東京スカイツリー・パリ五輪記念👈もしよろしかったらどうぞ、
2024/08/11
アナベルは家の中が気に入ったのか、いい按配に蕾が順次花を咲かせて毬の姿を窓辺に黄緑色の爽やかさを見せる
高校野球のスケジュールで忙殺(大袈裟だけど)されてるので、細切れな時間帯を過ごしてる、
最近貴一ちゃんの映画もドラマも観てないので何かないかしら?と you tube をさ迷った、糸井重里さんはリアルで
美味しい生活のキャッチフレーズが記憶に残ってて、その言葉の采配の巧さに酔わせてもらった世代だし、と思い
貴一ちゃんとの対談を観た、いいですね~静かな中にユーモアにあふれ、激しい言葉のやり取りがなされる分じゃ
無いけど、心に残るしっとりとした時間を過ごした、
ぉ人柄と言うものはひとえに生き様だと思った、人生に色々と難儀な事はお互いにおありだったことも知ってる、
けれどそれが人の深みを増すという、思いがけない相乗効果を成す、
そのようなぉ二方👈が淡々と会話されることに、私の闘争心がやわらいでゆく(笑)
you tube
糸井さんがなかなか笑顔になる瞬間がなかったので、もう一回探しながら見直したら、やっと見つけました!
迎える側の緊張感と迎えられる側の楽しい様子に表情の変化が出るんだわね~と思いながらやはり糸井さんの笑顔
いいじゃない?そして演じる側の貴一ちゃんは、どこかで無意識に演じることも出来たんだなと気づいたエンタメ
you tube 若い頃もステキでしたけど今もステキ、話の内容
も濃くて、私に観てよかったわ、話す楽しさから遠ざかって仕舞ってる昨今の私だけど、心の内で相槌を打ってる
これも贅沢な瞬間ですよ、危険な暑さに感けて部屋で涼しい時間をすずしいオトコの話を聴いてるのもいいなぁ、
こういう時は年寄りと括られてもいいわ(笑)
ま、心の余裕が私にできてきたという事でしょうか?悪くはないわ、ちょっと休憩タイムのような、
2024/08/07
ビオラが思いがけない真夏に清楚できれい、暑さにも負けない花だったの?
この鉢にバラを植えてた、枯れかかり差し芽をした、ダメかとあきらめかけてた処少し目がありそう(あらまあ)
で葉っぱが出てた、それに負けじとビオラが咲いた、世の中、捨てたもんじゃぁありません、
思い込みがもしや人生の邪魔をしてるという事も無きにしも非ず、先ずは軽く口にしてみるのも一考かと思います
雁字搦めじゃ暑すぎて適わないわ、
全国知事会議
今までこういう会議があるのも知らず、観もせず(なかなか観る機会に恵まれず)あのぉ国の会議の罵詈雑言含み
の、ぉ品の欠片もないやり取りは流石に観るに堪えず、こういうもんなのね?と思い込んでた、思いこまされてた
「全国知事会議が年二回ほどあるんじゃないかな?」との you tube を見つけたので、へーーーっと大して期待せず
そこをクリック!!! 先ずは知事さんたちの礼儀正しさに驚いた、言葉遣いがとても宜しくて、中にはやんちゃな話も
無かったわけじゃないけど、それすら私には真剣に立ち向かってるからこそだとの好意を覚えた、喧嘩嫌いじゃな
いし、或いは喧嘩上等の時はある筈だから、
予約してたのか指名された知事さんたちは言葉のキレ良く、端的に解り易くその課題について意見を言い、仕切り
が速やかで心地よい位の、心にすーっと抵抗なく入ってくる事には驚きながら敬意を感じた、
政治を語るなどと表現できるほど経験もなけりゃ関心も持たずにいた私には初めての衝撃で、もっと観たい!と、
あれこれ追いかけて色々なことを知りましたよ、このように面白がってては失礼なのかもしれないけど、国より
地方の首長がいいという、あの立候補の精神にやっと触れられたわけ、
尤も立候補すりゃあいいというもんでもないけど、主義主張が明確に選挙民に通じるように、懇切丁寧に演説した
方は一人だけだったけどね、私は北国に住民票を未だ置いてる状態なので、都民じゃないけど家族は都民、
そうじゃきゃ都知事戦には手の届かない処に居たはずだから、これもなるべくして学んだと言えない事もない、
思いがけない好機だったわ、
知事さんたちの熱意は凄い、そしてあの東京だけがよけりゃいいのか?の意味もよく分かった、大体言うべきこと
を静かに淡々と述べるには、その議案を調べ理解して納得できればこその言葉の並びになるんだよ、それが上手!
「なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き」という万智ちゃんの一首を引いた知事様
には拍手だったわ、そういう会議に何かポイントを強調するのに、教養がにじみ出るという手法が好きだった、
そうしてそう思われるような故郷を創りたいと言われたら、やはりどんぴしゃ!
それに対してオナゴひとりが堂々の応戦をしてくれたなら、それは知事さんたちも”オールジャパン” 言葉を揃えて
協力体制でいきましょうと言ってわけだから、仲間がそのようにいてくれることに感謝し、鈍ら(某県知事言)な
ぉ国に進言する!(勇気を買いました!)位の決め台詞を言えばオナゴっぷりが上がるのになぁと私は残念に思う
「元国会議員だし」と言う位なら「立ち向かいますから」と言えばいいものを、もしや心の中では、私ゃあなた方
と群れて進む気はないのよと思ってるという事か?と誰しも気づくよね、
70 代の迷えるオナゴはここにもいたのね~と思った、「水害の為、中座した〇村知事と、所用で中座して引き継い
だ私のいない、ダイバーシティに欠ける集合写真はどうも・・・ダイバーシティのエネルギー・・・パイを切り分
け・・・ターニングポイント・・・インセンティブ・・・」 へ?集合写真の中央に写りたかったの?
言いたい事はなんだったの?オナゴだから私が感じただけかしらね、
ダイバーシティ(Diversity)とは、直訳で「多様性」を意味する言葉です。人種・年齢・性別・能力・価値観などさまざまな違いを持った人々が組織や ... 👈引用
私はつくづく思った、このぉ方は何かを隠匿しなけならない事を抱え込み過ぎて、ご自分の意見(事務方がお書き
の原稿だとしても赤を入れるのはご自身の自由だろうし)を端的に解り易く人々に伝えられない苦衷にある方じゃ
ないのかしら?と、もちろん、心理学者でもない私が言えた立場じゃないけど、オナゴを 70 年以上張ってくれば
その方面では誰でも利口にはなれるんじゃないの?それが正しくて真実ならばだけどね、要らざる疑問を投掛ける
結果を招いてる気がしてならなかった、お兄様がおられるようだから身内の助言としてはどうかしら?
そして案外、ネガティブなぉ方かも?「以前は世界で中枢にいたはずなの日本は、今はどんどん下り坂で順位が
下がり‘+*+”#$%&’‘*”#$%?」世界でトップだったから下るので、下るのを予測して先手を打たなかった
ぉ国にも責任はある、でも気づいてた、そこに執着してたなら、へたなぉ国よりリッチなエリアの担当者だもの
¥を片手にどうにでも出来ただろうと私は(ハイ、素人ですけど)思う、その世界観が実感できなかったんじゃ?
目の前の駆け引きに勝ったように見せかけられて、大事な切り札を取り違えたという事も無きにしも非ずかなぁ、
そこから手を退くことが出来なくなっての悪循環で、その後ろ盾の成すがままの体でここまできちゃった!
退くに退けない立場に追いやられてしまって、今まで静かだった知事会の方々が「こうはしてられない!」と強気
になられたので、あら?と戸惑っているオナゴの姿のような気がしてならない、ここで勇気を振り絞って、持ち前
のグローバルな視点を活かして改革はどうかしら?そしたら仲間は応援するに違いない、あの議会のチカラは凄い
遣り甲斐はあると思うし、かえって最終目標への近道かもよ、
世のなか、そうそう容易くはない、一般人の素人の私が言うのもなんだけど、正直になるのも一手!
