pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

@松葉牡丹 ❶捨てられなかったモノseries @クレマティス@碧雲荘 @オナゴの底力 @いい気分~♬(s) Elvis @トマト@源氏@57577

2023-06-22 | #日記

06/24

今、雨に傷つかずに咲いてるのは松葉牡丹だけ、この花は思いがけず強くてきれい、色も姿もさすがです、

 

断捨離が不要だという話を読んで、そりゃそうだわと思ってはみたものの、その都度要らないお知らせやらレシートやら

メモ用紙やら手紙などをそうそうキレよく捨てられない性分だもんで、でも北国をちょっと留守にしようかなと思った時に

長逗留になるかは分からなかったけど、虫の知らせだったんだろうか、あらゆるその手のモノは燃えるゴミに出してきた、

よかったわ、空き家に入って貰うこともあるから、あまり面倒くさいものはね~お目汚しになるのもイヤだとでも思ったの

か、それだけは手際よく、思えばあれほど根を詰めて守ってた仏壇は位牌もそのまま、戸も閉めてこなかった(笑)

 

➋捨てられなかったモノseries

赤文字は当時の様子や気持ちを言葉にしてみた、100年と言えば立派な母の歴史ですから、

 

これが最後の盆飾りで母の新盆だった、亡くなってわずか7か月しか経ってなかったのに、長い日々を独りで過ごしてた

気がした、支援してた子は都下に帰り仕事に、こういう時には妹たちファミリーも集うはずであったろうに介護&葬儀

からギクシャクして会話さえしなくなていた、

そしてこういう時にはせめてそれぞれに”連れという者がいる”んだから、何かと介添えするもんじゃないのか?なのに

それもせず遊び惚けてた、私ゃ思ったね、この恨みは忘れないぞ(笑)

 

2020/08/13

 

思い付きで動くもんだからね、それもおよそ1年9か月にもなろうとすれば薄らいでゆくから怖いわね、人の記憶なんて時

が経てば霞の彼方にということよ、

こっちに来たばかりの時にはあれほど心配したのに、今じゃ何とかなってるから知らせもないのねと安穏としてるんだから

巧くできてるもんだよ、

 

 都下に居ながら片付け在庫のリストを製作中です

今までは空き家の不安と庭先の草ぼうぼうとかが胸に刺さり、追想してる余裕なんてゼロだった、一度はこの記事を書く!

そう思いながら今日できっちり1年8ヶ月を都下で過ごした、痛みも哀しみも時が過ぎりゃ何とかなるもんだと実感したわ

そうは言っても不滅の悔しさや憤怒は消えませんよ、内容によりますわ、都合いいけど(´∀`*)ウフフ

 

テーブルの上には8面のステンドグラスの切りっ放しが並んでて、

2020/10 /07

それでも一人でコツコツと型紙を埋めていってた、

2020/10/12

切り刻んだガラスの残ったガラスを組み合わせてと言ってたけど、予想外にも好きなガラスの集まりになって「イケる!」

2020/06/13

そう思ったのを覚えてる、持ってくればよかったとは今更ながら、こんなに長逗留になると分かっていたら、後の祭り~よ

 

 

   

2020/06/05  一面大きなガラスの作品にした「葡萄」                     2020/11/03    八面のスタンド「薔薇」

 

 

高さの低い古いタンスの中には考え抜いて残した着物や帯やこものが眠ってて、絞りの可愛い帯揚げの赤いのは娘と孫が

成人式の時に着た着物の大好きだった手触り、その上には創ったガラスの作品を並べて、あーーー懐かしいし見たいし触れ

たいわ、心に余裕が出てきたという事ね、来たばかりの頃には思い出すたびに胸が痛んだ感じだった、

 

亡母が好んで使用してた古箪笥、その上にガラスの先品を並べて一人悦にいってた、あれはあれでいい時間でしたよ~

日付けは最後に写した日付です、

2019/04/12

2018/12/18 🎄

 

2020/06/15

廊下に並べて磨いていたらとてもいい気分だった、母が亡くなったこともあってちょっと元気が出なくて、道具をひろげて

は磨いてた、あの時間もあればこそ今の回想にも耐えられるようになったのよ、

 

