pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

@❸捨てられなかったモノseries @ベゴニア(d) レッツ(m) 海街 @ビンカ @サマー(s) 家に @オレガノ ケントビューティ@ローダンセマム 誘われて @カリブラコア 57577

2023-06-07 | #日記

捨てられないモノが多すぎて未練たらたらな私だ、でも仕方がないから書き出していくうちに本当に何を残したいのかは

分かってくると思うのよ、だから懐かしみながら諦めてゆくように仕向けてる私、やはり子らには興味のないモノだしね

何度も載せるけどそれは自作の大作への大きな未練ということよ(笑)

 

2019/08/30

2019/09/03 道具棚に整然と収めると尚更ですよ、このまま運びたいわ!

 

2020/07/30

おそらく木製の箱は釘一本使ってないから古いと、そして細工がいいと、それにしては灰皿が大きい、でも煙管を使った

その頃だと思うから捨てられなかった、

 

2020/06/09掲載

小学校の遠足で確か秋田だと思うけど?・・・・前列の右端にいるのが私ですよ~ん、ちっちゃいのに態度はでかいのよ、

 

2020/06/092020/06/09

中々の売れ行きだった、そして映画にもなって、不倫がこうも公然と、今ならNG!だろうに、そしてパロディを阿部譲二

さん訳で、なんておおらかな頃だったのかしら(´∀`*)ウフフ

 

2020/08/20

向田さんの作品の朗読、大事にしまってたのよ、聴きながらね、癒された思い出があります、

2019/03/03

旅の醍醐味は写真もそうだけど、あちこちのパンフレットやチケットや絵ハガキでコースは分かる仕組みになっている、

いくら忘れっぽくなってるとはいえ、それは人名が殆どで、旅先の事なんてまだ忘れる程ではないのよ、

だからこういう雑多なある意味記録は残しておいた方が楽しかった、ので、捨てなかった、幸いながら旅でイヤな思いは

してないからね、心がけはいい方だから、

 

2020/07/31

小学校の間だけ習ってました、でもあまり好きじゃなかった、けど、母親の熱心なすすめには逆らえず、器用にこなして

しまったので止める機会を逸してたのよ、

 

人名は忘れがちと書いたけど”楢館いち” 師匠は忘れられない、小2から小4までは秋田で山田流、小4から小6までは八戸で

生田流、続けてました、偏にママを満足させるためよ、発表会なんて私は然程嬉しくもなかったけどママは得意の絶頂で

ママ友を誘って着物を着込んで出席してた、誘われたママ友も大変だったとは思うけど、一応、文化の香りモノだしね、

 

いち先生はお目がご不自由で譜面は必要なくて、幼いころから耳で師範になられた方、言葉数も少なく優しくて、気乗り

してない私を察知して「○○子さん、今日はそこまでね」と仕切りが良かった!と言えば失礼の極みだけれど、好きな方で

中学生になる時、止める話が出た時ママは諭されてた「お母さんが一生懸命でした、娘さんが”奥許し” までいけたのです

から弾くことが好きになったらまたいらっしゃいね」私はそれを忘れてて子ら3人にピアノを習わせたけど途中下車した、

私も無理強いはしなかった、そして子らはケーキ作りと野球に走っていった(笑)

 

 

 

 

真っ赤な松葉牡丹はオナゴの情念の様な色合いと見受けるのは私だけかしら?いやいやシフトダウンする予定が、中々

シフト フィットしないもんだから、やはり寛之センセの仰るように歳相応に控え目に過ごそうかとも決めかかった!

けど、性分には逆らえない、ということでshift up とまでは言わないけれど過去回想に入ります、

そして私の邪悪なこころを浄化してゆく手立てを選んだ(´∀`*)ウフフ

読みながら書く、格好いいじゃない?ヘタレよりは余程、時は早く過ぎるわ、好きな分野があってよかったわ、駄文も、

訓練すれば読める文章になるかもしれないしね、

 

専業主婦” S”とキャリア妻だった ”Y ”のオトコを我がものにする時の手法(それを勇気というかどうかは知らないけれど)

現状維持をセレクトした方だから大きな声じゃ言えないけれど(笑)

そりゃ私とてオナゴの端くれですから、そういう思いを一度もしなかったかと問われりゃ、全くない!とは言いませんよ

でも考えてもご覧下さいよ、先ずは人間関係をますます複雑化して、もし新人のオトコにもウンザリしたらどうするの?