2024/08/07
ハイ!今年も始まりました、甲子園、やはり夏はこの楽しみを素通りは出来ない、失くしてしまった若さが欲しい
2024/08/07
このシーンには高校球児の青春が、その先の人生がかかってると言っても過言じゃありますまい、いいなあ、人生
を賭す、若さが差せる業ですもんね、
山崎育三郎さん 栄冠は君に輝くを美声を響かせ独唱!甲子園2年ぶり2度目【105回甲子園】
厳暑のことゆえ独唱はなかったので去年の育三郎さんのぉ声をもう一度、ぉ行儀がよくて感心します、見てて聴い
てて美しい、試合の時間帯も変更されて臨機応変、このあたりに時代をも感じられて安心ですよ、
2024/08/07
2024/08/07
さて子の休日にまたまた夏を楽しんだ、野球を観ながらというおまけつき、居ながらにして最高じゃありません?
私には暑すぎて外出は極力控えてるので、
何だかんだと言いながら都下に来てから3回目の甲子園です、高校球児も頑張りましたけど私も頑張りました?、
何じゃと思いでしょうけれども、母をおくり手伝ってた子が帰り、その後一年を北国に独居、その都度の仏事を
仕切りながら、且つ自分の先々をも考えて、それまで準備してきた事が予定通りの時もあり、これ違うじゃん!の
時もあり、綺麗な言葉とすれば紆余曲折ありとでも、
2024/08/07
ポーチュラカが真夏に綺麗に咲いた、咲くはずです、「莧」だったのね、幼い頃父母方実家に咲いてて繁茂し過ぎ
むしってたあの花だもの(´∀`*)ウフフ 名前に戸惑ったわ、
さて関東組の古すぎるママ友、70 代 戸惑えるオナゴ達シリーズ
76 千葉ファミオナゴよりの電話で、途中でかけ直し均衡を保つと思った、同じ「かけ放題プランだからいいよ」
とのことで今回は敢えて受け専門とした、こういう処に鈍感なオナゴもいるけれど、私は無遠慮だけど確認する、
私も同じくだから、そうじゃない時は受けてかけ直す、その方がお互い様と言える、ここらが主婦感覚の名残り、
開口一番に言った「〇一君元気?〇一君だからあなた達夫婦は同居してられるのよ、昔から優しい坊ちゃんだった
子供らが同じ少年野球チームだったんだもの、良く知ってるよ、だからって甘え過ぎないで、きっと一番我慢して
るのは〇一君よ」心にずしんと響いた、勿論心得ております、我儘が過ぎてる私なのかもしれないと反省はした、
ぉひとの言葉には耳を傾けこころしなきゃならない時が多くなる、歳をとった証拠です(´∀`*)ウフフ
専業主婦は世の中では認められない場合が多くて腹が立つ、それはその連れ次第よ「お母さんは外で働かない分
だけ家で全部をしてくれるから、お父さんは外で働けるんだよ」と、子らが幼い時から感謝の気持ちを植えつける
位の度量が必要よ、そうじゃなきゃ子らは社会の仕組みを知らないわけだから、父親として、子育てに協力する
世代だったら、それも立派な子育て支援の一つです、その敬意を表することを子らに知らしめる責任と義務が
ある、¥が一番で、お父さんが仕事してるから等という自己弁護は必要はない、黙ってりゃ母親が言うわ(笑)
そうじゃなく「お母さんは働くのが嫌いなんだよね」などと伝えた事がある父親は、子らの教育の初っ端から、
水を差したことになる、その因果は年寄りになってからオトコが知る深くて重い現実となるわけだけど、
でもオナゴにもリスクはある、家事などは印象に軽く、仕事と言える範疇じゃないと判断されがちだから、もし
母親が、その些末と思われてる雑事(とは言いたくはないけど換算される数字が曖昧なので)を熟すのに、子らが
幼いほど価値があると私は思ってる、なにせその子らの尊い命を守ってるのですから、
「涼しくして一日中寝っ転がってられていいね~」等と子らやその母に言ってはならない、外の仕事は出来高が
見える、見えない無償の愛に依る主婦の仕事に比べたら、満足感が満たされる可能性を秘めてるという事でしょ?