                   2020/06/10

2020/10/11 👈 教会に使用した十字架と鐘ですよ、

2020/10/01    これが一番最後の作品で気に入ったわと眺めてた、

教会の入り口の黒い蔦模様を再現したくて、探し回ったのを覚えてる、横側の窓の様子に苦労した、いかにも自然に中が

明るく窓を際立たせたかった、ハンダ仕上げの黒が気に入ったのよ、

 

 

 

3人の娘たちを育て上げた母は殆どワンオペだった、今風に言ったらね、だって父は仕事が終わるのは5時頃なはずなのに

直帰じゃなかったわね、午前様かどうかは起きて待ってたわけじゃないから知らないけど、自由人と言えば聞こえはいいよ

けれど母にしたらあまり気分のいいもんじゃなかったろうよ、でも別れもせずに実家通いで憂さを晴らして添い遂げた、

色々あったようで(^^ゞ 

2020/08/01

これが出てきた時には驚きましたよ~デンタルミラー!母は歯科医でもなんでもないのに私たちが「歯が痛い」というと

これを消毒(熱湯消毒)して自分で子供の歯を確認してそれから歯医者へGO~でしたのよ、愉快でしょ?(´∀`*)ウフフ

 

 

 

2020/07/31

シャンデリアを飾るような家じゃないけど好きなので古道具屋から買った「電球は後付けだから安いよね」と値切った私、

「please price down」は好きなのよ(´∀`*)ウフフ

2020/09/10

バラシて磨いてて途中で写し時には見惚れたわ、このカーブのきれいさにね、

2020/09/10

2020/09/10

これらが上のランプシェイドですよ、くるくると回して嵌めるんです、これも最後に磨いた日付けだよ(^^ゞ

 

納戸には漆の塗り膳や椀や箸や、気に入った食器や、何より本の山、本棚に整然と並べてきたのよ、写真は押入れのケース

に3人分に分けてきた、

 

2020/05/27

本棚に並べるために種分けしたのよ廊下でね、それが進まなくて往生しました、だって読み耽ったりしちゃったのでね、

やはり好きな本は捨てられなかった、一部だけど📚

 

2020/08/07

無頼派などと呼ばれてた織田作之助センセが亡くなる時にご一緒だったオナゴはんは妻じゃないのでなんともはや~とDr.

は口を濁した、決定権も選択権もないのでね、でも粋なDr.のご計らいで何とかあの世へお送りになられた、そりゃ人生の

選択はなさったろうけれども、よそ様のご主人じゃ何とはなしだよね、太宰センセも然り、檀一夫、坂口安吾センセも然り

経験しなきゃ恋愛ものは書けないとは理由になさってはいないけど(´∀`*)ウフフ

 

2019/04/03

2020/08/042022/04/25

向田邦子さんは好きでしたよ、今でもね、あの凛とした佇まいもそうだけどぉ顔の美しさの中にある厳しさと強さは素敵よ

2020/03/10

 

赤い字は追記です、

昔は農家じゃなかろうが自宅での祝儀不祝儀が当たり前だったので、塗り膳や椀や箸の類は用意されてた、父が亡くなる前

に母が用意した”秋田塗”が、20人前揃ってた、これはやはり捨てられなかった、

そして家には屋号があって、 単なる勤め人の家でもそうだったので仕方がないわ

大した家でもないものを(笑)

 

2019/08/31                                                                                                                   2019/08/31

2020/09/19                                                                                                                                          2019/04/12

2019/09/03

 

 

写真フォルダ方探して載せて楽しむのも一興と思い作業を始めた、なかなか懐かしい、以前載せたのも記事削除の憂き目に

あったので出直しにもなるからね、

秋田塗は川面塗が代表的で、2019/09/03  その赤の加減が私も好きでよく

使ってた、日常使用もしてたし客用のそれはそれでよく磨いて仕舞っていた、

 

また桜皮細工は有名で、2019/09/01

2019/09/01 2019/09/03

2019/09/03

 

