくらいよ、余計な会話は面倒
だからなるべく喋らない、二人きりだしね~」いやいや恐れ入りました、どこでも同じ様子なのね、老後ってなに?
2024/07/25
トルコ桔梗ってどうしてこんなに綺麗なのかしら?何度でも咲くのよ、
中間管理職のような(懐かしい言葉)時もあった 70 代オナゴは先の知れぬまま、これから先をどのように生きてゆけば
いいのかしらね~今、語ってるのは元職のことばかりだけど、限定して考えてみるわ、
それぞれが親をおくり(介護中は独りのみ)子や孫のことを思い、連れのことは治外法権(笑)
先に治外法権にしたのは連れたちなんだし、今、ここにきて私らオナゴの様々な気分を実感してる処でしょう、言わせて
貰えば、外で働いた事が無いわけじゃないから、それぞれの仕事での出来事は、大概は経験済みですから、専業主婦、
兼業主婦、シングルの時がなかったわけじゃないから、その気分だって重々、承知の上ですから、オナゴは強みを持って
これから先を歩いてゆくわけだけど、それほどファミリーに気を砕いて過ごしてきたわけじゃなさそうだから、そんなに
デカい顔されても、痛くも痒くもない処に至ってるんです、だからこれ以上連れに甘えようと計算してても、思い通り
にはならないとオトコは思った方がいい、気を砕くというのは、自身の気分より相手の気分を優先するという事よ、
努々ママのようなオナゴには連れは間違ってもならない、もはや心は自身にしか(子や孫は別)砕かないと決めた、いや
もう砕きすぎて、面倒な親切心は捨てたかも(笑)
色々な例を挙げて、オナゴの本心を書いてみますから、もしや当て嵌まってたら今からでも遅くない、オトコだからって
踏ん反り返ってないで少しは心を砕いてみたらどうでしょう、オナゴの気持ちも分かるかも(´∀`*)ウフフ
地理がよくわからないけどお里の方は大丈夫なの!?
暢気な私が急に見舞いの言葉を発しても、
「お気楽ものめが!」と言われるから連絡を待ってた、
何もできないのに、実家をそのままにしてるのに、
言えた義理じゃないのよ、
同級生から連絡あって「ノープロブレム」だそうです、
コメありがとう、あの文字を思いながら、なんとか
始められないかな?と思ってるのよ、
お気遣いに深謝です、またね。
どの季節の薔薇も素敵ですね(*^_^*)
何かが起こってもちゃんと咲くんですから、
強いなあと、お手本にしなきゃね(*^-^*)
コメありがとう、とても嬉しかったです、またね、
柔らかな色合いがいいなぁと🌹
大雨などに負けず無傷の薔薇の花色合いもよくとても綺麗です、
雨も上がったようで何よりです、
時々ぉ空も機嫌が悪くなりますので、
時々に応じて注意しながら過ごさないと、
負けそうですもんね(^^ゞ
このバラは強くて今夏を乗り越えられそうです、
気に入っています、
他のバラは残念ながら負けました、
コメありがとう、とても嬉しかったです、またね、
ご自愛の上お過ごしを🌹
被害がなかったようで良かったです。
こちらは運良く免れたというか
今のところ被害はありません。
去年もちょっと怖い思いをしたので
まだまだ心配です。
天候のことだから何も出来ないけれど
早く落ち着いてくれることを祈りたいです。
というより超え過ぎてて、
ぉ空も気分次第ですので、
予測は出来ても、そのままという事だけじゃ、
ありませんものね、
暑すぎて外へも出ない方がいいかなと思ったり、
ちょっと心も委縮気味です、
せめてブログは元気にと思いますけど、
だから気合を入れて書こうかな📚
コメありがとう、とても嬉しかったです、またね、
くれぐれもご自愛を🌹