やっぱ現状維持の方が賢い選択といえるんじゃない?もしくは古いオトコとは毅然としてバイバイできればそうすればいい

けど、そこにはいたいけない子が存在するんですよね、

 

夫婦の問題だから敢えて他のメディアにのせるものでもないと思うけど、世の中、走り出したら止まらないからね~

それだって中々しんどい話でしょ?恋に落ちてなんて歌や小説だから、期間限定だからこそ燃え上がるっていうじゃない

面倒くさいわ、と言ってるようじゃ本格的な不倫には程遠いということでしょうよ、

 

”S” も” Y ”も今は”あちらの鬼”を卒業して、しっかり”こちらの鬼”になってるからいいんじゃない?

 

それに要する時間は”S”は4年程で”Y”は5年程、私が近場で観てた人間とすれば、そんなに打ち込めるほどの相手かい?

私は夫々の新しいオトコも拝見しましたけど、古いオトコより際立ってるとは思えなかったけどなぁ、タイプが違う、

でも、その時にはそのオトコが老いるとか、オナゴに飽きるとか、その子らの反応とか、ましてや自分の子の反応とか

予想できないから、恋に落ちた事にしてつきすすむようだったよ~

 

恋におちて -Fall in love- 小林明子

 

子らが小学生の頃ご多聞に漏れず学区内の4組の家族がよく集っていた、そうすると分かるんですよ、オナゴの種類が、

分類できるのよ、その中でややこしくなる場合があるという事です(´∀`*)ウフフ

 

”S” は同僚との職場結婚で、オトコはスポーツクラブの指導役で、そこそこぉ顔立ちもよく、けれど出世の主流から外れた

それでもご本人はスポーツが生き甲斐だからそれでいいというスタンス、専業主婦だったから、オトコの子一人の子育て

に、やがて張り合って2人目を産むのだけれど、家事にも怠りなくある程度は満足してた、

 

元同僚”R”が、その後同じように職場結婚し、近くに住むようになり3人の子をもうけ、”S”より少し大きめの家に住むのを

目の当たりにしてから”S” は自分の連れに飽き足らなくなってきた、子の数と家と職場で連れの出世が違ったから、という

具体が”s” を駆り立てた、そして先ずは子を産んだ、計画出産で、その後家の二階を増築した、それで少しは満足したよう

だったけれどまだ物足りなかったのか、仕事を探すようになった、そして”マ△チ商法のタッ〇ーウエア” の売り手になっ

て、家族や、知人友人を回り、あらゆる伝手を頼りに売り上げて、格が上がる毎にドレスを着てお褒めの会に出席するよう

になった、そして生まれて間もない子は元同僚”R”の家に預け、園児の送迎も依頼して、だんだん家事育児から遠ざかって

いった、その連れは「この頃、うちのは売り上げを上げてるんだよね~」呑気な連れだよ、それから間もなく下の子が発症

した、

 

元同僚”R”としては同じ時間を過ごすのに、”S”の子を育児してたのだけど、今度は自分もその仕事をしたいと言い始めた、

子の療養のため”S”は仕事を引退したので、その客を引き継ぎ、新規開拓もしながら同じ道を歩き始めた、その連れは苦々

しく思ったようで「仕事はしなくていいから、家を護れ、”S” の残した山のように各部屋に積み上げられてたタッ〇ーウエ

アをなんとか捌いたら止めなさい」と言い、ここでオトコの違いをまざまざと見せつけた「元同僚の夫の方がいい」”S”は

思ったらしくオナゴだてらに元同僚 ”R”の夫にちょっと粉をかけた(苦笑)

 

笑っちゃいられないのよ、キャリアのオナゴも自分の連れが社会的にあまり認められてないなあと思ったらしく、社会で

活躍してるオトコを欲しくなった、”Y” の夫はお水の花道のオーナーだったから裏方だったので控え目で、ぉ育ちの良さも

備えてて、商家の長男らしくおっとりしてて立ち居振る舞いだ上品だった、

ま!オナゴはない物ねだりですから、それがとても貴重だったと気づかなかったオナゴの浅はかさよね、

 

”Y” が狙ったのは大学教授で全く私らの仲間内ではない分野のオトコ、けどどうみたって私ら世代よりは 10 も上のおっち

ゃんだった、この会に独りで乗り込んできた時には、勇気というか世間知らずというか、お門違いというか(´∀`*)ウフフ

”Y” の連れが参加しない時には来てたわね「私は建築・設計を生業としてまして、時にW大で講義を持ってます、妻1子2

中央線の○○境が最寄り駅です 」どう聞いたって感覚的にアナザーworldでした、

 

”S”も”Y” も完全に家庭の一員で子の母親で連れの連れ合いだということを忘れて、オトコへ向かっていましたよ、オナゴ

は、どんなと時にも母親としての認識は持ってるもんじゃないかと思ってましたが、走るオナゴはその時には自分の恋情

とぉ他人の連れを get! する時には、何も見えなくなるようでしたよ、いや見ても見ないふりをしてたのでしょうかね?