北国の家の台所はママが長年使っていた昔仕様で、私は好きだったけど、あまり古びてきたので少し様子を変えた、こうし

て台所のモノを揃えてたのに、今は中途半端 ̄ ̄ ̄ ̄だよ(^^ゞ

2019/09/11

レンガをホームセンターから買い込んで並べては眺めしながら洒落た空間にした、あーー懐かしい!見たい触れたいよ~

 

 

ぉ道具というものは手直において楽しむから使い勝手がしっくりくるようになる、オナゴの楽しみの一つともなるんだよね

2020/07/31

琴を習わせられた(これはママの好みで私は違う楽器だったらよかった!とずっと思っていた)のは小2~3だった、秋田

の手形谷地町(旧)にある教室で、粋な姉妹が教えてた、山田流で爪が丸くて赤い皮の爪当てがついてた、最初は譜面を

見ないで”先生” が弾いたのを聴いて、”糸”名を口で私に伝えてそれを爪弾くというように、例えば さくら~さくら~なら

「七七八~七七八~」というふうに歌うようにねー

公務員のサラリーなんて高が知れてたから、琴を買うのはママの夢だったようで翌年、その先生の愛用の練習用琴を譲られ

習いは続けることになった、

先生が何年お使いかは知らないけれど、もし10年は使ってたとしたら 80 年ものということにある、高級品じゃないけれど

 

2020/07/31

ママは 57577 の友人と茶も嗜んでて、これも欲しかった釜の一つだったでしょう、後生大事に使ってた、家に友を呼んで

それは皆おそらくは 50 代頃から始めたように記憶してる、ママは習いたいことは率先して向かうタイプだったので多趣味

 

2020/07/31

昔、囲炉裏があって炭をおこして暖をとったり煮炊きをした、そして一日の仕事が終わるとその赤々と燃えてる炭を熾火

と言って次の日のために”火消壺”に入れてた、消し炭だから消えてても火はつきやすく火おこしが簡単にできたので、

 

 

 

2019/01/08

ママの亡くなる前のランチ、好きなものしかぉ口にしなくなって、やはり農家の長女!白ご飯と筋子が好みで、カステラと

飲むヨ―グルトetc.   このような気の使ったメニューを妹たちは気にもせず簡素に、それが気に入らなかった姉(私)怒!

 

2019/09/16

 

2019/09/16

亡き母が 百 歳(百寿)の時に頂いた銀杯、介護ベッドの上で母はその時の気持ちは言葉にはしなかった、

 

 

 

2020/03/01

本箱の上には歴代パソコンと学生時代に使ったタイプライター、これもさっさと処分すればいいとお思いでしょうけど

(´・д・`)ヤダ

 

2020/08/07

コカ・コーラのケースが捨てられなかった、時に腰掛け芝生を眺めてた、いい時間でしたよ~北国で、

2020/08/12

今じゃ見かけなくなった炭団、火鉢も火おこしも炭箱さえみられません、ましてや火鉢は・・・・・

 

2009/07/01

某所で浅田次郎センセとご一緒した時があってサインを頂いてウキウキでした、そしておまけにと言っては何ですけど

パチリ📷まあね (´∀`*)ウフフ ということでスルーしてくださいね、何か面白いことなきゃね~浩市様とのはまたね、

あ!ブログをやめるわけじゃないけど(笑)

 

2019/02/08

旅もしましたよ、だからってパンフ一枚写真一枚捨てられない、自分のは自分の分として子のとは別に取ってあります

2020/03/10 この中にも満載ですよ”旅のあれこれ”

これこそ思い出の大事なものですから、ぉ人にとやかく言われて捨ててなるものですか(笑)

 

2019/08/19

妹たちが夫婦連れで集まってた頃の盆の昼のbeerタイムの直前の様子、客が退いてやっと家族だけで「いっぱいどうよ」と

よく飲んでいた、なにせ精進が決まりですのでね、宴も夕方へと続くと、精進をすっ飛ばしてたわ、母も参加でしたよ、

ここに並べられてる器で飲みたい!((´∀`))ケラケラ あの頃は姉妹も仲良し、いつからこんな風になったのかしら(´∀`*)ウフフ

 