しかも相手は言葉の通じる大人でしょ?出方次第でどうにでもなる、仕事と思えば言葉も選び、売り上げに通じる
と思えばセールス用語がありでしょう?「そんなに簡単じゃない!」と反論するでしょうけど、それはほら、言葉
の分からない幼児を育てたことが無いからよ、その分だけ親子の情緒が育まれ、オナゴにはとても甘い時でもある
わけだけど、オトコの想像の域じゃないので、今更文言を並べるつもりはないけど、
子は言った「反面教師の親を持ち、自分は父とし夫としてどうすりゃいいのかよくよく学んだと思う」(笑)
つづく
あら、私のことは今の処どうでもいいから、76 千葉ファミオナゴ「もし書き物してたら書いていい?」「どうぞ
どうぞ、書いて残るなら私の苦労も報われる、但し仮名にしてね」ㇵハハハ、わたくしだって仮名です!とは言わ
なかった、「お父さん(そのぉ連れ様のことをこう呼ぶ、やはり愛があるご夫婦にはそう呼べる何かがあるのね、
愛のない私らには、そのような親近感が無い、私は未だに苗字で呼ぶ、どうしても呼ばなきゃならない時にはね)
が散歩中に転びそうになって、後ろから来た方が支えてくれて助かったのよ、それで病院に連れて行ったらさぁ
(ここも愛がある、私は病院には一人で行くし、連れも当然一人で行く、今の処はね)
パーキンソンだって、そう言われてみれば喋る時に口角が上がらないようなので気になってたのよ、もごもごして
るから聞き取りにくいので、もっとはっきり喋って!と言ったら聞き取れないそっちの耳がどうかしてる!」
そういう言い合いから始まって、二人じゃ埒が明かないので病院に行ったらそう言われ、気も短くなったようなの
も、76オナゴがDr.に問うたら、
「あ!それもパーキンソンの症状の一例となります、いろんな症状が患者さんによって違いますから」とのことで
納得し帰って食事の支度をしたら、お腹がすいてたらしくてすぐ先に食べ始めた、ちょっとむか💢、とのこと、
そして食べ終わって食器もそのままで、さっさと自分の寝室に行った、これってどう?お宅のご主人はどう?」と
私に訊いた、私は答えた「あなたが知ってるあの夫のままよ」(笑)
「料理を作るのはいいけど後片付けはしない、シンクは洗い物の山、流石にフライパンは油を処理して水と洗剤を
入れてそのまま、なら、出された材料で後片付けしながら料理して、終わったら片付けも大方終わってる状態で
食べたい」と私、私が相当下手なら話は別だけど、
何処にでも老夫婦に問題は山積み、それぞれの思いが伝わらない状態になって仕舞ってるので、言えば口喧嘩が
発生!「触らぬ神に祟りなしの方がまだましだね」という結論に至った、
だからオナゴとは話さない方がいいと伝えたい二人のendless 長話、またどこぞの知事のように英語を混ぜて書く
んじゃない!と言われそうだけど変換の最初だっただけだよ、
その後、子らが高校生になった頃、76ファミオナゴ達は転居して、もう何十年も経つのに未だ昨日のような感じが
するから、背景が分かってるから、その子達の様子も分かって、その育児に他人の私が寄与(おお言葉でしょ?)