 

”S” は結局”R” の連れが靡かなかったので、子の入院先の病院の事務長と、ま、それらしいつき合いが始まったようで、何と

してでも現連れと別れたい一心で足掻いてた時期もあった、どういう手練手管かは分からないけど、オトコは簡単に”S” の

手の内に、そのお連れ様は家を出て行ったとのことでした、

 

”Y” もその設計士兼学者という触れ込みにすっかり参って、子を友達に預けて夜な夜な行動を開始したのよ、だってその連

れはお水の花道のオーナーなので夜は不在だからね、

 

オナゴはあざといと今は話題になってるけど、そんなことは昔からあって、ぉ他人様のぉ方にはㇺかってはいけない!との

ルールを軽く往なすもんだと知りました、そして子も案外ぉ他人に委ねても、己が欲求のためなら蔑ろにする場合もあると

知ったわけですよ、

 

 




06/09

ベゴニアは傷つきやすい、ので、写真を撮るに、無傷な花だけを写すのは至難の業、しかも雨ですから尚更ですよ、これ、

久々の成功例です、私にしてはね、好きなんですよ、何気ない花です、

 

2001     日テレ   「レッツゴー永田町」  伴一彦・脚本  you tube

日テレ

政界あるあるの解明がなされてて面白い!観始めて何度も(* ´艸`)クスクス それに実在の方々の名前が可笑しい位にドハマり

こうして秘書のせいにしたり新聞社と結託してスクープとしたり、顔を売るため何でもやっちゃおう!というspiritなのね、

それに踊らされて国民は投票するわけだーね、20 年以上も前だから放送できたのね、今じゃ都合の悪い所はすっ飛ばして

足がつかないようにしてるようだけど、それでも分かり易いわ、あとで、

 

思い出しましたよ、あの時のシーンを、リアルタイムで観てましたので”加藤の乱” そんなことがあったのか~と改めてね、

何故なら加藤議員は(鮎子現議員のパパ、地元ですので)選挙の度にポスターでお目にかかってましたのよ、

ひいきかどうかはさて置いて、あの時には泣きの涙でした、オトコの涙を公衆の面前で、しかも政治家がと驚いたもんです

M総理の時でしたよ、そして次のスーパースターと目された k が総理になって大騒ぎでした、郵政民営化でしたっけ?

その後の M子議員と K 議員の二人三脚は凄いもんで、口角泡を飛ばすじゃ行儀は悪いけれども蜜月だったでしょうね、

 

あ!ドラマですね~ホントに愉快よ、だって、あら、あのぉ方ねと分かりますもの、代議士と公設秘書と私設秘書と家族が

入り乱れてのドタバタ劇で、キャストがまたふるってて、特に岩城滉一さん役と室井滋 さん役は圧巻!です、

キャストとネ―ミングだけで笑えるドラマってそうそうないですからね、昔を知ってるひとには堪らないヒット作だと思う

 

議員は肉が好き!とは何度も出てくるシーンですけど料亭も好きよね、昔、”紀尾井町” に議員ごひいきの料亭があって、元

ぉ大臣様(短命内閣だったのよ(´∀`*)ウフフ)に連れてって貰ったことがありました、

うわさに聞いてた”福田屋” ですよ、どんなご馳走が出てくるのかなぁと楽しみにしてました、まあ農家育ちの私には上品過

ぎて物足りない感じでしたよ、確かに器は素晴らしく盛り付けも、農家のドン!盛りじゃありませんから出てくる順番に従

って一箸二箸ってな処で、ぉ味も出汁は効いてましたけど薄味でした、色味は美しかったのを覚えてます、

盃洗(盃を洗う器”)にはビックリ、だって水を変えるわけじゃないから、なんだか抵抗がありましたよ~それにしては塗

り物で豪華で、そういう処に細やかな気遣いが高級料亭なのね、私、弱冠 23 歳、日本酒は美味しかった!