それらを何の躊躇もなく「業者に頼んで捨てればいいよ」だなんてよく言うよ【D】 そりゃね、思い出の数々の品に愛着

があろうはずはないんだから、分かってはいるけど、味も素っ気もなく言うなんて、やはり情緒の持ち具合が違うんだねー

言葉を選んでと言いたいところだけど、なんだかあまり喋りたくもなさそうだし、喋りゃあーだこーだと面倒くさいのよ、

歳のせいと性分だと諦めてぉ好きなようになさればいいわ、

 

余りに思い通りにさせてきてしまったので(あら、(m´・ω・`)m ゴメン…)いいもんだと思ってるんでしょうね、いいわよ

今は私も暇人だから、好きなように過ごしてますので、

いいわね~オトコって、自分の感情のまま過ごせるんだから、したい事だけして、したくないことは金輪際しない!とでも

私もそうしてるわ(笑)

 

さて明日は店で花を選んで買って、また美しいページを始めましょ、今度はグチ無しの花~~~🌹

 




06/22

夕方から雨が降り始めたので慌てて撮ったクレマティス、雨に花びらが痛まないうちにと、この姿この色は一瞬ともいえる

 

東京は杉並区天沼に碧雲荘といういう下宿屋があった、当時はそう呼ばれていた、太宰センセの小説”富岳百景”に登場する

アパート”だった、1963 ~1967まで2Fにご夫婦で住んで”人間失格” もそこで執筆なさった、

お借りしました 👆 ありがとうございます 趣のある素晴らしい建物で好きですよ、

 

このように懐かしい建物が移築されることが嬉しいです、いつか訪ねることもあるかもしれないという”夢” を持たせて

くれますものね、

建物は2015に 大分県由布市湯布院町に移築されて交流施設として利用されることとなった、現在は「ゆふいん文学の森」

として公開されている、

過去回想がいいって寛之センセのぉ言葉は絶品でした、こころが落ち着くというか、先に希望が広がるというか、老いには

辿れる過去があるから素晴らしい、それを放っておくなんて勿体ない、思い出すことで緩んでた脳が活性化するような実感

やはり先達のご高説は貴重だ、だって経験なさったから指南してくださるわけだもの、

 

現在はあまりにもついてゆかれない世情のテンポに殊更そう思う、まだまだ思い出せることやリアルタイムで生きてた事象

その経験は貴重だよ、ものは考えようで自分に都合のいいように解釈して、老いの日々にゆっくり投影してゆけば味わいの

妙ですよ、よかった! 昭和20年(1945)生まれで、

 




06/22

こっちに来てウダウダ every day をやり過ごし始めてから 1年8ゕ月を過ぎようとしてる、何をしたとか楽しんだとかじゃ

なくて、むしろ何もしないで過ごせたんだから私も大したもんだ(笑)

 

最近、ニュースが一辺倒で面白みに欠ける、エンタメ界のあの出来事も伝えようによってはいくらでも綺麗に伝えられると

思うのだけど何だかありきたり、じゃあ観なきゃ読まなきゃいいじゃないか?

あの出来事に品があり得るのか?と問われれば、一言で言いましょう「悲恋」でどうよ、響きは少しは違うでしょ、それで

読者が食いつかないというのなら工夫が必要です、いやしくも文字でその身を立ててる所謂ジャーナリストと名乗っている

のならば視点を変えて進言する方法はいくらでもある、内容の事実は当事者のみぞ知るなのだから、少しは優しく扱えない

もんだろうかと、むしろ扱わない手立てもあると婆は首をかしげる、

当事者の写真がこれでもかこれでもかと掲載されて、なかには抱っこ紐で baby を連れてる健気な写真もある、そうよ大人

だけが当事者じゃなくて、騒ぎの中にはその子も含まれてるということを忘れてはいませんかと問いたい、

 

当事者がどのように決済しようとぉ他人様は無関係、読む見る側のせいにしてニュースを引きずるのは潔くはない、ぉ他人

の不幸は何とやらを地でいってるようで聊か大人としては恥ずかしい、他に伝えなきゃならない話はあるでしょう?

それとも容易く視聴者や読者の気をひいて、その手のニュースの影を薄くする意図でも?