したのを忘れず、必ず話の初めには「P さん達のお陰で子育てが出来た、家族は離れてたので援助してなかった
もんね、尤も私だって、親族が近くにいるわけじゃなし、協力して貰ったと言えば言えるから、それは忘れない
ママ友だって一方的に子を預けて自分だけ仕事に熱中してたオナゴもいるしね、この話も面白いけど、個人情報
なんたらに抵触するかもしれないので今はやめとく(´∀`*)ウフフ
2024/08/08
毎回載せてるので見飽きたぉ方も多いでしょうけど、この夏真っ盛りにこの美しさ、クレマティスの涼やかに・・・
強いなぁ、咲いたばかりで蕊の新鮮さが際立ってる、
2024/08/09
・・・・・連なりて咲く 真夏に咲く花と競争するような気分で高揚する、おかげさまです、旧枝咲きというそうです
けど、藪に見える処に咲いてるのは人生の様々な難儀が転がってるようで、でも血は繋がってる、これがヒント
になった、いちばん下の花の右側に咲き終えた蕊があるから載せた、本当は6つの花が欲しかったわ、
2024/08/10
私事ですけど①曾祖母、②祖母、③母、④私、⑤娘、⑥孫 と第一子・長女ですけどもう6代目になるんだなあと
感慨深さを覚えた今朝でした、この第一子長女って私は好きな立ち位置で、なんでそのような事を急に感じたのか
を説明しましょ、
曾祖母の話
曾祖母が早くに病を得て入院してた、母たち姉妹は汽車に乗っていかなきゃならない病院に、交代で看病に通って
看護の役にたとうと、そして祖母を何とか退院出来るようになるまでと心を込めてと、叔母①はその地の裁縫学校
に通ってたので一番多く面会が出来て、母は地元の女学校に通ってたので休日を利用して、叔母③は家の農業の
手伝いの合間を利用してとのこと、この話は叔母①から聞き及んだことなので想像も含めての話、
曾祖母はまだ 50 になるかならないかの歳の頃だったとのこと、病名は聞き洩らしたけど一年ほどは入院してたと
家の事も気がかり、曽祖父の事も気がかりと曾祖母は恐らく完治するとは思っていなかったらしい、
その担当看護婦(当時はそう呼んでたので)さんは、当時は珍しくも札幌から仕事をしに来てた 40 代の若々しく
感じる美人さんだったそうで、そこで曾祖母は声をかけた、
「もし、私がダメ(本人言)だったら、どうか私の旦那さんの奥さんになって下さい」と頭を下げたらしい、
「それには一度、旦那さんを病院に呼びますから会って下さい な」
強引と言えば言えない事もないけど、曾祖母は曽祖父を独りにしたくなかったんだと思う、
そして「もうしわけないども家に行って家族に会ってもらいないべーか」と頼み込んで母はその看護婦さんに同行
家のや田んぼや畑が広がってる様子を見て、町育ちの看護婦さんは暫くは黙って見入ってたらしい、その時、何を
思っていたのかは後で叔母①に私は聴くことになる、
家族が揃って膳を囲み紹介をして食事をして、その時のメンバーが、曾祖父、祖父、祖母、大伯母①、大伯母②、
大伯母③ 母、叔母①、叔母②、叔父①、叔父② 叔父③、「よろしく願います」と、曾祖母は病院でどんな気持
ちでいたのだろか、家を何とかして守るには方法が他にはないと、その責任感のみだったのだろうか?