 

 

 




06/09

亡母が(典型的なマザコンですから私)あの厳冬を家の中の温風の後ろ側において越させ、咲かせ続けたことがあったから

是非にと今から心構えを、せっかちなのよ(´∀`*)ウフフ

 

2018    フジTV   海街diary   是枝裕和・脚本  

フジTV

その父が同じ姉妹が、海辺の街で一緒に暮らすことになった、古い大きな家で、私たちにも懐かしいと思える様な佇まい

の家で、様々なシーンが繰り広げられて、何度観ても都度つど感動を覚えるから私は名作だと、姉たちが妹を思いやる心が

温くていい、あとで、

 

フジTV

異母妹から父の死を知らされて、初めて異母妹と顔を合わせて葬儀に参列するという件で、田んぼのシーンが気になって、

検索したら宮城県のようでした、やはり似てるもんですわ、これも未練心の一端でしょうか、

 

姉妹ってやはり長女次第なのでしょうか、この物語での長女さんは実にしっかりとして、でも温い言葉をかけながらも、

手厳しくも切り込むあたりはお母さん気質の存在で、愛する人とも別れて末妹をひきとり同居しようとの申し出、責任感

もありましょうけど愛が深いね、

 

次女さんは奔放に見えて正直なうえに優しさが備わってる、姉さんにはぞんざいな口を利きながらも従順で可愛らしい、

つき合ってるオトコが好きでたまらない様子が伺えて、姉貴風ふかせる辺りは剛毅だね~

 

三女さんは優しい、自分の感情に忠実で主張はしないけど芯はしっかりしてて人当りがいいですね、一緒に居て楽しいと、

明るくて屈託なく、新しく暮らし始めた妹にも一番声掛けをする気遣いが素敵よね、

 

そして異母妹にあたる四女さんは、そこに何も蟠りをもつことなくすんなり姉妹になれた、素直な少女でしかし控え目で

一緒に暮らせることに感謝しながら、古い家に溶け込んでゆく、いいです、梅の木から実を捥いで梅ジュースや梅酒を造り

仏壇にはご飯を上げて水を上げ線香をあげて両手を合わせる、普通の暮らしを経験しながら大人の女性になってゆくのが、

見えるようで豊かな物語だなぁと、そういえば普通の暮らしをしてないなとちょっと反省しながらも惹かれてゆく心根が

たまらなく気分がいいわ~こういう映画はそうそうないよ、

フジTV

寛之センセが過去を回想することは老いにはいいと仰ってたので、そうだよね、思い出すことがあるということが心豊かに

一日を過ごせるということだもの、

 

昔、親族の家には、私って小さい頃から他所の(とはいっても身内)家にはよく行ってた、実家帰りの伯父伯母、叔父叔母

従兄、従姉に連れてゆかれるにが多かった、興味津々で遠慮しなくていいし、それは父方、母方を問わずだったわね~

その頃は「迷惑じゃない?」なんていう発想は誰もせず、一人ぐらい子供が増えたってなんちゅうこともない農家だったし

 

そしてこのシーンのように(もう少し女の子らしく行儀は注意されてたかな?ごめん!)廊下で梅の始末を手伝ったことを

思い出した、どこの家にも廊下に瓶(甕)が並んでて、それが梅干しだったり梅酒だったり、枸杞酒だったり木天蓼酒や

西瓜糖(西瓜の赤い実の部分を鉄鍋で煮詰めてゆくと西瓜のジャムのようになって、もっと糖度が高かったような)グミ酒

味噌甕と呼んでた大きな甕があって木の蓋が載せてあったわね、etc.  それを酒は除いて、小さな木の”へら” で舐めさせて

くれた伯母や叔母の絣の着物の手元と共に浮かんでくる、子供心ながら嬉しかった、4~5歳の頃の思い出である、

 

当時は殆どの家が山水(山から水を引いて台所の大甕に流しっ放しの、まあ山水かけ流し?(´∀`*)ウフフ)を引いてあった、

今思えば、それを汲んで風呂に入れたり、洗濯の盥に汲んだりしてたのよね、これってもしや貴重な経験で生き字引?