 

そういう私も何でそんなにムキになってるんだ?と仰りたいでしょう、それは子育ての責任はとても大きな重圧でもあると

いうことです「何気なくしゃらしゃら子育てしてるじゃん」と見受ける方々(ぉ連れも含めて)がおられるかもしれない、

けれどそれはこうよ「せめて子育てしてる間もオシャレして楽しく時間を過ごしたい、素はオナゴだし」というママ族の

小さな願いの、少しの瞬間の表れだと思えてならない、ママが楽しくなきゃ育てられてる子が寂しいでしょう、

 

大仕事と外で働く方々はよく仰いますけど、それはそうでしょう、でもその中には休息も含むは工夫次第であるでしょう、

ママの仕事は endless なんだよね、

 

それでも私、今、あの頃のワンオペ子育ては正解だったと、子らに親にして貰ったと思ってる、子らもいい歳のオナゴと

オトコになったけど、ベタついた親子関係じゃないけど、私には好みの間柄になれたと思って感謝だわ、育てた事実がある

限り、子らはどこかの瞬間で”チビで堪え性のない母親だけど育てたんだよなぁ”と感じる時があろう、そんな程度でいいの

やはりオナゴの底力は凄いんだよ(´∀`*)ウフフ

 




06/22

傍に植えてあるバラが今は咲いてないのでこの花を誘引して絡ませて、美しい時を楽しもう、あまりに世の中が喧しいので

 

モヤモヤ感が晴れてゆくと肩こりもイライラもスーッと引いてゆく、これは時間をかけた賜物か、あるいは疲弊してた体が

快方に向かってるのか、ちょっと自分でも見当はつかないところもあるけど事実そうなのよ、

思えば(こういう書き方が好きな処が面倒くさいオナゴと言われる所以かも)頑張ってきたもんね~嫁にきてからも実家で

ママの介護をしてた時も「誰も頼んでね~」などとシラーっとして言うようなひとら(あら?つい本音が)を敵にまわして

長年踏ん張ってきたのは誰のためでもない自分のためだった(笑)

 

そう気づいて、自分の性分に従って生きてきてしまった手前、引っ込みがつかなくなっただけで50年も、そりゃあ疲れる

そうして50 年という長きを過ごしてきたことは心身に負荷だったのかもしれないけれど、

しつこい私だから途中下車なんてするもんか!と、これ正解だったんだね~50 年と言えばご褒美もんだろうよ(´∀`*)ウフフ

 

思い残すことがない人生なんて有りえないのが人生の妙味、エー恰好しいのようだけど(実はそうだけど悔いはないのよ)

そこまで達観し何を思ってるかというと、これから先の人生は1ミリも妥協はしたくない、【D】(あまりハッキリは?)

の思惑通りになんてならない、なる必要もない、大きく出たようですけど、それだけ今まで引いてたわけだよ、

夢のない老後だなんてクスぶってたけどやっと、好きなようにするわ、人生の最後の山場だよ、遠慮しないでオナゴも自身

を生きる気構えで先に進みましょう、十分家族にも連れにも責任は果たしたと思うよ、コンビニじゃないけどいい気分~♬

 

My Way

 




06/22

子が植えたトマトが生り色づき始めた、やはり農家のひ孫、血はあらそえないわね、植えることの興味があるだけでも宜し

 

子と晩酌できるなんて夢のようよ、忙しない毎日だというのにちょっとの時間を食事の間だけでもと私が希望してるから

つき合ってくれてる、こういう我儘な母親をどう思ってるのかは分からないけど、

「両親や姉や弟を見ると、もうそれで結婚はいいや~!」と言ってるのも本音かどうかは分からない、お嬢さんも何人か

家にお出での時もあったのに、きっと私ら夫婦が気が利かないのよね~まだまだ間に合うとは思うんだけど、

ネットニュースも明け透け過ぎて何だか困りますよ、これじゃ若者は結婚には向かえなくなるよ💢

「いいひとがいたら遠慮しないで結婚してね、世の中にはいいお嬢さんもいるんだよ」と私が言ったら、笑いながら言った

「いやいや、あなた方の現在を見れば分かりますよ」と、私ら反面教師にもなれないということよ(´∀`*)ウフフ 

素敵なオトコになってると思うんだけどなぁ、

 