そして看護婦さんは家族の一員となったとのこと、
私が物心ついた時には既にその新しい曾祖母にあたる看護婦さんを、曾祖母と思っていたので、敢えて”義” を付け
ず曾祖母と表記したい、
どのようして新曾祖母が立ち位置を確立したのだろうか?叔母①の話と、曾祖母本人「大きいお祖母ちゃん」に私
が訊いた事を総合すると、農業はしない、家の事は祖母に手伝うというスタンス、洗濯はしてて干し物を畳んでる
記憶が私にはあるので簡単な家事をする、最初のひ孫となる私の遊び相手、面倒をみるというシンプルなものだ、
そして異業種から後妻さんに来てくれたぉ方だので一段上と崇めて暮らしてた、仕事柄か性分か、或いは出身地の
お陰か静かで言葉も優しく、私には絵に描いたような曾祖母だった、このめぐり逢いは誰が私にもたらして呉れた
かと言えば先に逝ってしまった曾祖母ということになる、
野良着は着ずに今思えば対の絣の姿で正座して、あの頃では珍しい”婦人公論” を毎月叔父がJA経由で買ってきて
「おばぁさん、本来たよ」と優しく渡してたし、祖父と曾祖母の会話を覚えてる、
洗濯物を曾祖母が干してた時、家族が多いので、祖父が先ずは高い処の竿に、掛け棒をで干してあげてた事、3段位
の沢山の洗濯物を取り込んで廊下に運んで、曾祖母はそれをきちんと畳んで、その持ち主別に纏めてた、言葉は
少ないけど、そこ気流れる血脈じゃない二人の阿吽の呼吸は見てて気持ちが清々しくなる様子で、毎日野良着を
含めてせっせと盥で、手洗いしてた、
昨日、久々に、ホンとに久々に娘と話して、面白い共通点を見出したからなのです、
娘とは疎遠で、なにせ娘はフルタイムで仕事をしてるし、私とは同じ職種で、けれど考え方が違うので、あまり話
も合わない、無理に話してもお互いに疲れる(笑)
それを平気で口にする母と娘なので、敢えて好んでゆき違わなくてもいいかなと思ったりするし、連絡が無きゃ
平和に女孫1男孫1と、その連れと暮らしてるんだろうから、沙汰の無いのは無事な証拠だと思ってるのでね、勿論
用事がありゃ連絡はしますよ、先ずは 26 女孫1が嫁に行ける時が近づいてるようだから、それを楽しみに私も余り
老けた婆ちゃんで招待(これは家族全員出席するからと押し売りしといた(´∀`*)ウフフ)されるのもどうかと思う
から、摂生に努めます、
でも時には私も普通の母親ですし、ま、娘が2歳2か月に、ツインズ・弟を産んだのから手がかけられなかった、
ので、私は引け目があるから刺激できるような立場じゃない、私としては出来る限りのことはしたつもりだけど、
朝ドラの寅ちゃんの娘をみてると、やはり何処か母に物足りなさを感じてたのは事実だし、あまり自己主張しない
で過すというスタンスだったので「ごめんね」の気持ちが私には多い、それをこそ言葉にすりゃいいものを、
そこをキチンと正座して言葉にすればいいんじゃないかと思うけれども、与太口は利くけどなかなか機会はない、
面映ゆい処もあるので後でいいか~と思ってるうちに娘も 50 となっちゃった(´∀`*)ウフフ
祖母の話
地味な農村で育った祖母の恋バナからね、なぜ祖母からかというと記憶にある祖母の祖父への細やかな気配りと、
オトコを好きなように暮らさせ、解り易く言うと”見惚れて暮らしてた” と思えるからです、なにせ昭和23年頃の
ことですから覚えてることが奇跡のようなもんですけど、それはそれは鮮明に脳裏に浮かんでくるんですよ、
老いに達して私が「夫婦って何?」💢 の多い日々の中で、もしやこういう事をあの世で祖母が「こらこら」と
思ってるからなのかもと、
川向うに一軒の農家があってそこに娘が二人いた、その長女の出会った祖母は後継者だったけれど、川のこっち側
の農家に長男とその妹達が3人いた、その長男(私からは母方・祖父)が後継者となって嫁を貰うという話が出て
川向うの長女(私から母方・祖母)が後継者にも拘らず、祖父の嫁に、どうしてもなりたいと言ったので嫁に来た
明治のオナゴですけど、男前な祖父に惹かれたのでしょうね、
祖父は農家の仕事が好きじゃなかったので学校に入りたかった、曽祖父が「農家の長男には学問は要らない」即決
そして已む無く諦めて嫁を貰った、祖母は農業は自分でするからと嫁に来た、こう言っちゃあなんですけど祖父は
男前ですから人気があったらしくて(大叔母から聞いた)祖母はその祖父の嫁になれて大満足で農業に従事した、
祖父は何をしてたかというと、その友人が旧制中学の通ってたので、その姿に憧れ、その友人たちと短歌の同人会
を企画したり、本を読み回したり、町の今で言ったらボランティアのような事をして自己満足に浸ってたらしい、
それでも暮らしが成り立ってたのは何故かと私が大叔母に尋ねた、私はまだまだ子供だったのに何でそう思ったの
かは分からないけど、近隣の農家は皆、オトコもオナゴもが田畑をして生計を立ててた気がしたので、
それは祖母がやり手だったからか、田畑については自分が仕切って、人手も賄っていたからだと思う、
私が今でも印象的だったのは、祖父の身支度から、髭剃りや頭髪の手入れを嬉々として熟してた様子にある、私が
小学校の夏休みなどに一人で母方実家に入り浸って楽しんでたのは、その祖父母の様子や、嫁に行って3日で帰って
来た叔母や、住みこんでた男衆の頼もしい様子を見てるのが好きだったから、男兄弟がいなかったせいもあるし
父と母は父方実家で暮らしながら勤めをしてたので、私は自由だったから、妹二人は父方実家で両親の元で過ごし
そんなもんだと思ってた、母方実家には子供はまだいなかったので、叔父夫婦や大人たちに可愛がられていい気分
だったからかしら?
今になって、祖父母は相性のいい夫婦だったのね?だって友達を連れてきて奥の座敷で麻雀したり酒を飲んだり
今思えば叔父が3人いて、嫁に来た義叔母と嫁をやめて帰ってきた叔母との、何とも言えないモヤモヤ感を感じ、
小姑の叔母が「弟を採られた」とぶつぶつ言ってたのが面白かったりしたので、私も相当変わった子供だったと
いうこっちゃ!そういう事はこの目で耳で感触で実感しなきゃ、そうそう言葉には出来るもんじゃないしね、
出戻り(失敬!)なはずの叔母は堂々の主のように振る舞い、嫁に来た義叔母は気を遣いながら、子供の私に
大人相手のように質問したりして話してた事が懐かしい、
小姑鬼千匹(またまた失敬!だってそう言ってたんだもの、それにこれは血脈の話で、皆もうあちらに逝った)が
誹謗中傷だと言われても、私は現実そう見えたので、嫁にだけは行かない!と決めてたはずだった(´∀`*)ウフフ
2024/08/10
茄子の花がこのように綺麗だったなんて、今朝、見惚れちゃいました、
せっかく綺麗な花と美味しい冷酒と、青春わんさかの甲子園と、思い出話と、すずしいオトコの上等な話を書き乍
ら最後をこの話で台無しにするなんて勿体ない、けど、どうしても納得がイかないので少し、
遠くのエリアのなんの関係もない話だけど、某首長がパラ、モラ、からオネダリまでの見苦しい事案が発覚した
というに、臆面もなく人前で言いわけがましい事をつっかえつっかえマイクを汚すようなことしなきゃいいのに、
エリアだけじゃなく全国の皆さんの気持ちや、そのご親族や、知らずに投票してしまった選挙民の苦衷を慮ること
が出来ないなんてオトコの風上にも置けない、とオナゴの私でさえ思うのに「俺様は君たちが選んだ首長様だぞ」
とでも思ってるの?なんだか幼いなぁ、そういうゴネリズム(こんな言葉があるのかどうかは知らないけれど)が
罷り通ると思うのか疑問だらけで、けれどスルーするには余りにもお粗末で気分がいいもんじゃない、そういう輩
(あら、失敬!)はきっと気づくことはないでしょう、持ってる精神が大間違いよ、聴く耳を持たないとしか言い
ようもない、貢物が山のように積まれた玄関をはいってゆくご家族はどのようにお思いなのかしら?辛かろうよ、
婆の少しばかりの進言です「早く気づいて自ら身を退きなさい」誰の為でもない、あなた自身の為よ、老婆心、