川に行って洗濯物を濯いだりもしてたわね~

後に池に川の水をポンプで汲み上げてたコンクリートの長い水路が庭に造作されたり、時と共に暮らしぶりは変化していっ

たことも今でもはっきり覚えてる、その頃には学齢に達してたかもしれないけど、

 

あ!瓶ものね、この家でも瓶ものがなかったかしら?と床下収納庫を覗いてみたら、ありましたよ~

 

 

 




06/08

ビンカ(日日草 アプリコット)かざぐるまシリーズ、北島農園 種苗登録出願中のプレートに惹かれたのか、残り少なく

売り切れのエリアも、ホワイトもよかったのに遅かった(^^ゞ

店先に集まってたおば様たちは「可愛い~!」と立ち話で、やはり今の処は年代的には、花に何かを求めるしか手立てが

ないと気づいたのね、子らは現役バリバリだし、孫は青春真っただ中で爺婆には目もくれず、あんなに可愛がったのに~ね

連れは古くて乾燥気味だし、御身のみ大事のようだし(笑)

 

 




06/08

昨年の夏を過ぎたころ花屋に寄って一目ぼれ、サマーミスト・SUNTORYさんの改良した花で「もう少し楽しめますよ」と

店主がすすめたから「きれいねぇ」と手に取った、初めて見る爽やかさと、何よりSUNTORYという名に信用を預けて、

ちょっとの間でも楽しめたらいいわ!ところがどうです?今季に咲き始めちゃいました、私、冬越しに成功したのです、

部屋の中の花に埋もれて暮らしてましたのでね、

 

竹内まりや 「家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」

さてっと~2か所あるもんで迷うんだよね、贅沢な話だけど”こころ”は縛られたくないのよ♪

 

散歩して思った、老人は弱者ではなくなった そう言われてみると街に老人(もちろん 78 の私も含めてですよ)はいる

けれども、殆どは夫婦同士で歩いてるか、老人とはいえぉ他人様の手を借りずに歩いてる人も多い、

荷物を持ったり買い物袋を下げたりはしてるけど、それは賄える範囲内での作業となってる、いかにも老いて大変そうに

事を成してる姿は見かけない、ということは歳は取っても昔の同世代よりは若々しく行動出来てるからかもしれない、

 

昔の家にいる爺ちゃん、婆ちゃんは50~60 代だったけど、労わりたくなるような佇まいであった、どこか頼り無げ、祖父

と手をつないでい畦道を歩いてても足元を見たりしてたもんね~祖母は現役で農作業をしてたけど、やはり地味ないで立ち

のせいか、ちょっと手を差し伸べようかな?と思ったものだった、弱者というと抵抗はあるけど手助けしたいと思ってた、

 

同情されて生きてるのも辛いことだから、今の様子の方がいいけど、私が老いの立場だからね「とてももうすぐ80代とは

思えない!」と言われた、これはブログに掲げてる精神だから嬉しいことではあるけれど、いざ言われたらちょっと複雑

だって「80 になろうというのにその元気さなの?」という本音が聞こえたような気がしたのよ(笑)

 




06/08

オレガノ ケントビユーティ と言えばハーブの一種じゃない?と検索してみた、

繊細で優しい色合いの苞(ホウ)が重なり合い、その隙間から小さな花をのぞかせる姿は愛らしい観賞用の植物です👈

好きな色合いで、その小さな花が存在感を示し、全体の雰囲気に惹かれちゃった!楽しみたい花を見つけた!

 




06/08

ローダンセマムは 3~5 月の短い夏季というので根を育てておけばいいかな?と思って切り戻しした、ら、咲いちゃった!

なら施肥して水やりを続けて咲かせてみようじゃないの?好きな花だから(´∀`*)ウフフ

06/09

久しくオトコから誘われなくなって(゚д゚)(。_。)ウン十年が経って、気安く集う同級生も亡くなってしまったので(寂寞)

オトコに負けず劣らずパサついてきたオナゴも増えてる処、リアルにオトコに誘われたりしようものなら、騙されるのが

オチ!とは世間様で学習済みだから、せめて家族に迷惑なんて努々かけないように、邪魔にならないように自己主張を

控え、連れとは諍いなんてする方が徒労と心して、生きてるんだけど、何かが不足してるからつまらない老後になってる、

んだよね、

 

子や孫の事を考えて身の程知らずな夢を持ったり、希望にもえてみたり、何かを成し遂げよう等と思わなくてもいいから、

「無事に過ごして頂戴よ」としか言われなくなったらお終いだとは分かってるけど、何かに向かって「私の人生を返せ!」

と言いたくならないオナゴが居たらお目にかかりたい、

 

この笑顔が本屋の一番先に並んでた、昔からハンサムとは知ってたけど、やはりおば様たちの心を鷲掴みにしただけあって

なかなかいいじゃない?今流行りの不倫するわけじゃなし、正しい時間を過ごすだけの手立てにするならいいんじゃない?