このちょっと行き過ぎな物語に一世源氏の政権奪還 from 藤原が隠されてたのを読み解くことが出来なかった私は、物語を

読む力に欠けていた、表記だけを辿ってゆけばよもやそこに政治的意図が敷かれてたなどとは、それを思いながら再度読む

これも面白い、そのためにはこの一冊を丁寧に読まなきゃならない、

 

史実を知りながら読むのとでは全く咀嚼ができてなかった!気づいたからまあイッカ~そう読めばもっと面白さが増して

単なるイケメンの気紛れだけじゃなくなるわけだもんね、興味は増しました、いちいち教科書と照らし合わせながら読む

そういう読み方も、老後の「何したらいいのさ!」という腹立たしさから解放されるということも言えるもんね、

 

 

 

 

何かをしなきゃならないことがあるということに「よかった!」と思えるなんて、私にしちゃ嬉しいことだわ、それが

ため息交じりじゃなくて、よし!頑張るぞと思えるから尚更よ、

57577 は一か月に一回 10 をつくり上げればいいわけだから、何のことはない、感じた事を文字にすりゃあいいだけなんだ

けど、こうも変化のない日々は今まで経験したことがなかったので、ネタ探しに苦労する、そういえばあそこに行ったわ

もなきゃ、ちょっとセレクターさんのぉ気をひくことも出来ないのでね、

そこで今回は何処に焦点を定めるかを考えてみた、愚痴や不満やない物ねだりは品がないということだし、花が咲くのも

当たり前だし、人が老いるのも避けられない定めだし、何も刺激がない暮らしを詠んでみた処でスッキリ!じゃあないし

ということで若者の視点を借りてみた、

 

〇背を伸ばし・・・・・・・悪くなかった      〇浅草に・・・・・・・73歳

〇天沼の・・・・・・・時は流れて         〇永田町・・・・・・・バッジ族数多

〇渋谷駅・・・・・・・足早だった         〇青山を・・・・・・・嫉妬する夏

〇青空を・・・・・・・軽くする初夏        〇ケータイを・・・・・・・気分を飛ばす

〇梅雨もまた・・・・・・・”あちらにいる鬼”     〇いかにもと・・・・・・・大人になった

 

否定的な、あたかも抵抗してるような、重かったり暗かったりする気分を、言葉を変えるだけでちょっと老いから遠ざかる

これいい手法じゃない?颯爽と、あるいは軽々と、そして時には気だるい気分も持ち込んで複雑な若者の気分も醸し出し、

だって昔は若かったんだもの、強ち創作だけとも言えない実感含みじゃないの?過去回想よ(´∀`*)ウフフ

 

パッとしない気分を振り払うように下書きに赤ペンをいれてゆく気分がとてもいいのは本音で言葉を使ってるからか57577

エリアが地元だとか母の手前とか家族がとか親族がとかを考えてイマイチ言葉に臆してた、不思議なことだけどエリアが

変わると開放感が違うわね~活字になると思えばこんなに楽しめるものを、同じ作業をしてたはずなのに(´∀`*)ウフフ感が

詠み込めなかったのは北国だったからなのね、こっちじゃひとり天下で詠み易いわ、

 

と言いながら一丁前に推敲を重ねてる私だけど、これが楽しいんだから趣味としては性分に合ってるんだよね、言葉選びに

七転八倒してるというよりは、あら、この言葉の方が洒落てるじゃない?過去回想なんて言ったけどそれが案外曲者かも、

今を時めくという感じの方がすんなり響くと感じちゃった、そしたら今として詠んだ方が味があるともいえるわね、

こうして、そうそう試行錯誤を繰り返し遊べるのは年寄りになったからじゃないの?そう思えば落胆してる場合じゃないと

チカラが湧いてくるから面白い、

 

昼風呂を楽しみながら思ったけど長くいたから思いが強いか故郷というものは?北国に足かけ 30 年、秋田2年、八戸6年、

神奈川30年、東京5年、長さじゃないわね、出来事による、感受性(あったかどうかはあやしいけれど)の多寡だわよ、

そういえば故郷は遠きにありて思うものと、室生犀星センセだっけ?

 




 

 

 

 

 

コメント (6)
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