 

五木寛之センセは 1932 生まれというから私より 13 歳上だったのね、90 過ぎだったのか~

色んな作品も読んだし、テレビでの私見も聞いたし、追っかけとしては一通りのことはしたつもり、本は北国の本棚に並べ

てあるから、整理する時には楽しみだわ、

 

本の整理も、ガラス(ステンドグラス)の整理も食器も洋服もバッグも着物も靴も、塗り物もと思えば、そうそう簡単には

捨てられないから他人様にも頼めない、連れはさっさと片づけろだなんて失敬な事を言って私を怒らせる、

そんな簡単なもんじゃないんだよ!なんて下品な応酬はしませんよ、だって私物ですから、大きなお世話だよ~ん、

 

寛之センセはどういう言葉を尽くして、この怠惰な私を立ち直らせてくれるのかしら?都下にきて一年半は過ぎたんだけど

まだまだ踏ん切りがつかないんだよね~読後感を少し読んだら載せますね、

ひとは言葉によって救われるだなんてあまり思った事はなかった、だってひとの言葉に縋るような事も少なかったというか

殆ど自分で好きなように選択して生きてきたような気がするからね、

だから後悔もするし、やったね!もあるし、なかなかスリリングな日々だった、思えばすべてが初めての体験で、オトコと

暮らすってこういうことなのね?いやいや違うでしょ?の連続で、なんたって、何が偉いかは知らないけれど、そんなに

自信満々になれるほどのぉひとなの?(笑)

 

農村で育った私に見えたオトコって(身内ですから、身びいきもありましょう、でもそれとも異質なホホホ)静かで無駄口

は叩かないし、自分でできることはしてたしなぁと、それに大体、えばってみた処で家業はお互いに協力し合ってのこと、

例えば勤め人にしたって家にいる時間は少ないからね、

他人ってこんなに違うものなのねと思いましたよ、でも、そこで正論を言ったって、そういうオトコはムキになるだけだし

私は最初から違う世界のひとだと思うことにしましたよ、でも後々の為(何のため?こういう時の為ですよー笑ー)見させ

て貰うことにしました、完全に高みの見物でした、だって珍らしい種だったから(失敬!)

 

「諦める」ということ いやいやセンセ!そう仰られても諦めたくはないのです(笑)

諦めるの本来の意味は「明らかに極める」つまり勇気をもって現実を直視する、覚悟するということだとのご指摘ですけど

確かに、例えば結婚においてでも「あなたが選んだのでしょ?」とよく言われますけど、この世の中にこういうオトコが、

居ることを知らなかったのですよ、

 

私の周りには 27 年間生きてきて、ホンとに居なかったので「選んだでしょ!」と言われても納得はいかないんですよ~

「顔で選ぶからだよ」と息子にも言われましたけど、確かにその時はそうでした(*- -)(*_ _)ペコリ

でも before after がこんなだとは想定外でした、子たちにも少しはいい顔を持たせたかったので、これは母親として出来る

ささやかなプレゼントだったのですよ、そして無事に、子らは「こんなに素敵な娘さんと息子さんがいらしたの?」世辞を

言われもしましたので、この選択は一部は成功とも言えます、性分は私に似たから申し分ないでしょ(笑)

 

まあねそんなアホ(またまた品がなくて申し訳ないけど)な話をしてる場合じゃありません、私の貴重な余生をどのように

有意義に過ごすかを考えなきゃならない時に”諦観” は勿体ない!

ということで私は正義のために、大袈裟と言われようと、未練がましいと言われようと、年甲斐もなくと言われようとも、

飽くなき前進を目指すのよ、取り戻さないでどうする?P 子という処かしら(´∀`*)ウフフ 静かに闘うんだぁ👩

 

寛之センセのぉ言葉  

「孤独を楽しむ」そうですわね、今まで幸いにも周りに友達や親族がわんさかいて、その誰かが暇なときに遊んでもらえば

良かったんですもの、それが今じゃあちらへいっちゃった友も親族も多くて、残ったのは数えるほど、これじゃ自分で時間

を楽しむテクを身につけなくちゃね、

 

「前向きにの呪縛を捨てる」 いいですね~私はここに来て一年半ほど過ごしましたけど疲れました、疲れるほどの何を

したのかと問われたら、これと言って何もしてないから、満足感がなさ過ぎてつまらない、

それに何かをしてなくちゃ生きてるとは言えない なんて思ってたもんだから、急かされてるようで落ち着かなかった、

いいじゃない、余生なんだからと開き直りゃよかったのよね~

 

「シフトダウンして生きる」これですよ、これ!車の運転も止められ、何が楽しいのさ?そうは言っても現実は厳しくて

これでもかこれでもかと高齢者の事故を突きつけられると、これはこれで致し方なし、コロナ禍の後遺症で外出不自由に

慣れてしまって「家でいいわ!」と家族で飲食してたら、これはこれで疲れなくていい、頑張りすぎてたのよね~もっと

自由に楽しく生きられたのにと、昔の事ばかり追って文句を言ってた、

 

寛之センセは実に私に安堵の言葉を、これでもかこれでもかと投げかけてくれる、ウソのようなホントの話だから、もしや

年寄りあるあるに悩まされてるぉ方がいらしたら読んでみてください、この本を買って帰りの電車の中で既に私の頑な心が

洗われたんですから、五木寛之センセの秘書でも中央公論の回し者でもありませんよ、年寄りになり切れなくて悶々として

そういう一年半を過ごしてた私が言うのですから、案外ホントのことよ、

 

「ガラクタも捨てなくていい」 これを一番待っていました!私、それぞれが持ってて未だに捨てられないモノは沢山ある

はずです、それが長く生きてきたという証拠ですから、そしてそれぞれにはそれぞれの買った時や買った場所や、あるいは

買ってくれたひともいるはずです、

「自分で買って捨てられないのなら代わりに捨ててあげようか?」なんて何で言えるのさ(怒)

そういう無神経な【D】(失敬、下品の限りです)に用はない、まあ口に出しては言わないけど、父の代からの記念切手や

本や碁石や将棋の駒や、学生時代に使ったタイプライターや、若い頃使ったライターや etc.

数え上げてたら未練がたらたら(´∀`*)ウフフ こういう言葉をかけてくれる余裕のあるぉ方が好きだわ、

やはり伊達に寛之センセじゃない、

 

ガラクタは捨てなくてもいい、これは父が私に残した言葉に似てる「好きなように、好きなことをして生きてゆけばそれで

いいから、その為には最後の砦は必要だ、それは¥に代わるものではない時がくるかもしれないが、ないとあるとでは人の

心持ちというものが違う、だからこの地べたは手に入れたら(父の実家に対する義理と、今風に言えば忖度よね、父の職業

とその母親(私には祖母)への心情等を加味し、私が代わって父の亡き後、私が年下で職業も法曹じゃないから本家宿敵に

挑んだ話、そこまで語るには長すぎるし一度語ってるのでここでは省略するけれども)P 子が本当に不要と決められるまで

は維持するようにとの父の諭があった故、だから処分を急かす【D】の口車には乗らない(´∀`*)ウフフ 私の場合だからね、

 

「孤独でも何かを求めて右往左往してみる」 いいじゃあありませんか?具体的に今思いつかなくても、何かを求めてでも

いいから迷ってみるのも老いの道楽という事でしょう?あからさまにぉひとに迷惑をかけない限りは、思うことを文字にし

たりして己が心を宥めるのも一つの策でしょう、それにはうってつけのアイテムが”ブログ” 私にとっては 63 歳で始めた、

この手当たり次第に書いてゆく手法はぴったりで、実は心が晴れるんですよ、なんで?とお思いでしょうけど、ホラ、もれ

なく孤独の範疇に括られる年代ですから、しかも”おうちでひっそり” にはこれ以上の事はありますまいよ(笑)

 

もしこれがなかったら私はどうしていたでしょう?お知り合いになれるはずもない遠くの方々とお知り合いになって、近隣

や親族によりも、詳細を書いたりして親しんで頂いてお礼の申し上げようもない処です、

 

興味のある分野の話や家族の話や友人の話など、あまり失礼のない範囲内で書いて読んで頂いて、もしやその中に何かhint

でもあれば、更に嬉しいことですもんね、

 

「回想」が人間不信と自己嫌悪を癒してくれる ドンピシャの話題ではないかしら? 一生懸命家族に尽くしてきたはずな

のに、案外さっぱりと交流してることを思えば「感謝してよ!」とは言わない、こっちが感謝してる最中だからね、

子らや孫に限定してだけど、あ!親や親族や同級生や友達にもよ、特に「子や孫よ、私の人生を彩ってくれてあざす!」

(こういう言葉が若者には伝わるの?)

無味乾燥気味の連れには最早そういう心情的な複雑な、というよりは高度な人間関係を求める気持ちは最早ゼロ(笑)

「時には労わりの言葉のひとつも欲しい」と思った事は山ほどあったけど尽く裏切られたので、もうこっちから願い下げ、

 

得意な分野の「回想」は外せないので、これだよ!と嬉しかったわね~こうして一項目づつ精査してゆくうちに、私は長い

トンネルを抜けると明るい老後にたどり着けると確信した、だって昨日と今日を比べると、既に心持が軽いんだからぁ、

 

 

 




06/08

カリブラコア《カメレオン》 ドイツのウエストホフ社が育種した、咲き始めながら徐々に花色が変化してゆきます、

「高松商事株式会社は セーブ・ザ・チルドレン を応援します。」このspiritに感動です、子を護れない世の中なんて ね

単色じゃないところに惹かれました、大人の色合いを感じます、




                  06/08

花の世話は雨が降る前が勝負なんですよ、花殻を摘むと摘まないとじゃ花の風情が違います、なんたって花の周りは清潔に

それが綺麗な花を咲かせる基本ですよ~色の変化はまた載せますね、

 

大河ドラマに総集編があるように恐縮ですけど私の物語にも総集編を、だっていくら回顧は老い防止に役に立つとはいえ、

同じ話を繰り返しても、ぉ他人の話だし、そうそう興味がわくものでもないだろうから(私はぉ他人様の長話は好きよ)〆

にするには頃合いかと思ってね、私もいつ何時何があるか分からない歳だもんで、

記憶にあるぉ方はスルーなさってくださいませ、

もう見慣れたとは存じますけど、父方祖母(テツ)とその孫の私の宿敵の写真よ

宿敵GⅢは 昭和19年生まれですから、私(昭和20年生まれ)とは一つ違いで、私の父親をすっ飛ばして農家の家督相続者と

なるはずの、待ちに待たれた男の子でした、その父GⅡは、私の父とは3つほど違ったくらいでしょうか?

これが物語じゃなくて何が物語でしょう、父は3姉妹の後に生まれた長男でした、その時には既に父の姉(私には伯母1)

が婿を取ってたので、今風に不謹慎に言えば「あら、オトコが生まれた」というニュアンスであったろうと父は回顧してた

 

 




      

                      06/08

微妙な色の違いは諸事情による、変化は楽しいもんで、だから《カメレオン》なのよ、オナゴもその方が興味深いと言える

カメレオンになる余力があったらの話だけど、

 

◎可愛いと・・・・・          ◎子の頃の・・・・・

◎歳とるを・・・・・          ◎労働の・・・・・・

◎髪切って・・・・・          ◎迷わずに・・・・・・

◎捨てたもんじゃ・・・・・       ◎歌詠んで・・・・・

◎仮りものの・・・・・         ◎代役と・・・・・・

 

この初句を決めるのに飲食が細くなっていた(笑)

といえば本末転倒と思わないでもないけど、それが按配いいのよ、だって寝ブ〇にならずに済むじゃない?この頃はとみに

動かなきゃならない事由がないし、ちょっと暑すぎたり雨が多かったりしたのでね、言い訳がましいとは分かってますけど

 

そして郵便事情の変化で〆切日に着けばいいはずのものが、そを土日が邪魔をして終に出来上がったのが2日前、速達にし

「郵便受けへ」と朱書きしないと一々セレクターさんのお手を煩わすことになる、だんだん遅くなってくるのは感性の鈍化

それに変化のない日常、あらゆることが退化して這う這うの体、

そこで諦めないのが婆の真骨頂、まあすごく気に入った!とはゆかなかったけど、今までよりは屁理屈っぽくないと自負、

 

それで早朝に机に向かい文字を数えて下書きして清書して、買い物の途中にポストにポトリは、〆切があればこそよね、

どのように時間を潰そうとも、さほど問題ない暮らし方が続いちゃうと、婆は”惰性” に巻き込まれちゃうのよ、

これがイケないなんて言わなきゃならない歳でもないもんだから、流されてふらふ~ら♬

 

 




 

 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする